第20話 第十章「朝のあと」後編
カナタは朝火炉を大きくし、上へ進む力を増やしたがった。
「速ければ、全部の危険を追い越せる!」
「止まれない危険が増える!」
ルゥは炉を小さくし、代わりに帆と舵を増やした。行き先を途中で変えられる船にするためだ。
ザンバは船腹へ、緊急時に一部だけ切り離す灰色の板を要求した。
「切る前提で造るな!」
「終わらせる場所を決めなければ、一つの故障で全部を失う」
「直せばいい!」
「直すまで生き残る板だ」
最後にルゥが設計台を三つに分けた。
船首――カナタ。ただし炉の上限はルゥが決める。
機関と舵――ルゥ。
外海索と緊急板――ザンバ。ただし切断には二人の確認が要る。
「船長なのに上限がある!」
「船員が生きてる範囲が上限!」
南橋の古板。色も大きさも違う二枚の帆。トウヤが三回分の《昇標》を封じた《昇風筒》。フィオが帆へ開けた、乱気流を逃がす風穴。
「せっかくの帆に穴!」
「破れる前に、風の行き先を分けるの」とルゥ。
「格好いい穴!」
オウギは五つ穴の現標板を地図台へ埋め込み、アカリはその横へ《未返事》と《受領済み》を分ける棚をつけた。セルクの規則板には、船長が航路士の指示を聞くことと、監視役が船長を投げる前には二人へ確認することが書かれた。
「確認すれば投げるのか!」
「状況による」とルゥ。
ザンバも監視の下で、外海用の索、喰路獣に噛まれにくい船腹、船体の一部だけを切り離す緊急板を図へした。
「炉が爆発するなら、船首を切る」
「船首には俺がいる!」
「先にどいて」
終わらせる場所を先に決めることで、残す船体も分かる。ルゥは緊急板を灰色の線で設計へ入れた。
船が形になり始めたころ、上層の行商人が逆さ銀樹の落ち枝を持ち込んだ。重さの向きを一呼吸だけ変える、本物の銀枝だった。
値は帆三枚ぶん。カナタは貯金袋を差し出したが、ルゥは押し戻し、壊れた滑車三台と行商船の風留めを直して手に入れた。
三日後、設計図へ透明な羽根が加わる。
「これで逆さ銀樹へ行ける?」
「これだけじゃ無理。それに、最初の寄港地にするかは私が決める」
「じゃあ、その日に聞く!」
「先に聞いて」
「聞く!」
船の完成が見えてきたころ、村でザンバの扱いを決める会議が開かれた。
残す。
上層へ引き渡す。
拘束を続ける。
村を出す。
意見は分かれた。
「船へ乗せる」
カナタが言うと、最も大きな反対の声が上がった。
「朝火を盗んだ男だぞ!」
「また道を切る!」
「外へ出せば逃げる!」
アカリは弁償板を開いた。
三軒の家は直った。
南橋も。
苔玉は二十四個のうち十七個まで育て直した。
泣いた子ども十九人は、十一人まで減った。
数字にできない欄は空白のまま。
「弁償は終わってない」
「だから連れていく」とカナタ。
「村から逃がすのと同じじゃない?」
「外で稼いで返す!」
「本人は?」
アカリがザンバを見る。
カナタではなく、本人へ聞く。
「どうしたい?」
ザンバは長く黙った。
「天頂門の向こうを見たい」
村人たちがざわめく。
「でも、今すぐ一人では行かん」
「なぜ」
「俺の《終点》は、まだ何を残すか知らん」
裂けた旗を開く。
灰色の糸。
黒い点。
線はない。
「外の道を見ながら、使い方を選び直す」
「カナタを監視する?」
「主に」
「俺だけ!?」
「壊す量が多い」
「お前が言うな!」
村長は会議を一度打ち切り、翌日もう一度開いた。
セルクは会議記録を二冊に分けた。
一冊は処分と規則。
もう一冊は、例外と今後の監視。
「許可したと書けば英雄化する。禁止したと書けば、実際に必要な知識を消す」
太い眉を片方ずつ動かし、最後まで判定権の重さを引き受けた。
最後に決まったのは、許すことではなかった。
ザンバを第一歩号の監視役として出す。
喰路獣と古い上道を知る者として航路を見張り、同時に、灰旗を使う本人もルゥと村の記録によって見張られる。
カナタが一人で全員の行き先を決めようとしたときは止める。
ザンバが勝手に道を切ろうとしたときは、ルゥが緊急板を封じる。
行き先と現在地を定期的に村へ送る。
得た報酬の一部を復旧へ返す。
戻ったとき、弁償板を更新する。
逃げれば、セルクが上層港へ手配する。
「監視される監視役」
ルゥが言う。
「適切だ」とザンバ。
アカリは出航時の数字を弁償板の裏へ写した。帰ったとき、増減も含めて更新するためだ。
第一歩号の船名を決める会議は、三呼吸で終わった。
「最初の一歩!」
カナタが叫び。
「そのまま船名にしないで」とルゥが止め。
「もう船首に彫った」とハルガが示した。
板には大きな文字。
――第一歩号。
「師匠まで!」
「消すか?」
ルゥは船体を見る。
村中の余りと、違う形と、途中の仕事を集めた船。
「残す」
「決まり!」
カナタが胸を張った。
「俺の船!」
「私が造った船!」
「村の船」とアカリ。
「弁償対象」とザンバ。
「最後だけ違う!」
誰のものか一つに決められないまま、第一歩号は完成へ近づいた。
その日の朝、アカリは初めて一人で村の外へ配達に出た。
正確には、一人ではない。
南橋まではフィオ。
逆さ滝の入口まではトウヤ。
滝の中腹ではセリが待つ。
天頂門の保守所にはオウギがいる。
誰かと誰かの区間を重ね、一つの荷物を上へ渡す。
アカリが一人で全部を運ばなくても、配達はアカリの仕事だった。
「荷物、確認!」
アカリはへこんだ角を親指で三度なぞり、左手で薬箱を開く。受取人名を書いた札だけ、角を丸く切ってある。
朝火の予備粉。
現標札、二百枚。
ルゥが直した銀鋲。
南橋の新しい地図。
マツバ婆の薬。
オウギへ、脚を冷やす布。
その布には《分からないことを分からないまま持つ》と、アカリが小さく書いた。オウギが誰かに言ってほしかった言葉を、説明せず荷物へ紛れ込ませる。
セリへ、弁償板の写し。
「最後は何?」とフィオ。
「逆さ滝で壊した保守棚」
「カナタたちの?」
「主にカナタ」
「本人は?」
「船を造ってる」
「弁償する人が増えた」
アカリは薬箱の蓋を閉じる。
以前より重い。
熱を出して寝ていた日の箱と同じものなのに、入っている役目が違う。
南橋の途中で、昔の細い縄が風に揺れた。
現在の広い板道の中央へ残したもの。
アカリは縄を踏まない。
横へ立つ現標札を確認する。
――南橋、通行可。
――補修板、北側二枚。
――次回更新、三日後。
「今の橋」
声に出し、一歩を置く。
橋は昔の記憶へ変わらない。
フィオは橋の端で止まった。
「ここから先は、私の風が逆さ滝に合わない」
「分かってる」
「怖くない?」
「怖い」
アカリは薬箱のへこみを親指でなぞった。怖さを記録から外さない。
「カナタなら、怖くないって言う」
「嘘」
「本人は本気」
「もっと危ない」
フィオは笑い、翼旗から細い風を一つ渡した。
薬箱の底に、小さな風袋を結ぶ。
「落ちたら開けて」
「落ちる前は?」
「叫ぶ」
「誰を?」
「今いる人」
逆さ滝の入口で、トウヤが待っていた。
以前は上へ行くためだけに使っていた《昇標》を、今は下降の支えにも使える。
足場を上へ押すのではない。
アカリにとっての上を、一歩ずつ作る。
「俺が先に行く」
「道を知ってる?」
「三回通った」
「落ちた?」
「二回」
「先、任せて大丈夫?」
「一回は落ちてない!」
トウヤは鼻を掻き、左右で違う靴紐を結び直した。速さより戻る風を覚える途中だと認める代わりに、三度同じ道を確認する。
「セリを待つ」
「正しい」
格子旗が風の中から現れる。
セリは細い保守籠に乗り、上下の気流を四角へ分けていた。
「配達見習い!」
「アカリ」
「へこんだ薬箱!」
セリは嘘をつくと髪の毛先を一本だけねじる。今も「覚えてる」と言いかけて、その一本へ触れた。
「名前で覚えて」
「今覚えた!」
セリは籠を入口へ寄せる。
「一人で来た?」
「区間ごとに一緒」
アカリは少しだけ胸を張った。全部を背負わなくても、自分の仕事と呼べることを覚えた。
「いいね。風路守も同じ。全部の風を一人で見ない」
トウヤが乗ろうとする。
「定員二人」
「俺とアカリ!」
「荷箱で一人分」
「物!」
「重さは同じ」
「次の籠を三呼吸で戻す。待てる?」
「待つ!」
トウヤは即答した。
アカリとセリが逆さ滝へ入る。
風が地面になり。
天井が横へ落ちる。
薬箱が腰を引く。
「重い!」
「大事な物から重く感じる!」
「本当に?」
「今考えた!」
「カナタみたい!」
「不吉!」
中腹で、金色の家が現れた。
アカリの病室。
枕。
水桶。
薬を待つ自分。
『戻って』
幻の少女が言う。
『外は危ない』
薬箱が、そちらへ引かれる。
セリには見えていない。
「何がいる?」
「昨日の私」
「どこ?」
「今はいない場所」
アカリは薬箱を五回叩く。
こん。
こん。
こん。
こん。
こん。
セリが保守籠の床を五回返す。
現在の風。
現在の籠。
現在の二人。
「行き先!」とセリ。
「天頂門保守所!」
病室は風へほどけ、薬箱のへこみだけが残った。
保守所へ着くと、オウギは片脚を机へ載せていた。
「遅い」
「初めて」
「初めてでも荷は待たん」
「受け取る人は待ってた」
「口が回るな」
アカリは一品ずつ渡す。
オウギは現標札を数え、百九十九枚で止めた。
「一枚足りん」