第64話 第八章「一本線の危機」後編

「ただし、私も行く」

「それでいい」

二人は鐘歩島へ向かう上道を走った。

同じ速度ではない。

ザンバが先。

レグルが遅れる。

ときどき位置を入れ替える。

どちらが先頭かを、固定しなかった。

響路を開くと、世界は声でいっぱいになる。

鉄歩島の槌。

森歩島の足音。

鐘歩島の鐘。

単路獣の白い「前へ」。

カゲノハ村の朝葉機関。

トマリギ島の帰鐘。

第一歩号の船腹。

全部を一度に聞けば、誰の今も分からない。

「一つずつ」

ナギは鐘歩島の五声台へ、六枚の札を並べた。

鉄。

森。

鐘。

第一歩号。

トマリギ島。

カゲノハ村。

「六つも?」

スズが訊く。

「三つの島を比べるには、島の外が要る」

「なんで?」

「同じ旗の中だけだと、全部が前に聞こえる」

トマリギ島は帰る場所。

カゲノハ村は、毎日形が変わる現在地。

二つは三脚群島の同道旗に入っていない。

「まず、カゲノハ村」

響路を細く開く。

呼び声を送る。

「アカリ。今、ここ?」

返事はすぐ来ない。

単路獣の白い声が割り込む。

『前へ』

ナギは閉じる。

「違う」

「どうして?」

「早すぎる」

アカリは返事の前に、今の村を確かめる。

毎回、少し時間が違う。

もう一度。

待つ。

十呼吸。

二十。

朝葉機関。

からん。

ころん。

長い音。

最後まで鳴る音。

そのあと五回。

三回目と四回目の間が少し長い。

『カゲノハ村。今、ここ』

「アカリ!」

『三脚群島?』

「鐘歩島!」

『ほかは』

「今から聞く」

『昔の杭、一回。出航の杭、二回。今の杭、三回』

三つの白杭が、別々の音を返す。

一つの村。

三つの時。

どれも消さない。

最後を一つへそろえない。

「同じ場所でも、違う返事を持てる」

ナギは札へ書く。

「鉄歩島」

呼び声。

「ルゥ。今、ここ?」

単路獣。

『前へ』

閉じる。

待つ。

四拍子。

一、二、三、四。

そのあと、ルゥの声。

『鉄歩島、同歩機関。今、ここ』

「行き先」

『雷風路』

「そのあと」

間。

『逆さ銀樹を見たい』

「第一歩号は」

さらに間。

『戻るかもしれない。残るかもしれない』

ナギは両方書く。

「返事、あり。決定、未定」

『カナタに、そのまま伝えて』

「怒る」

『知ってる』

「止める?」

『止めないでって言う』

響路を閉じる。

「森歩島」

呼ぶ。

「カナタ。今、ここ?」

『前へ!』

早い。

偽物ではない。

カナタ本人も言いそうだ。

「質問を変える」

「何に?」とスズ。

「今しか知らないこと」

白迷海で学んだ方法。

「往還翼、何枚?」

『一枚! ミオが持っていった!』

「本物」

「それで分かるの?」

「単路獣は鍋蓋に名前をつけない」

「普通もしない」

「今、ここ?」

『森歩島、第一歩号!』

「行き先」

『雨風路! そのあと世界の果て!』

「ルゥは」

『鉄歩島!』

「そのあと」

カナタが黙る。

『決めてないって』

「どうする」

『嫌だ!』

「止める?」

長い間。

『……止めない』

「伝える」

『嫌だも!』

「両方」

帳面へ書く。

――嫌。

――止めない。

同じ人の中に二つある。ナギは線で結ばず、横へ並べた。

カナタは遠い森歩島で、その二語を聞いたあと、冷たい保存豆へ息を吹いた。今は食べられないのに、いつもの癖だけ出る。

『嫌って書いたか!』

「書いた」

『止めないも!』

「書いた」

『どっちが大きい!』

「大きさをつけない」

不満そうな沈黙も、一つの返事として残った。

同時に存在する返事。

「ザンバ」

呼び声。

返事は遅い。

上道は風が細い。

単路獣の「前へ」が三度。

ナギは全部閉じる。

四度目。

黒い点を石へ打つ音。

こん。

その左右に二つの足音。

『上道。レグルといる』

「行き先」

『鐘歩島』

「そのあと」

『再会原』

「旗は」

『ミオが立てる』

「信じる?」

『待つ』

短い返事。

今のザンバにしか言えない。

「四つ、つながった」

ナギは六枚の札を見る。

重要な問いを一つ終えるたび、初声の小石を別の列へ移す。返事あり。返事待ち。記録音。母イオラの石だけは、どの列へ置く時も指が一呼吸止まった。

聞きたい声ほど、判定を急ぎやすい。だからナギは母の石を特別扱いせず、ほかの五つと同じ問いの順へ戻した。

鉄。

森。

鐘。

上道。

トマリギ島。

カゲノハ村。

同じ場所ではない。

同じ行き先でもない。

返事の時刻も違う。

それでも、全部が今の声。

「響路を一枚へしない」

旗を広げる。

開いた輪の切れ目を、無理に閉じない。

二つの点の間に、一本ではなく細い波を六本。

それぞれへ別の呼び声。

返事が来たときだけ開く。

「標術――《響路・分声》

新しい標術ではない。

同じ力の使い方を変える。

一度に全員を呼ばない。

順番に。

返事の間を残して。

鉄へ。

「四拍子、確認」

森へ。

「三拍子、確認」

鐘へ。

「五拍子、確認」

上道へ。

「二人、確認」

第一歩号へ。

「船長、大声」

『聞こえてる!』

「確認」

カゲノハ村。

「今の杭、三回」

トマリギ島。

「帰る鐘、二回」

単路獣は、どの返事を一つの前へ変えればよいか分からない。

白い一本線が揺れる。

三つの頭が互いに違う方向を向く。

「道を送る!」

ナギは全員へ、同じ命令を送らなかった。

代わりに、互いの現在地だけを渡す。

ルゥには、カナタの森。

カナタには、ルゥの鉄。

ザンバには、鐘の五拍子。

ミオには、三つの島すべて。

どこへ行くかは、それぞれが決める。

響路は、命令の線ではなく、返事の網へ戻った。

上道には、地図がなかった。

あるのは、風の癖だけ。

雷は四回で向きを変える。

雨は三回目に重くなる。

音は五つ目のあと、一呼吸だけ静かになる。

ミオの《再会号》は、その隙間を滑っていた。

洗濯竿の翼。

森歩島の赤い板。

鉄歩島の銀枝。

鐘歩島の小鐘。

足元には、第一歩号から外した鍋蓋。

「やっぱり足場!」

ミオが蹴ると、鍋蓋が空の重さを受ける。

小艇が一指ぶん浮いた。

カナタが聞けば翼だと言い張る。

今は聞こえない。

それが少し寂しく。

少し静かだった。

ミオは食料の焼き実を三つに分けた。鉄、森、鐘。一つは食べ、一つは再会号の炉へ、一つだけ紙へ包んで翌日へ残す。いつもなら迷いなくできる順番が、今日は二度入れ替わった。

三本の三つ編みへ触れる。鉄。森。鐘。耳たぶが赤い。誰も見ていない場所では、強いツッコミの代わりに言葉が増えた。

「来なかったら。遅れたら。父さんがまた一つにしたら。私が場所を間違えたら」

全部を言ってから、小風車を回す。恐怖を数え終えないと、次の一歩を踏めなかった。

「鉄、四」

小鐘の横に、ナギの響路が細く開く。

テオの槌。

一。

二。

三。

四。

『雷風路、右へ二度曲がった』

「森、三」

遠く、第一歩号の船腹。

カナタが三回叩く。

最後の一回だけ強い。

『雨風路、今は左!』

「鐘、五」

スズの五声。

五つ目の余韻が、上道の静けさへ届く。

『鳴風路、下へ一段』

三つの情報は、同じ方向を指さない。

ミオは紙を三枚重ねる。

雷の右。

雨の左。

音の下。

その間に、何も書かれていない小さな空白。

「再会原」

艇の向きを変える。

空白そのものへ。

単路獣の白い頭が、上道の下から追ってくる。

三つの風を一つへ押し戻そうとする。

「ミオ!」

カナタの声が響路へ入る。

『前に頭! 道を出す!』

「待って!」

『何で!』

「私の進路を言う!」

『見えてる!』

「そっちからは、白い頭しか見えてない!」

ミオは再会号の先を見る。

風のない細い場所。

右に雷。

左に雨。

下に音。

「右と左の間。少し下!」

『難しい!』

「だから待って!」

単路獣の牙が迫る。

再会号の洗濯竿を一本噛み砕く。

右の翼が折れた。

艇が傾く。

「今!」

ミオが叫ぶ。

響路が一呼吸だけ開く。

遠い白旗の光。

『ミオの、次の一歩!』

一枚の光板が生まれる。

再会号の前ではない。

傾いた右側。

ミオが示した場所。

艇の鍋蓋が板へ乗る。

姿勢が戻る。

「一歩だけ!」

『もっと出す!』

「いらない!」

『頭が!』

「次は私!」

ミオは銅旗を振る。

雨の上道へ滑走靴をかける。

一歩。

光板から離れる。

単路獣の牙がカナタの板へ噛みつく。

道は一歩で終わる。

続きがない。

獣の口が空を噛む。

「食べられない!」

『一歩しかないからな!』

「私が言った!」

『俺が作った!』

「両方!」

ナギが響路の向こうで笑う。

『今の返事、同じにしないで』

再会号は上道のさらに上へ進む。

三つの風の音が遠くなる。

代わりに、何もない静けさ。

地面も。

風も。

島もない。

銀枝の羽根が閉じる。

小艇の浮力が落ちる。

「着いた?」

ミオが訊く。

返事はすぐ来ない。

ナギは別の場所を聞いている。

鉄。

森。

鐘。

一つずつ。

ミオは待つ。

十呼吸。

二十。

艇がゆっくり沈む。

響路が開く。

『三つの音が、一番遠くなる場所』

ナギの声。

「ここ?」

『違う』

「見えない」

『鉄は右下。森は左下。鐘は真下』

「三つの真ん中!」

『真ん中じゃない』

「何で!」

『距離が違う。鉄は速い。鐘は遅い。森は曲がってる』

ミオは三枚の地図をずらす。

同じ縮尺ではない。

十二年前の記録。

今の島の速さ。

単路獣に押された距離。

「じゃあ、どこ!」

『三つが、同じ時に最後の一歩を踏める場所』

「今の位置じゃない?」

『これからの位置』