第224話 第四章「連標網の十番目」後編

「違う雨が一つへ流れたら、分岐まで戻す方法を借りたい」

『戻した履歴を消さないなら、受け取った』

ほかの六地点にも、同じように三つの問いを送る。

トマリギ島は、帰る場所を雨桁ごとに決めることを条件にした。

三番港は、別々の着地点を一つへ潰さないことを求めた。

ミナモは、試作を完成品として配らないよう釘を刺した。

迎え岸は、余滴の側から来る一歩ぶんを先に空けるよう返した。

双灯港は、式を終える条件を決めろと言った。

歩雲群ヤエだけは、返事を保留した。

『誰が最初に踏む』

カナタが口を開く。

「俺――」

「まだ決めてない」

アマネが先に答えた。

薄青い輪番鐘が、少し間を置いて返る。

『決めたら、もう一度呼んで』

「全員賛成ではない」

ナギは九枚の許可札を、一本の紐で束ねた。

紙は重ねない。

条件も消さない。

「でも、八か所は貸すと言った」

カサネが鐘台へ来る。

「八つの標力を一つへ集めれば足りる」

「集めるのは力じゃない」

ナギは札を一枚ずつ持ち上げた。

「現在図。点呼。折返し。帰着点。再会点。次稿。空白。終わり。役目が違う」

「結果として、塔を支える」

「結果が同じでも、許可した範囲は同じじゃない」

カサネは黙った。

返雨塔の古い式では、十本の雨路を一つの量へ換えていた。

連標網まで同じように扱えば、誰が何を貸したか分からなくなる。

「許可札を機関へつける」

ルゥが提案した。

「一つでも条件を外れたら、その線だけ切れる」

「式の途中で?」

「途中だから」

ザンバは灰旗の石突を鳴らす。

「切れた線を、反対と決めるな。範囲外だ」

ナギが帳面へ書く。

――逆雨原。十番目の固定結節。

――受取、コウネ、アマネ、交代制。

コウネは六ノ雨桁から持ってきた小鍵を、ポケットの中で二回だけ鳴らし、三回目を指で止めた。十年前に鳴らせなかった十音目の鐘槌も、腰の同じ位置へ下げている。低く擦れた声で「受取」と言う前、見習い三人の名を一人ずつ確認した。

今度は、正しい一人の鐘守として覚えられるより、三人へ仕事を渡した面白い人として覚えられたい。それはまだ誰にも言っていない。

――外部許可、用途別。

――歩雲群、先頭未決のため保留。

アマネは十番目の結節鈴を鳴らした。

十回ではない。

一滴。

二滴。

三滴目は少し遅く。

十滴目の場所を空ける。

「余滴拾いアマネ。現在、十ノ雨桁」

「行き先は?」

「まだ決めてない」

「受け取った」

十番目の結節が光る。

十個の音は、一つの大鐘にならない。

帆柱から下がる細い響路は、長さも、色も、許された仕事も違う。

その外側へ、第一歩号の移動鈴が一つ。

網が広がったぶん、持つ手も増えた。

「返雨評議を開く」

カサネが言う。

「十脚?」とカナタ。

「十本の雨桁から一人ずつ」

「余滴窪は?」

アマネが訊く。

カサネは一呼吸遅れた。

「最後へ足す席にはしない」

「じゃあ?」

「円卓を外す。最初から同じ輪に入れる」

まだ約束にすぎない。

アマネは頷かなかった。

「席を見てから返事する」

「受け取った」

今度は、カサネがその言葉を使った。

連標網の十番目が鳴り始めた夜、ナギは眠らなかった。

第一歩号の船倉に、十個の鈴を円く並べる。

カゲノハ村。

トマリギ島。

三番港。

ミナモ。

無灯泊。

迎え岸。

双灯港。

歩雲群。

星脈市。

逆雨原。

その外側へ、第一歩号の移動鈴。

さらに、六ノ雨桁の響雨から届く十種類の声。

ナギは一つ鳴るたび、帳面へ書いた。

「現在」

ちりん。

「記録」

からん。

「未確認」

音のない欄へ、空白を残す。

夜半を過ぎるころ、透明な受け皿に細い亀裂が入った。

「割れた!」

カナタが飛び起きる。

「道具のほうが疲れた」

ナギ自身の舌には金属の味があり、片耳の奥で鈴ではない高音が続いていた。左右の耳栓を逆に付けかけ、ルゥが手を止める。

「道具じゃない」

「知ってる」

知っていて、なお一人で抱えようとした。ナギは五拍数え、現在鈴をコウネへ、緊急鈴をツグミへ渡した。自分は未確認と聞き直しだけを持つ。

「それで割れるのか!」

「器が小さい」

「大きくする!」

白旗を抜く。

ルゥが旗竿を掴んだ。

「音を載せる場所を増やしても、聞く耳はナギ一人でしょ」

「俺も聞く!」

「今、三つ鳴った。何て言った?」

「……帰ってこい?」

「一つ目は薬雨の濃度。二つ目は無灯泊の現在確認。三つ目はあんたのお腹」

「腹も返事する!」

「食べて寝て」

ナギは受け皿を手放さない。

「寝た間に来たら」

「記録輪へ残る」とルゥ。

「生きた返事は、同じ音で来ない」

「起きたら聞き直す」

「その間に、向こうがいなくなったら?」

声が小さくなった。

七年前。

ナギは母の返事を待ち続けた。

聞こえなかったのか。

聞かなかったのか。

今でも、その違いを簡単には扱えない。

「全部を聞くまで眠らないつもりか」

ザンバが船倉の入口に立っていた。

「全部じゃない」

「今いる声だけ」

「今は、次の瞬間に増える」

灰旗の石突が、鈴の円の外側へ置かれる。

「一人で聞かなければ、返事にならないのか」

「違う人が聞いたら、分け方が変わる」

「変わってはいけないのか」

ナギは答えなかった。

変われば、間違えるかもしれない。

けれど、ナギ一人が倒れれば、すべての声が止まる。

それも、トマリギ島で見た輪と似ていた。

帰る場所が一つだけになり、ほかの道を吸い込んだ輪。

聞く者が一人だけになれば、返事もその耳へ戻り続ける。

「分ける」

ルゥは作業台へ十一本の細い枝を並べた。

「音を?」

「聞く役目を」

銀鋲で枝の根元をつなぐ。

同じ一本にはしない。

十一本の先へ、小さな鈴受けを作る。

《分聴架》

「名前が完成してる!」とカナタ。

「今つけた」

「俺もつけたかった!」

「鍋蓋になるから嫌」

「音を受ける鍋蓋!」

「台所!」

ルゥは十一本へ札を下げた。

現在。

記録。

未確認。

緊急。

返事待ち。

「一つの鈴に、一つの場所じゃないの?」

ナギが訊く。

「場所は変わる。役目を固定する」

「現在の鈴を、誰が聞く?」

「今いる人」

ルゥは船倉の外を指した。

六ノ雨桁の鐘守コウネ。

渡雨使ツグミ。

余滴拾いのアマネ。

第一歩号の四人。

「遠い場所は?」

「向こうでも分ける」

ナギは連標網へ呼びかけた。

「聞く人を、一人にしない」

最初の返事は、カゲノハ村だった。

『現在受取、アカリ』

次に、トマリギ島。

『始標鐘、二人交代』

三番港。

ミナモ。

無灯泊。

場所ごとに、違う言い方が返る。

誰も、同じ仕組みにはしなかった。

それでも、受け取る者の名が一つずつ増えた。

最後に、カゲノハ村から小さな包みが送られてきた。

連標網を通る物は、まだ指先ほどの重さまで。

包みの中には、薄い木札が一枚。

表に、黒い字。

――ザンバへ。

「監視役じゃない!」

カナタが木札を掲げる。

「返せ」

ザンバは即答した。

裏には、さらに字がある。

――発着場の屋根板、未払い。

――祭壇前の石畳、補修費。

――十年前の分は、村長と相談中。

「請求書!」

「返せ」

「名前で来たぞ!」

「見れば分かる」

ナギの鈴へ、アカリの声が届く。

『宛先、現在確認。ザンバ』

「間違ってる」とザンバ。

『監視役は役目。請求する相手は名前』

カナタが笑う。

「帰ったら払え!」

「お前の船が壊した分だ」

「一緒に払う!」

「まとめるな」

ザンバは木札を取り上げた。

捨てない。

灰色の外套の内側へ入れる。

「返事は?」

ナギが訊く。

「不要だ」

『受取確認を』

アカリの声。

「規則が細かい!」とカナタ。

「お前の村だ」

ザンバは黙った。

遠くで、アステルの《帰還路》に残る古い声が重なる。

『たまには帰れ』

「記録」

ナギは別の鈴へ分けた。

ザンバは古い声の鈴を見た。

「お前は黙っていろ」

それから、現在の鈴へ向く。

「受領。支払いは――」

一度止まる。

「帰還後」

船倉が静かになった。

「帰還後!」

カナタが叫ぶ。

「請求の話だ」

「帰る話!」

「同じにするな」

ナギは返事を一つの大鐘へ送らなかった。

――ザンバ。

――現在、第一歩号。

――木札、受領。

――支払い、帰還後。

誰の返事か分かる形で、カゲノハ村へ返した。

分聴架の十一鈴が、それぞれ別の音で鳴る。

ナギは一度、全部を確認した。

現在の鈴はコウネ。

緊急はツグミ。

コウネは鈴を飲み物から指二本ぶん右へ置き、ずれるたび無言で直した。ツグミは片耳を塞ぎ、十管のうち今鳴った一本だけを指す。二人ともナギと同じ聞き方はしない。違う聞き方が残ることを、ナギは初めて安全として受け取った。

記録はルゥの記録輪。

未確認は空白のまま。

「寝る」

ナギは言った。

「今?」とカナタ。

「今だから」

床へ毛布を敷く。

「返事が来たら?」

「誰かが受け取る」

「俺?」

「札どおりに」

「読める字だけ!」

「起こして」とルゥ。

「結局ナギじゃない!」

「一人じゃない」

ナギは目を閉じた。

鈴は鳴り続ける。

一つの耳へ戻らず。

十一の場所で、十一の受け手が現在を確かめた。

ナギが眠っている間も。

道は、返事を失わなかった。