第225話 第五章「返雨評議」前編
返雨評議の円卓には、十脚の椅子しかなかった。
カナタが自分の椅子を持ってきた。
「十一脚!」
「それ、第一歩号の四つ目」とナギ。
「今はアマネ!」
「私は座るって言ってない」
「空ける!」
「六番目を雑に使わないで」
ザンバの椅子は持ってこられなかった。
本人が座っていたからである。
結局、余滴窪の席には、トキサが九本柱の小椅子を運んだ。
トキサは十八歳。共同工具が右利き用なので、柄を逆向きに削った左利きの若者だった。長く立つと腰へ痛みが出るのに、座ることを弱さと思い、九本柱の小椅子を自分で抱えてきた。足首には幼いころの安全縄痕が輪になっている。
小椅子を下ろす前に耳たぶを一度引いた。評議の椅子より、まだ入っていない避難者を気にしているときの癖だった。
「一本足りないぞ」とカナタ。
「十本目は、座る人の足」
「壊れたら?」
「立つ」
「強い!」
十本の雨桁から代表が一人ずつ。
一ノ桁、飲雨師。
二ノ桁、ナエ。
三ノ桁、雨薬師。
四ノ桁、塩雨採り。
五ノ桁、炉守。
六ノ桁、染雨師。
七ノ桁、養雨師。
八ノ桁、洗雨機巧師。
九ノ桁、記雨守。
十ノ桁、返雨塔のカサネ。
余滴窪から、アマネ。
センは記録係。
右眉の中央が一筋だけ途切れ、札を色ではなく切り欠きで見分ける。幼いころ左手を右へ直されたが、怒ると筆が左へ戻る。今も十一行目を書いたのは左手だった。
咳の持病があり、笑いと咳が混じる。危険時だけ唇を噛んで止めるため、記録板の端に小さな血がついた。センはそれも消さず、《記録者の体調・要確認》と欄外へ書く。
最初の帳面には十行しかない。
ルゥが十一行目を継ぎ足した。
「議題」
カサネが言う。
「天攫潮まで九刻。十重返雨式を実施するか」
「する」
一ノ桁。
「飲み水がなくなる」
「する」
三ノ桁。
「薬草が枯れる」
「苗雨を同量にしないなら」とナエ。
「今の計画では同量」とカサネ。
「なら反対」
「九本しかない苗雨を、式へ入れなければ二ノ桁は乾く」
「飲雨を足して同じにしたら、芽が薄くなる」
「枯れるよりよい」
「どの畑が枯れるか、見た?」
「全体を見ている」
「一本ずつ見てない」
ナエは九本の瓶を机へ置く。
「今日、足りないのは一本。大返雨で全部薄めたら、明日足りないのは全畑」
洗雨機巧師が言う。
「塔の亀裂は二十七。違う重さをそのまま入れれば破裂する」
ルゥが繰上枡の模型を置く。
「器の高さをそろえる。中身の量はそろえない」
「物理枡は間に合わない」
「標術で空白を支える」
「誰の?」
全員がアマネを見る。
空色の旗には、まだ標術がない。
「私の力が出る前提で町を賭けないで」
アマネは言った。
「正しい」とザンバ。
「では、今ある力だけで九割を救う」
カサネの声は硬い。
「余滴窪の避難は?」
トキサが訊く。
片足へ重心が偏り、非利き手が自分の札を探していた。余滴窪の避難者が全体計算で切り捨てられる場面では、過剰に数え、ひとりで全員を救助扱いしてしまう癖が出る。
「僕が運ぶ、じゃない。まだ誰が歩けるか、本人へ聞いた?」
権威へ問いながら、自分も選択を奪わないよう言い直した。
「八組まで完了」
「残り」
「四人」
「赤子を数えた?」とセン。
自分で問う。
カサネが見る。
「届け出前」
「現在、いる」
センは罫線の外へ名未確認と書いた。
「残り五人」
評議の十人が、十一席目を見る。
アマネは記雨瓶を机へ置く。
「十年前の記録がある」
カサネの手が止まる。
「十滴そろった」
「今、開くのか」
「式の前に」
「町を救う判断と、過去の責任は別だ」
「叔母さんが別にした」
「今は時間がない」
「十年前も、そう言った?」
カサネの顔が固まる。
ナギが間へ入る。
「記雨を見るか、見ないか。返事を」
カサネは瓶から目を逸らさない。
「式のあと」
「あとへ回す?」とカナタ。
「町が残らなければ、記録を見る者もいない」
「町が残っても、余滴窪が消えたら?」
「避難させる」
「五人」
「次の箱へ」
「次の箱は、いつ?」
カサネは答えない。
ザンバが灰旗を机へ置いた。
「途中だけ、俺の岐点を使うと言ったな」
「ああ」
「最後に一つへ戻すなら、貸さない」
「町が落ちる」
「分けた道を、持ち主へ返すなら使う」
ルゥも銀鋲を置く。
「違う雨を違うままつなぐなら」
ナギ。
「十の返事を一つの同意にしないなら」
カナタは白旗を握る。
「全部助ける道を――」
言いかけて止まる。
全部。
その言葉で、一つへまとめようとしていた。
「今いる人と、今ある雨を数える」
五番目の言葉へ直す。
「それから、作る」
カサネは四人を見る。
「九刻で、繰上枡を作れるか」
「完成は無理」とルゥ。
「未完成なら?」とアマネ。
「一回ぶんの仮設なら」
「次稿」とカナタ。
「四番目!」
「覚えてた!」
「失礼!」
カサネは目を閉じる。
「仮設案を六刻までに出せ」
「余滴窪の閉鎖は?」
「保留」
「避難は?」
「続ける」
「十人単位?」
センが自分の旗を見る。
「現在人数単位へ変える」
「規則にない」とカサネ。
「評議で記録する」
十一行目へ書く。
――避難箱、現在人数で運行。
カサネは消さなかった。
評議は全員賛成では終わらない。
条件つき。
保留。
反対。
それでも、次の六刻まで一緒に作ることは決まった。
評議のあと、第一歩号の四人は船倉へ集まった。
机には、繰上枡の模型。
十本の雨路。
連標網の十本の響路。
カゲノハ村の十一枚目の地図。
「船長」
ナギが言った。
「式に参加する?」
「する」
「一つの雨にされても?」
「させない」
「方法」
「今から作る」
「前と同じ」
カナタは黙る。
九番目で、反対を聞きながら前へ行った。
今はまだ、道を出していない。
「決める前に聞く」
カナタの右足はもう半歩前に出ていたが、白旗は中央ではなく端を持ったまま。ルゥは痛む親指へ細い固定帯を巻き、銀鋲を七本だけ机へ置く。ナギは左右の鈴を離し、ザンバは椅子を壁へ背を向けない角度へ二度ずらした。
四人とも、言葉より先に出る癖が違う。だから同じ「手伝う」へ、同じ体で立ってはいなかった。
ナギが頷く。
「私は、十の響路を一つへつながない」
「でも力は借りる?」
「一か所ずつ役目を渡す」
「時間がかかる」
「もう返事はある」
「八番目だけ保留」
「最初を決めてないから」
ルゥが模型を回す。
「私は仮設の繰上枡を作る」
「間に合う?」
「物は無理。道と銀糸で一回」
「壊れたら?」
「次稿へ渡す前に全員落ちる」
「怖い!」
「だから、あんたの未踏路を途中で勝手に伸ばさない」
「カサネが伸ばしたら?」
「切る」
ザンバが答える。
「終点?」
「岐点」
「分ける?」
「カサネの道と、俺たちの道を」
「敵になる?」
「判断が違えば」
カナタは三人を見る。
「町を助けるのは同じ」
「同じ目的でも、同じ道とは限らない」とルゥ。
三番目の旗。
「それでも、決戦中に分かれたら危ない」
「再会点を置く」とナギ。
「三番港へ頼む」
「全部、前の旗を使う?」
「使うために持ってるんじゃない」
ルゥは小旗を一本ずつ見た。
「必要な役目が、もうあるから使う」
「十番目の総力戦!」
「まとめないで」
「言い方!」
ザンバはカゲノハ村の地図を指した。
「お前の行き先は、式のあとも未確認だ」
「千声湖!」
「帰還門」
「そのあと!」
「何回、あとへ回す」
「今は逆雨原!」
「今の話だ」
カナタは空白の到着欄を見る。
「帰りたいか」とザンバ。
「帰りたい」
「なら、なぜ帰らない」
「まだ行きたい場所がある」
「両方は選べん、と言えば怒るか」
「怒る!」
「なら、順番を選べ」
「次へ行ってから」
「それは選んでいない」
ルゥが静かに言った。
「帰郷を、余滴蔵へ置いてる」
カナタの胸に、言葉が刺さる。
「捨ててない!」
「次の十個がそろったらって言ってる」
「帰る場所はなくならない!」
「今の村は変わる」
ナギが言う。
「返事も、ずっと同じじゃない」
「アカリはいる!」
「今は」
その一言を、カナタは否定できなかった。
父の帰還路は、古い声を何度でも返す。
生きた返事は、今日しかない。
「式が終わったら」
カナタは言った。
三人が待つ。
「帰るかどうか、決める」