第227話 第六章「十人乗り」前編
三ノ雨桁の薬園では、二本の管が一つへ縫われかけていた。
緑雨。
白雨。
別々なら熱冷ましと傷洗いになる。
同量化すると、どちらにも足りない薄い水になる。
「止めろ!」
カナタは管の前へ白旗を突いた。
「標術――《未踏路》! 別々の枡へ!」
二枚の光板が生まれる。
緑雨と白雨を別の受け皿へ導く。
「今は正しい!」
ルゥが追いつく。
「今だけ!?」
「受け皿が二つあるから!」
薬師のヨモギが、二つの水へ札をつけた。
緑。
白。
量は七滴と三滴。
「合わせて十!」
カナタが喜ぶ。
「合わせない」とヨモギ。
「十なのに?」
「使う人が違う」
隣の診療床。
熱を出した子どもへ緑雨。
腕を切った職人へ白雨。
七と三。
合わせれば十。
分ければ、二人に必要な量。
「十は、足し算だけじゃないのか」
「数は足せる」とルゥ。
「役目まで足す必要はない」
ナギの受け皿に、薬園の声が入る。
子どもの咳。
職人の礼。
水路の音。
返雨塔から、統一報告の雨が流れてきた。
『三ノ桁、処理完了』
一音。
「何が終わった?」
ナギが訊く。
ヨモギは二人の患者を見る。
「誰も終わってない」
統一報告では、薬園は一件として片づけられていた。
次に八ノ雨桁。
避難枡へ九人が入っている。
十人目を待つ札が赤く光る。
一人の老人が、枡の外で荷物を抱えていた。
「一緒に入れば十!」
カナタが老人の背を押す。
「私は九ノ桁へ行く」
「方向が違う?」
「娘を迎えに」
「じゃあ入れない!」
「数だけなら十になる」とナギ。
「行き先が違う」
九人の中にも、三ノ桁へ戻る者。
十ノ桁へ働きに行く者。
余滴窪へ家族がいる者。
同じ避難枡へ乗っても、降りる場所は同じではない。
「十人そろえれば安全じゃない」
ハコネが避難札を見つめた。
ハコネは三十二歳。左まぶたが疲労で小刻みに震え、手の甲の古い火傷は冷気で痛む。札の留め具を締め直すふりをして、怖い話から逃げる癖があった。
家族の誰かが枡へ入れないことを恐れるあまり、以前は十人目が近づいた時点で《完了》札を先に立てたことがある。慎重さが、到着していない人を着いたことにしてしまった。
「今は九人。老人は別路。完了ではないね」
否定するときだけ、語尾の「ね」を伸ばさなかった。
「枡が動く」
「動いた先で分かれる」とルゥ。
「途中まで一緒。それでいい」
銀鋲を避難枡へ打つ。
十人を一つの行き先にしない。
枡の中に、小さな降り口を三つ作る。
カナタは感心した。
「一つの船に、行き先が三つ!」
「第一歩号で真似しないで」
「便利!」
「船体が三つに裂ける!」
ナギは九人の返事を聞く。
一人ずつ。
老人は枡へ乗らない。
「未乗車」
札に残す。
統一報告の雨が来る。
『八ノ桁、十名避難』
「九名」とナギ。
「一名は別路」
返雨塔の報告と、現在が違った。
カサネは古い数え方を使っている。
十人目が枡へ近づいた時点で、避難完了と記録していた。
「まだ歩いてる人を、着いたことにしてる」
カナタの声が低くなる。
七番目の旗。
着くことと、終わることは違う。
「カサネへ言う」
「今、言っても式は止めない」とザンバ。
「じゃあ大きく!」
「先に、現在を集める」とナギ。
十一個の鈴を掲げる。
「一つの間違いを、声の大きさで十にしない」
その夜、連標網から十通の報告が届いた。
十通とも、書式が違った。
カゲノハ村は、帰還門の試験表。
トマリギ島は、往きと帰りを分けた二枚の鐘札。
三番港は、三人が別々に書いた三枚。
ミナモは、失敗欄のある次稿。
無灯泊は、返事ありと未確認を分けた点呼板。
迎え岸は、表と裏から読める一枚。
双灯港は、終えた便と保管中の便を別欄へ置く。
歩雲群は、八つの町から一行ずつ。
星脈市は、現在の青脈図と保存する旧中央脈図。
十通目は、第一歩号からカゲノハ村へ返す報告だった。
ナギが書く。
――現在地、逆雨原。
――正式雨桁、十。
――余滴窪、一地域。
筆が止まる。
「十一番目?」とカナタ。
「そう書くと、十の外へ足したみたいになる」とアマネ。
「一なら最初みたい」とナギ。
ルゥが横へ欄を増やした。
――正式体系との関係、未決定。
――現在地としては確認済み。
「分からないって送るの?」
「分からない場所まで、分かった形へ入れない」
十通は、一枚の報告書へ写さなかった。
センは紙の色を見分けにくいため、十通の端へ別々の切り欠きを入れた。咳を一度こらえ、罫線の外へ《束ねた順番も記録》と書く。形へ現実を合わせないための工夫が、今度は手順を増やしすぎて読む者を迷わせる。
「分からないところは、分からないままでいい欄も要る」
自分が誰かに言ってほしかった言葉を、最初に次の読者へ残した。
外側を一本の紐で束ねる。
中の紙は、違う形のまま。
カナタは表へ大きく書いた。
――ここまで。
「終わった?」とルゥ。
「まだ!」
「じゃあ、《ここまでの途中》」
「長い!」
「正確!」
アマネは束の端へ、小さな札を足した。
――次に読む人、返雨評議全員。
報告を残すだけでは足りない。
誰が受け取り、いつ判断するかまで書いて、初めて次へ渡せる。
返雨式を手伝うか。
第一歩号の四人は、初めて別々の答えを出した。
「手伝う」
カナタ。
「条件つき」
ルゥ。
「今の計画には手伝わない」
ナギ。
「途中まで」
ザンバ。
「ばらばらだ!」
カナタが叫ぶ。
「三番目の旗」と三人。
「覚えてる!」
「顔に出てない」とザンバ。
カナタは甲板へ四本の線を引いた。
「手伝うのは同じだろ!」
「ナギは違う」とルゥ。
「町が乾くのは止めたい」
ナギは響路旗を膝へ置く。
「でも、外の十結節を一つの標力として渡さない」
「力が足りない」
「足りないことにする仕組みへ渡さない」
「じゃあ俺が補う!」
「また全部、自分へ載せる」とザンバ。
「できる!」
「できるかではない」
ザンバは灰旗の九本線を見せた。
「何を切るか、誰が決める」
「切らない!」
「十本を一つへ入れるとき、入らないものが出る」
「広げる!」
「どこまで」
「全部入るまで!」
「入れたものの違いは」
「あとで分ける!」
「あとで、を誰が引き受ける」
カナタは答えに詰まる。
ルゥが白い帳面を開いた。
「私の条件」
一。
十本の雨路を別々に接続する。
二。
由来札を塔の中まで残す。
三。
余滴窪の受け皿を先に作る。
四。
式を止める条件を決める。
「四つ?」
「増やせる」
「十個にしよう!」
「数を合わせない!」
ナギも帳面へ書く。
「私の条件」
一。
十結節の返事を別々に保つ。
二。
返事のない場所を、賛成に数えない。
三。
余滴窪の現在を常に聞く。
「三つ!」
「必要な数」
ザンバ。
「俺は、分けた道を最後に一つへ戻さない」
機巧腕の接続部が赤く腫れ、雨圧で幻肢痛が強くなっていた。それでもザンバは右腕を使わず、生身の左手で条件紙をカナタへ渡す。壊す手ではなく、受け取る手から始めるためだ。
「途中で俺が切る必要が出たら、先に三人へ言う。最適な一本を一人で決める癖へ戻らない」
「一つだけ?」
「十分だ」
カナタは自分の条件を考えた。
「全員を助ける」
「条件じゃない」とルゥ。
「目的!」
「方法は?」
「一歩ずつ!」
「誰の一歩?」とナギ。
また答えが止まる。
アマネが甲板の縁に立っていた。
話を聞いていたらしい。
「私の条件も入れて」
「一緒に手伝う?」
「まだ」
「何だ?」
「余滴窪を、正式雨路へ入れない」
「入れない?」
「十一本目として押し込まない」
「じゃあどうする」
「分からない」
「条件なのに!」
「分からないから、先に空ける」
六番目の旗。
向こうから来る一歩のため、場所を空ける。
カナタは白旗の中央を見る。
「空けるだけで助かる?」
「空けないと、何も受け取れない」
ルゥは四人とアマネの条件を、一枚へ書かなかった。
五枚。
並べる。
「カサネへ持っていく」
「一つにまとめなくていいのか?」
「束ねる」
十通の現在報告と同じ。
外側の紐だけ一本。
中の違いは残す。
カナタは五枚を持った。
「俺の紙、短い!」
「方法を増やして」
「今から!」
余滴窪へ下りる昇降箱は、十人乗りだった。