第226話 第五章「返雨評議」後編

「次の土地を見てからじゃなく?」とルゥ。

「逆雨原で」

「受け取った」とナギ。

「逃げたら?」とザンバ。

「旗竿はなし!」

「最初は言葉で」

「成長!」

四人の行き先は、完全にはそろわない。

それでも、今は同じ仕事へ向いた。

違う雨を残したまま、町へ返す。

そのあと。

カナタは、自分の帰る道を余りにしない。

三度目の警鐘が途中で切れた。

原因は六ノ雨桁の《合報輪》だった。

十本の警鐘を一音へまとめる輪の中で、響雨が詰まっている。

「水が詰まるのか?」

カナタが中央穴へ顔を近づける。

「声が多すぎる」

ナギは透明な受け皿を当てた。

水面へ、一つずつ音が浮かぶ。

『一ノ桁、苗床の北列が乾いて――』

『二ノ桁、飲雨の寝かせ日が足りない――』

『三ノ桁、緑薬雨と白薬雨が同じ管へ――』

『四ノ桁、炉雨の熱が戻らない――』

『五ノ桁、染雨の色札が剥がれた――』

『六ノ桁、返事なし一名――』

『七ノ桁、塩雨の濃度が――』

『八ノ桁、帰路灯が九つ――』

『九ノ桁、眠雨池の沈みが浅い――』

『十ノ桁、返雨先が重複――』

十声。

輪の中央から、一つの大きな警鐘が鳴る。

ごおん――。

「何が危ない音だ?」

カナタが訊いた。

鐘守コウネは答えられなかった。

低く擦れた喉が一度鳴る。嘘をつかず秘密を守るとき、コウネは黙る。だが今は、答えを知らない沈黙だった。腰の古い鐘槌を机へ二度当て、三度目を止める。

「全部の危険を、一音で知っていたふりをしていた」

欠けた前歯が見えるほど苦く笑い、最初の小鐘を受け取った。

「全部だ」

「どこへ行けばいい?」

「……全部へ」

「一つの鐘で?」

ナギは受け皿に残った十の波を見る。

「量は十。行き先は十」

ルゥは合報輪を外した。

内側には十本の細い溝。

全部が、出口の直前で一つの穴へ押し込まれている。

「目的が一つなら、悪い作りじゃない」

「褒めた!」

「今の目的は十個」

ルゥは中央穴へ銀鋲を打ち、十本の溝を出口の直前で分け直した。

《継ぎ路》

一つの大鐘ではなく、十個の小鐘へ。

低い一音。

三音。

二つの短音。

長い余韻。

違う鳴り方が、別々の方向へ走った。

「聞く人が足りない」とコウネ。

「増やす」

ナギは一つ目の小鐘を渡した。

「鐘守は鳴らす仕事だ」

「今日から、受け取る仕事もある」

「聞き損ねたら」

「未確認って返す」

「失敗になる」

「分かったふりよりいい」

コウネは小鐘を受け取った。

十本の雨桁を回る。

一ノ雨桁。

苗雨は、土から養分を拾って空へ昇る薄茶色の雨だった。

畑では、九区画の苗が葉を伏せている。十区画へ薄く分ければ、全部が一晩だけ濡れる。九区画へ一瓶ずつ返せば、一つは植え替えが必要になる。

苗守ナエは、土を一握りずつ確かめた。

色布を一枚かませた風眼鏡の下で、ナエは答えを探すとき左下の床傷を見る。右膝の古い落下傷で最初の一歩だけ遅れるが、土へ入れば左右の手を別々に使う。細工は右。苗床を持ち上げる力仕事は左。

九本しかないことを隠すため全畑へ薄く撒く案を、誰より早く思いつき、誰より強く拒んだ。自分も善意で同じ間違いを選び得ると知っているからだ。

「北列は根が深い。今夜は保つ。南九列へ返す」

「一つだけ少ない!」とカナタ。

「捨てない。北列の苗を南へ移す」

「畑が変わる」

「苗を生かすため」

同じ量を配ることが、同じ助けではなかった。

二ノ雨桁。

飲雨は透明だった。

ただし、十日寝かせて重さを抜かなければ、飲んだ者の足が一刻ほど地面へ貼りつく。

水番の少年が、九日目の樽へ《飲用可》札を貼りかけていた。

「一日くらい!」

カナタが樽を持ち上げる。

持ち上がらない。

「重い!」

「水も、待つ仕事をする」と少年。

十日目の樽は宿と避難所へ。

九日目は、明日の受取人名をつけて残す。

三ノ雨桁。

緑の薬雨は熱を下げる。

白の薬雨は傷を洗う。

紫は呼吸を楽にする。

色だけではない。寝かせる日、通した薬草、使う年齢で濃さが違う。

診療床では、熱を出した子どもと、炉で腕を切った職人が待っている。

緑七滴。

白三滴。

「合わせて十!」

「患者を合わせない」と雨薬師ヨモギ。

淡光眼鏡を額へ上げ、割れやすい親指の爪へ薄布を巻いている。低い囁き声は大勢には届かないが、患者一人へ向ければ明瞭だった。銀片を抜いた古傷が天候で痒み、本人は休憩を他人へだけ勧める。

「今止まるほうが危ない」

そう言いかけた自分へ、ヨモギは薬雨二滴の札を差し出した。患者別の手順へ、自分も患者として入れる練習だった。

七と三は、二人の必要量だった。

四ノ雨桁。

炉雨は、鍛冶炉を冷やした熱い水が空へ戻る雨。

太い管で熱を逃がしながら運ぶ。

飲雨と同じ管へ入れれば、管が割れる。

冷やしすぎれば、炉壁が縮み、翌月の農具が作れない。

炉守は十基の炉を一度に止めなかった。

「刃物炉は今夜まで。農具炉は火を落とす。修理炉は一基だけ残す」

「全部止めれば安全」とカナタ。

「明日の鍬がなくなる」

危険を避けることにも、明日の費用があった。

五ノ雨桁。

染雨は布の色を記憶する。

婚礼布の赤。

葬送布の白。

船団へ送る夜色。

同じ青でも、誰の家の色かを水が覚えている。

色札を外して一つへ混ぜれば、布は染まる。けれど、帰ってきた旅人が自分の家の旗を見つけられなくなる。

染師は一枚ずつ受取人の名を読み、色の雨を別の瓶へ移した。

「色って、道なんだな」とカナタ。

「見つける人がいるなら」とナギ。

六ノ雨桁。

響雨は鐘と声を水へ残す。

遠い返事。

作業の合図。

子どもの迷子札。

故人の固定記録。

全部、水の中では音になる。

だからこそ、一つの大鐘へ潰せば、今の返事と古い記録の違いまで消える。

コウネは新しい小鐘を三人の見習いへ渡した。

「現在」

「緊急」

「記録」

役目を分ける。

七ノ雨桁。

塩雨は雲魚を保存し、岸の塩田を守る。

濃ければ食べられない。

薄ければ、冬の保存食が腐る。

塩採りたちは、今夜の食卓だけでなく、三か月後の船荷を量っていた。

「今、薄めれば多く見える」とルゥ。

「冬に減る」と塩採り。

現在の量と、未来の不足を同じ札に書く。

八ノ雨桁。

灯雨は夜にだけ青白く光る。

帰りの遅い子ども。

診療所へ走る薬師。

雲底を直す作業員。

九つの灯しかない夜、十本目がそろうまで待てば、一つの橋が暗くなる。

灯守は、通行の少ない倉庫路を閉じ、九灯を人のいる道へ移した。

「道を一つ終える」とヨイから届いた終路札。

「閉じた道を、なかったことにしない」と灯守は記録した。

九ノ雨桁。

眠雨は、人を眠らせる雨ではない。

重さと不純物を沈め、水を休ませるための雨だった。

池を急に起こせば、底の煤と薬草滓が全部混じる。

眠雨守は、三池のうち一池だけを起こし、二池へ《次確認》札を残した。

「休んでる水にも、起こす順番がある」

ザンバの灰旗の小さな輪が揺れた。

十ノ雨桁。

返雨は、ほかの雨を一つの水へ変える雨ではなかった。

それぞれがどこへ戻るか、最後に向きを渡す場所。

返雨塔の古い式は、量だけを数え、行き先を後から決めようとしている。

「後から分ければいいと思ってた」

カナタが言った。

「後から、誰が?」とルゥ。

カナタは十本の雨桁を見る。

苗を移す者。

水を寝かせる者。

患者を選ばず、必要量を選ぶ薬師。

炉を止める責任を負う者。

色を名前へ返す者。

声を聞き分ける者。

冬の食料を数える者。

暗い道を閉じる者。

水を休ませる者。

最後の向きを決める者。

「町の人」

「今、言えた」とナギ。

十種類の雨は、十種類の生活を支えていた。

一つを間違えれば、水だけでなく、明日の仕事と、誰かの帰る道まで変わる。

そのとき、三ノ雨桁の小鐘が鋭く鳴った。

緑薬雨と白薬雨が、同量化の管へ縫われかけている。

「止める!」

ルゥが走る。

「俺が先!」

「道はある!」

「速い!」

「現場を聞いてから!」

「着いて聞く!」

「九番目を忘れてる!」

ナギの声を背に、二人は薬園へ向かった。

コウネは十個の小鐘を見下ろす。

一つの警鐘ではない。

十の危険。

十の受取人。

「受け取った」

今度は、どの音へ返した言葉か分かるように、一つ目の鐘だけを鳴らした。