第191話 第十二章「次の最初」前編

「脚だぞ!」

「着陸用!」

「一歩だけ!」

「一歩なら――」

ルゥが言い終える前に、カナタはレバーを倒した。

八本脚が動く。

一番脚。

二番。

順番に。

船体がゆっくり前へ出る。

「歩いた!」

町の子どもたちが歓声を上げる。

カナタは二歩目のレバーを引く。

八本脚が、今度は全員同時に出た。

船体が跳ねる。

前方の雲綿倉庫へ向かう。

「止めて!」

「終路鐘!」

綱を引く。

からん――。

五人分の現在地が一致している。

今度は最後まで鳴った。

八本脚が地面へ広がり、船体を受け止める。

倉庫の一歩手前。

停止。

「止まった!」

カナタが胸を張る。

「一歩目で止めて!」

「二歩目の練習!」

「倉庫は弁償しない!」とメグ。

「壊してない!」

「今は!」

船首の小さな終路鐘が、余韻を鳴らす。

八脚雲着輪。

第一歩号の新しい足。

八つの町の違いを、一つに揃えず船へ載せた機巧。

カナタは船底を見上げる。

「これで、どこへでも着ける」

「着く前に減速すれば」とルゥ。

「帰るときも?」

「その日の地面に合わせるには、その日の案内が要る」

「アカリが先頭」

ナギが約束を確認する。

「一歩だけな!」

「入口から受取返事まで」

「長い!」

「二歩目でも追い越す気?」とメグ。

「追い越せるか試す!」

「案内を競争にしないで」とルゥ。

ザンバが新しい脚の六番目を叩く。

小さな現在鐘が鳴る。

「今は、まだここだ」

カナタは頷いた。

「おう。今は八番雲」

帰る日の一歩が何を意味するかは、まだ先に置いたまま。

第一歩号は、今いる雲の足へ八本の脚をそろえた。

出航の日。

八番雲の新しい発着場には、船が二隻並んでいた。

一隻は第一歩号。

つぎはぎ。

八本脚。

二枚鍋蓋。

帆柱には八色の小旗。

もう一隻は、八番雲の小さな配達舟だった。

船名《拾い便一号》

船長はチコ。

十歳。

正式な船長札は胸より大きく、曲がりきらない左薬指では留め具を締めにくい。チコは自分の三つ折り結びへ替えた。右眉側の死角を補うため、操舵棒の右へ小さな鏡をつける。

「昨日は鏡を逆につけて、後ろを前だと思った。だから今日は直した。あと赤い靴は片方で、でも船なら両足いらなくて――」

怖いほど説明が長くなる。ホロが鍵束を二度鳴らす。

「今の仕事」

「七番雲へ薬。先頭、私。見張り、ホロ。受け取る返事を聞く」

十歳の船長は間違えない子ではなく、間違いを現在の手順へ直せる子だった。

正式には見習い。

隣にホロが乗っている。

「どこへ行く!」

カナタが訊く。

「七番雲!」

チコは胸を張る。

「昨日落ちた薬箱を返す!」

「急ぐ?」

「薬が入ってる!」

「俺たちが先に出て、道を――」

言いかける。

発着場の標柱。

出航順。

第一歩号が一番。

拾い便が二番。

カナタは標柱を見る。

チコを見る。

八色の旗を見る。

「先に行け」

「え?」

「薬の便が先」

ルゥが驚いた顔をする。

「熱ある?」

「ない!」

「頭を打った?」

「いつも打ってる!」

「それが心配!」

チコは操舵棒を握る。

「道、作ってくれないの?」

「必要?」

「発着場から七番雲まで、昨日メグが先頭で開いた」

「じゃあ、ある」

「途中の風、分からない」

フウカが風見台から声を送る。

『今は南風。二番雲の横を通れば弱い!』

スイ。

『水塔の上は避けて!』

トウカ。

『七番雲、受け入れ返事あり!』

チコは一つずつ聞く。

ホロが確認する。

「現在地」

「八番雲発着場!」

「行き先」

「七番雲治療所!」

「先頭」

「私!」

カナタの右足は反射的に一歩出た。追い越して道を作るほうが速い。右膝が痛み、動きが半拍遅れた間に、チコの小舟が先へ出る。

白旗を中央で握らず、端を持つ。

「チコの次!」

一歩分の光板を小舟の後ろへ置く。メグの一歩目のあとで覚えた動作を、年下の船長にも使う。チコは振り返らず、鏡越しに親指を立てた。

「受け取る人」

七番雲からリツの声。

『受け取る!』

チコの旗が、小さく光った。

「出航!」

拾い便一号が滑り出す。

雲の発着路を一歩。

二歩。

風を受け、浮く。

第一歩号の前を通る。

チコが手を振る。

「二番目、来てね!」

「おう!」

カナタは拳を上げる。

「任せろ!」

「何を?」

「全部!」

「何もしないで!」とホロ。

小舟が飛び去る。

第一歩号は、その後ろに残った細い航跡を見る。

「船長」

ルゥが操舵輪から呼ぶ。

「出る?」

「おう」

「先頭じゃないけど」

「今はな!」

少し悔しい。

だが、航跡がある。

それを踏んで進むのも、悪くない。

カナタは船首へ立つ。

メグとカイラが発着場にいる。

カイラは作業着のまま。

後ろを見る訓練はまだ一度に八呼吸まで。九呼吸目で眩暈が来る。メグが数え、八で役目を渡す。

「落下物確認、ここまで。次、ホロ」

「受け取る」

カイラは手を前へ戻しかけ、白い作業着の袖を握った。役目を渡したあとも、そこから消えるわけではない。次の仕事は、ホロの報告を受け、拾った物の持ち主へ名前で返すことだった。

腰の拾い袋には、すでに片方の手袋が三つ入っていた。

「全部、持ち主が違う」とメグ。

「分かっている」

「一組にしないで」

「そこまで間違えん」

カイラは第一歩号を見る。

「カナタ」

「何だ」

「先頭を渡したあと、どうすればいい」

「俺に訊く?」

「一度渡した」

「俺も一度だ!」

「では、先輩だ」

「一歩だけ!」

カナタは考える。

「後ろから、間違いを言う」

「嫌われる」

「前にいても嫌われてただろ」

メグが吹き出す。

カイラの眉が上がる。

「船長。出航前に喧嘩を売るな」とザンバ。

「本当だろ!」

「本当でも、言い方がある」とナギ。

「ルゥみたいなこと言う!」

「みんな同じこと言ってる!」

カイラはしばらくカナタを睨んだ。

やがて、ほんの少し笑った。

「後ろから、必要なことを言う」

「受け取るかは、前のやつに聞け」

「分かった」

メグが発着場の端へ出る。

薄青い旗を掲げる。

「第一歩号!」

「現在!」

ナギが応える。

「現在地!」

「八番雲発着場!」

「行き先!」

ルゥが次の地図を開く。

新根の先。

九つに分かれる星脈。

中央に、細長い町。

星脈市ネウラ。

「星脈市ネウラ!」

「先頭!」

カナタが答えかける。

前方に、拾い便一号の小さな航跡。

「七番雲までは、チコ!」

「その先!」

地図の最初の矢印を、ルゥが指す。

「航路士ルゥ!」

「受け取る!」

「船長は?」

「船首!」

「役目!」

「二歩目!」

「監視役!」

「船尾」

「響路士!」

「ここ!」

第一歩号の船腹を、五回叩く。

こん。

こん。

こん。

こん。

こん。

「船長、現在!」

「航路機巧師、現在!」

「監視役、現在」

「響路士、現在!」

最後。

八本脚の六番目についている現在鐘を鳴らす。

からん。

「第一歩号、現在!」

朝火炉へ火が入る。

八脚雲着輪が一歩。

二歩。

発着場の端で畳まれる。

帆が膨らむ。

第一歩号は浮いた。

拾い便一号の航跡へ、二歩目を重ねる。

「行ってこい!」

メグが叫ぶ。

「行ってきます!」

カナタは答える。

その言葉の奥に、カゲノハ村の発着場が一瞬だけ浮かんだ。

そのときはアカリが先頭だと、約束だけはした。

カナタは二歩目でも追い越せると思っている。

その約束の意味を、まだ想像していなかった。

第一歩号は八つの歩雲を離れた。

後ろで、八つの鐘が鳴る。

同じ音ではない。

それでも、一つの見送りだった。

歩雲群ヤエを出て、三日目。

第一歩号は、拾い便一号の航跡を無事に七番雲までたどった。

途中、カナタが二度追い越そうとした。

一度目は、ルゥが操舵輪を外した。

二度目は、ナギが現在鐘へカナタの上着を縛った。

「船長を船へ固定するのは危険だ!」

「船から出るほうが危険!」

七番雲で薬箱を渡したあと。

拾い便一号は八番雲へ戻った。

チコが手を振る。

「今度は、そっちが先!」

「おう!」

カナタは胸を張る。

今度は自分たちの行き先。

星脈市ネウラ。

九つに分かれる根の中を進む町。

地図には大きな矢印が一本。

前。

「分かりやすい!」

カナタが喜ぶ。

「嫌な予感」とルゥ。

「前しかないなら迷わない!」

「前が間違ってたら?」

「戻る!」

「九番目の旗を先に言えた」

「成長!」

ザンバが地図の裏を見る。

古い折返し線。

「戻る道が使われていない」

「町へ着いてから聞く!」

「着く前に見ろ」と三人。

「みんな慎重になりすぎだ!」

「主に船長の反動」とザンバ。

第一歩号は新根を進む。

八本脚は収納され。

船首の二枚鍋蓋が風を受け。

帆柱の八色旗が回る。

どの色が前か、風のたびに変わる。

ナギは青い帳面へ、ヤエから届いた最初の報告を書いた。

――現在地、新根第二節。

――行き先、休雲地ハクレン。

――先頭、二番雲スイ。

報告には小型ヒトアシの欄もあった。

――一番核、星図判断終了後も三呼吸爪を保持。終了鐘二回で離脱。

――二番核、水量調整一巡。二巡目を要求し、餌札を除去。