第21話 第十一章「返事の鐘」前編
「途中の病室に置いた」
「なぜ」
「昔の場所と今の道を分けるため」
「なら配達済みだ」
弁償には加えなかった。
天頂門の横には、小さな保守所が建っていた。
セリとオウギ。
上層港から来た作業員。
カゲノハ村の職人。
違う場所の人々が、アステルの旗を一人へ任せないため交代で働いている。
入口の地図には、カゲノハ村から上層港までの線。
まだ途中が多い。
「便りは?」
アカリが訊く。
「上層港へは一日一便」
「もっと先は?」
「雲船次第」
「返事が来たか分かる?」
「船が戻れば」
「戻らなかったら?」
「次の船が探す」
「音だけ先に送れない?」
オウギが片眉を上げる。
「帰還路は村と門の間だけだ」
「現標札を次の港へ置けば?」
「アステルも試した。遠すぎると記憶が混じる」
「記憶じゃなく、同じ合図だけ」
薬箱を五回叩く。
「今、ここ」
「鐘か」
「小さいのを二つ。片方が鳴ったら、もう片方が返す」
「標力が届かん」
「届かないところが分かる」
「それで何になる」
「次の鐘を置く場所」
オウギはしばらく少女を見る。
「作ってみろ」
「材料」
「自分で探せ」
「保守所の余りは?」
「最初から狙っておったな」
「配達代」
オウギは折れた白杭と、使い切った銀鋲の頭を渡した。
帰りの薬箱には、届けた物の代わりに新しい材料が入る。
空になって戻るのではない。
行きと帰りで、違うものを運ぶ。
アカリは保守所の地図へ、自分の名前を書いた。
――アカリ。
――天頂門保守所。
――次、カゲノハ村機巧小屋。
――目的、返事の鐘。
五つ目の穴へ、オウギが指で五回返す。
初めての村外配達は、受取人の返事まで終えた。
第一歩号の出航を二日後に控えた夜。
アカリは機巧小屋で、二つの小さな鐘を作っていた。
材料は、カナタが薬を届けたときに割った鍋の縁。
天頂門で折れた白杭の欠片。
ルゥが使い切った銀鋲の頭。
どれも一つでは役に立たないものばかり。
「鐘にするの?」
ルゥが覗き込む。
「叩いたら返事が来るやつ」
「そんな簡単な機巧はない」
「帰還路なら震えを運ぶ」
「今は村と門の間だけ」
「第一歩号に、白杭を入れる」
「遠くへ行ったら切れる」
「じゃあ、切れた場所が分かる」
「それだけ?」
「切れても、向こう側があるって分かれば、またつなげる」
ルゥの手が止まった。
「二つで一組」
ルゥは鐘を一つ持つ。
「片方を村。片方を船」
「五回叩く」
「今、ここ」
「返事も五回」
「聞こえなくても?」
「叩く」
アカリは頷いた。
「待ってるだけにならないように」
ルゥは工具帯から、最も細い銀糸を出す。
二つの鐘の内側へ、一周だけ巻いた。
「《継ぎ路》」
銀糸が淡く光る。
片方を叩く。
こん。
もう片方が、ほんの少し震えた。
音は鳴らない。
けれど、掌には伝わる。
次の瞬間、南橋に置いた現標札まで、同じ一音で震えた。
「宛先を間違えた!」
アカリが立ち上がる。
「古い橋の札へ引かれた」
ルゥは銀糸を外した。
「今は村の中でも、どこへ返るか選べない。遠距離通信なんて呼べる段階じゃない」
「じゃあ、返事の試験」
「それなら合ってる」
「まだ弱い」
「最初だから」
「遠くへ行けば消える」
「次に直す」
「誰が?」
「私」
アカリは迷わなかった。
「村から、新しい鐘を送る」
「どうやって?」
「配達する」
「世界の果てまで?」
「道を増やす」
ルゥは少し笑った。
「カナタみたいになってきた」
「壊さない」
「そこは似ないで」
小屋の入口から、カナタが顔を出した。
「俺を呼んだ?」
「呼んでない」
「今、名前が聞こえた!」
「悪い例として」
「なら呼んでる!」
カナタは二つの鐘を見つけた。
「何だ、これ!」
「一つは船へ」
「食える?」
「鐘!」
「翼?」
「違う!」
「じゃあ、船首につける!」
「勝手に決めないで!」
アカリは片方を薬箱へ戻した。
もう片方を、カナタへ渡す。
「五回叩いて」
「今、ここ」
「それから、船の札と村の札が同じ日に動くか確かめる」
「帰り道になる?」
「まだ分からない。返事が届くかの試験」
カナタは鐘を握り、小屋の外を見た。朝葉機関、広くなった南橋、旅人宿。三か月前にはなかったものばかりだ。
「俺がいない間も、村は変わる?」
「当たり前」
「地図が外れる?」
「外れる。だから帰ってきたら、最初に着いた場所と、そこにいる人を聞いて」
「村から!」
「届けばね」
カナタは返事の鐘を腰へ結んだ。
外で低い音がした。
第一歩号の船底が、仮設台から半分落ちた音だった。
「俺の船!」
カナタが飛び出す。
「まだ完成してない!」
ルゥも追う。
アカリは二人の背中を見送り、村側の鐘を一度だけ叩いた。
こん。
カナタの腰の鐘が、走りながら微かに震えた。
彼は振り返る。
アカリが薬箱を掲げる。
まだ五回ではない。
呼んだだけ。
カナタは鐘を一度叩き返した。
返事があって、初めて呼び声は道の始まりになる。
三か月と一日目の朝。
第一歩号は、出航する前に帰れなくなった。
正確には、帰れるかどうかを試すために出た。
「順番が逆だ!」
発着場で、カナタが胸を張る。
「船は、出ないと帰れない!」
「だから一度だけ出るの」
ルゥは船腹の点検口から顔を出した。頬に油。金髪には銀鋲が十二本。腰の工具帯には、逆さ銀樹の落ち枝から切り出した透明羽根が一本増えている。
「今日は試航。天頂門の外側にある《朝見台》まで行く。現標札を立てる。帰還路を一度だけ試す。世界の果てへは行かない。知らない雲へも入らない。珍しいものを見つけても追わない」
「三つ目が難しい!」
「最初から難しいと思ってるなら守って!」
第一歩号の船内には、五つ穴の現標板が据えつけられていた。
――船名。
――現在地。
――乗っている者。
――次の行き先。
――返事。
船名の欄には、ルゥの字で《第一歩号》。その下へ、カナタが自分で三文字を書いている。
カ。
ナ。
タ。
一文字目は大きく、二文字目は傾き、三文字目だけ妙に小さい。
「俺の名前、船に載った!」
「乗員欄にね」
「船名の横でもいい!」
「船がカナタ号になるからだめ」
次の行き先には、太い字で《世界の果て》と書かれていた。
ただし、カナタの字ではない。
「誰が書いた!」
「自分で書けないからって、トウヤに頼んだでしょ」
「読める!」
「今は朝見台」
ルゥが札を裏返す。
裏面には《朝見台。帰着予定、一つ鐘後》。さらに小さく、《帰路試験・未確認》とある。
「世界の果てが裏になった!」
「消してない。今日の予定を上へ置いたの」
「アカリみたいなこと言う!」
「いいやり方だから使うの」
発着場の端で、アカリが村側の現標板へ同じ内容を書いていた。
へこんだ薬箱。
紙の白旗。
腰には、昨夜作った返事の鐘。
鐘は二つで一組のはずだったが、試しに一度叩くと南橋の札まで震えた。どこへ届くか、まだ誰にも分からない。
アカリは鐘の横へ赤い札を結んでいた。
――試験中。
――返事先、未確認。
カナタは船縁から手を伸ばす。
「乗れ!」
「乗らない」
「試航だぞ!」
「知ってる」
「朝見台まで近い!」
「だから村に残る」
アカリは、返事の欄を指した。
「船から鳴らす人は三人いる。村から返す人は、まだ私しかいない」
「一緒に行ったら、もっと近くで返せる」
「それは船の返事。村の返事じゃない」
「でも、お前も外へ行きたいって」
「行くよ」
アカリは南橋を見た。
その先。
逆さ滝。
天頂門。
昨日、自分の足で荷物を届けた場所。
「第一歩号に乗ることだけが、外へ行く道じゃない。私は、村から届くか試す」
「ずっと残る?」
「今は、ここにいる」
五回、鐘を叩く。
こん。
こん。
こん。
こん。
こん。
船側の鐘は震えなかった。
代わりに、発着場の古い柵が一度鳴った。
「また間違えた!」
「試験だから記録する」
アカリは板へ書く。
――一回目、船へ届かず。旧柵へ誤配。
「失敗を出航前から増やすな!」
「増やしたのは仕組み」
「俺じゃない!」
「珍しいね」
ルゥの工具が飛んだ。
カナタは白旗で受け止める。
船尾では、ザンバが灰色の旗を柱へ結んでいた。
裂けた黒布を、ルゥが灰糸で縫った旗。
中央には小さな黒い点。
まだ、どこへも線を伸ばしていない。
「監視役」
セルクが発着場から呼ぶ。
「今日の役目を言え」
「船長が予定外の道を作れば止める」
「帰還路が三人を別々へ引いたら、誰かの記憶を勝手に切らない」とルゥ。
「俺の判断は!?」
「予定外を作る側」と三人。
「船長なのに!」
ルゥは現標板の横へ、小さな役割札を三枚つけた。
――船長・未踏路士、カナタ。
――航路機巧師、ルゥ。
――監視役・護衛、ザンバ。
四枚目は船にない。
村側の板にある。
――地上連絡、アカリ。
ルゥは《航路機巧師》の札を一度読み、工具帯へ留めた。
朝火炉へ金色の火が入る。
左右で色の違う帆が膨らむ。
船首の鍋蓋が風を受け、第一歩号が大きく震えた。
「ほら、働いた!」
「出航前から揺らした!」
係留索が一本ずつ外れる。
トウヤの昇風筒が船底を一呼吸だけ持ち上げた。
フィオの帆穴が乱れた風を左右へ逃がす。
第一歩号は、発着場から静かに離れた。
誰も何も壊していない。
「成功!」
カナタが叫ぶ。
「まだ三歩!」
「三歩も!」