第149話 第三章「到着札三千二百枚」前編

終路局は閉じられた。

「なぜ辞めた」

ザンバが訊く。

「終わらせる道がなくなった」

「役目は?」

「到着札を数える」

「終わってない!」とカナタ。

「だから残った」

トバリはヨイの旗を見る。

「また終路火へ触った?」

「消しただけ」

「六つ目まで」

「七つ目は出ない」

「当然」

「何で」

「終わりは、持ち主が決める」

「私は持ち主」

「何の道の?」

ヨイの手が止まる。

第七帰航隊。

母セナ。

幼い自分。

港へ落ちた脱出箱。

「私の帰り道」

トバリは初めて顔を上げた。

「それなら、母親の道とは分けなさい」

「同じ船」

「同じ船でも、同じ最後ではない」

カナタがルゥを見る。

「三番目」

「少し違う」

「四番目?」

「もっと近い」

「旗が増えるほど難しい!」

「道が増えたから」

ナギが答える。

トバリの机の奥には、七本の古い針が並んでいた。

針の下には、同じ長さの謝罪文が七枚あった。どれも提出されていない。七隻を一つの事故へまとめれば、自分の罪も一つで済む。それが嫌で書き分けたのに、最後の署名だけできなかった。

トバリが欲しいのは、英雄譚でも一人分の赦免でもない。七隻が別々に何を選び、どこで止まったかを、七つの失敗として残すことだった。

一本ずつ、違う船名。

ナナツボシ号。

ユウナギ号。

ホタル舟。

ツキミチ号。

カサネ帆号。

アカツキ号。

コダマ号。

「第七帰航隊?」

ナギが訊く。

「七隻」

トバリは答える。

「乗員、旅客を合わせて七十人」

「今の返事は?」

「一人」

ヨイを見る。

「ここにいる」

「残り六十九人は?」

「着き灯の中」

「現在応答?」

「十年前の記録」

ヨイがトバリを睨む。

「決めたの?」

「終路守としては」

「返事を聞いた?」

「聞けなかった」

「じゃあ、分からない」

「そう」

トバリは否定しない。

「分からないまま、十年たった」

アサギが机へ手を置く。

「だから大連灯式をする」

「発路局の答え」とトバリ。

「港を守る答えだ」

「着き灯を発ち灯へつなぎ、全部の道をもう一度外へ出す」

「戻れる道を作る」

「終わらせない道を増やす」

「どちらかだ」

「一つにするから」

アサギとトバリの声は大きくない。

けれど、十年ぶん同じ場所で争ってきた形をしていた。

ヨイは七本の針を見る。

ナギは青い帳面を開く。

「七隻の名前、全部書いていい?」

「何のため」とアサギ。

「呼ぶ」

「呼び続けてる」

「同じ音で、同じ問いしか送ってない」

「何を聞く」

ナギはヨイを見る。

「今の名前」

ヨイの眉が動く。

「十年前と同じでしょ」

「ヨイは違う」

ナギは帳面の一行目へ書く。

――第七帰航隊。

その下。

――現在応答一名。

――ヨイ、二十四歳、双灯港アケヨイ暮梢、今ここ。

ヨイは長く、その文字を見ていた。

十年前の十四歳ではない。

脱出箱の中でもない。

母の船の一部でもない。

今の自分が、名簿の最初に置かれた。

第一歩号の弁償は、到着札を元の持ち主へ戻すことで決まった。

「銭じゃない!」

カナタが喜ぶ。

「労働」とルゥ。

「体を動かす!」

「字も読む」

「銭で払う!」

「足りない」とヨイ。

「労働!」

到着札には、船名と荷物と人の名が書かれている。

ただし十年間、札は終わりかけるたび始まりへ戻った。

同じ札が二枚。

三枚。

多いものは百枚以上。

「同じ名前なら、一か所へ!」

カナタが札を山にする。

「時刻が違う!」

ヨイが崩す。

「同じ船!」

「一周目と二周目!」

「同じだろ!」

「二周目には帆が一枚破れてる!」

「細かい!」

「到着は、今の形を受け取る仕事!」

「一周前も今だった!」

「そのときの今!」

「今が多い!」

ルゥは札の角へ銀鋲を置く。

《継ぎ路》

同じ船名でも、違う傷を持つ札は別の糸へつながる。

一枚目。

帆、三枚。

二枚目。

帆、二枚。

三枚目。

船首へ焼け跡。

「これ、同じ船が少しずつ変わってる」

「だから一枚に戻さない」とヨイ。

「最後の札は?」

「ない」

「到着しなかったから?」

「今も回ってるから」

ルゥは糸の先を見る。

港の外を、同じ郵便船が何度も通っている。

乗員は疲れ、帆は減り、荷物は増えている。

それでも到着門を抜けると、また外へ送られる。

「最後の札を作ればいい」

カナタが言う。

「誰が着いたって決める?」とヨイ。

「船長!」

「郵便船の?」

「俺!」

「関係ない!」

ザンバは札の束から一枚を抜く。

――第七帰航隊、ナナツボシ号。

日付は十年前。

「これは戻すな」

「何で?」

「今の札ではない」

「でも着き灯の中にいる!」

「記録と現在を混ぜるな」

ナギと同じ言葉。

カナタは札を見る。

ナナツボシ号。

帰航長セナ。

その下に、小さな名。

ヨイ。

十四歳。

「今は二十四歳」

カナタが言う。

ヨイが顔を上げる。

「今、ここ」

札のヨイへ、カナタは指を置く。

「これは昔」

「分かってる」

「じゃあ、お前の札を作る」

「勝手に?」

「聞く!」

「何を」

「着いた?」

ヨイは答えない。

着いた。

双灯港で十年暮らした。

消路師になった。

それでも祖父レオンは、第七帰航隊が帰るまで「帰航完了」と言わない。

ヨイ自身も、母の船を終わらせていない。

「まだ」

小さな声。

札の山の奥で、終わり損ねた火が一つ灯った。

白い火。

細い尾。

札から札へ移る。

「火!」

カナタが追う。

「踏まないで!」

「消す!」

「私が!」

ヨイが暮色旗を振る。

六つの灯。

火は一呼吸止まる。

七つ目が暗いため、完全には消えない。

アサギが発路旗を差し込んだ。

金色の線が火へつながる。

「外へ流す!」

「始まりに戻さないで!」

「札を燃やす!」

「終路局へ入れる!」

「いっぱい!」

「だから空ける!」

二人が同時に旗を引く。

白い火は、終わりと始まりの間で細長く伸びた。

カナタが白旗を突く。

「火の手前!」

一歩分の光板。

火を受け止める。

「止まった!」

「板が燃える!」とルゥ。

「じゃあ次!」

「増やさない!」

ナギが響路台の小鐘を五回鳴らす。

「今の持ち主!」

札の山から、何十もの音。

郵便船。

荷車。

食堂。

子どもの教室。

それぞれ違う返事。

白い火が一瞬、何十本へ分かれた。

「一つの火じゃない」

ナギが言う。

「終わってない道が集まって、同じ火に見えてる」

「じゃあ一つずつ消す!」とカナタ。

「持ち主に聞いてから」とヨイ。

「時間かかる!」

「だから十年かかった」

「それはかかりすぎ!」

「私もそう思う!」

ヨイは初めて、カナタと同じ方向へ叫んだ。

二人は一瞬、顔を見合わせる。

「仲間!」

「違う!」

「同じ速さ!」

「今だけ!」

ルゥは銀糸で白い火を小さな札ごとに分ける。

ナギが現在の返事を聞く。

ヨイが一呼吸止める。

アサギが、続けたい道だけ発ち灯へ送る。

ザンバが、二つを同じ線へ戻さないよう黒い点を置く。

カナタは一歩手前まで足場を出す。

最後の札は、持ち主が自分で取る。

一枚。

十枚。

百枚。

日が沈むはずの時刻になっても、町は金色の朝のまま。

到着札は、まだ三千枚以上残っていた。

「終わらない!」

カナタが叫ぶ。

「今日はここまで」とトバリ。

「札が残ってる!」

「明日やる」

「明日も朝!」

「だから、今日を決める」

トバリは机の端へ、一枚の黒い板を置いた。

――本日の整理、二百四枚。

――未整理、二千九百九十六枚。

「残りを書いた!」

「消してない」

「終わった?」

「今日の分は」

「全部じゃない!」

「全部終わらなくても、一日を終えていい」

カナタは黒い板を見る。

二百四。

少なく見える。

それでも、朝より札の山は低い。

ヨイが暮色旗を板の横へ立てる。

正式な標術は出ない。

だが、白い火は次の札へ移らず、その場で小さくなった。

アサギは不満そうに発路旗を下ろす。

「始め直さないのか」

「明日、続きから」

「始まりは?」

「二百五枚目」

「最初じゃない」

「次の最初」

ヨイは言った。

カナタはその言葉を聞き、少しだけ白旗へ目を落とした。

世界の果てへ着いた。

それでも、同じ旅の続きだと思っている自分。

終わった場所から、別の一歩を始める。

まだ、その分け方がよく分からなかった。

整理は、二百四枚で終わらなかった。

終わらせたのは、その日の作業だけだった。

翌朝。

昨日と同じ金色の空の下で、トバリは机の札を裏返した。

――本日の整理、零枚。

――昨日まで、二百四枚。

「戻った!」

カナタが叫ぶ。

「零になった!」

「今日の数」とトバリ。

「足したほうが多い!」

「足す欄もある」

板の隅。

――累計、二百四。

「数字が二つ!」

「昨日と今日を同じにしないため」

「昨日の続きだろ!」

「続きでも、今日の一枚目は一枚目だ」

「十番目の数え方みたい」とナギ。

「まだ十番目は知らない!」とルゥ。

「何の話だ!」

カナタは分からないまま札を一枚取った。

――《帆直し工房、主帆補修》

持ち主は、朝梢の工房主カジ。

補修は九年前に終わっている。

しかし帆を船へ渡す最後の道だけが、毎朝工房へ戻る。

「終える!」

カナタが札を掲げる。

「持ち主へ聞く」と全員。

「分かってる!」

カジを呼ぶ。

大柄な男が、完成した帆を背負って来た。

カジは左腕で帆を支え、感覚の薄い右前腕では端を押さえるだけにした。古傷のせいで熱さを感じにくく、ときどき焦げるまで炉布へ触れてしまう。短い咳が三度続いたが、「布埃だ」と一言で切った。