第78話 第三章「天衡機の四つ目」後編

表からは、設計図の山で見えない。

鍵は四本。

どれも形の違うねじ。

「一本の鍵で開けないのか?」

カナタが訊く。

「一本だと原図機関に見つかる」とキリ。

「四本なら?」

「どれが鍵か分からない」

「全部!」

「今のは正しい」

一本目を、四角い工具。

二本目を、曲がった工具。

三本目を、テオの黒手袋。

四本目だけ、頭の溝が斜めだった。

ルゥは工具帯から、小さなねじを取り出した。

カゲノハ村の見習いセノが渡したもの。

揺れると締まるはずだった。

試航では一つ緩んだ、失敗作。

「似てる」

ねじを鍵穴へ当てる。

溝はぴたりとはまらない。

一度回す。

戻る。

二度、逆へ。

今度は深く入る。

「開いた」

扉が小さく震え、横へ滑った。

「失敗ねじが鍵になった!」

カナタが喜ぶ。

「まだ失敗か分からない」

ルゥはねじをしまう。

「使う場所が違っただけかも」

中は、小さな工房だった。

壁。

床。

天井。

重場が変わる全方向へ、機巧がぶら下がっている。

七枚羽根の滑空具。

重さを溜めすぎて自分で床へめり込んだ箱。

右へ曲がるたび左の鐘が鳴る靴。

四本の脚が全部違う長さの机。

水を温めると、隣の部屋が冷える炉。

どれも完成していない。

どれも壊れた跡がある。

どれも、町の完成品より楽しそうだった。

「五十三回分?」

ルゥが訊く。

「私のは五十三」

キリの棚だけ、番号順ではなかった。

七枚羽根は、雷路へ渡したい列。曲がる銀枝は、現在重を測る者の列。誰にも頼めない図は、一番奥の低い棚。紙の角には爪跡があり、受取人ごとに位置が違う。

失敗するたび右手の小指が少し上がる。五十三枚目を持つ今は、疲れで完全には下りない。

風眼鏡を額へ上げた。

「仕事じゃない話をすると、母さんの続きに見えるのが嫌だった」

下ろす。

「だから、仕事に戻る」

まだ私的な言葉を長く保てない。

キリは中央の棚を示す。

「ほかは、母さん。じいちゃん。町の人。捨てられなかった図」

「捨てたら戻る?」

ナギが訊く。

「四つ鐘で、元の工房へ」

「戻ったら?」

「持ち主が怒られる」

「だから隠した」

「失敗を残す場所が、失敗扱い」

ザンバが呟く。

テオは七枚羽根へ近づく。

「一枚多いから落ちた?」

「同時に開いたから回った」とキリ。

「四拍子で分ければ」

「試す?」

「今?」

「落重期まで一日」

「今!」

二人は滑空具を外し始めた。

ルゥもすぐ混ざる。

「羽根の軸、一本にしないで」

「三つへ分ける?」とテオ。

「七枚だから、二、二、三」

「最後が重い」

「一、二、二、二」

「四拍子に合う」

「最初だけ一枚」

「先頭を軽くする」

三人の会話が速くなる。

カナタが工具を一本取る。

「俺も!」

「持ってて」

「何を!」

「七枚目」

「重要!」

ナギは工房の隅にある、小さな鐘へ耳を当てた。

鐘には、何十個もの声が残っている。

『三枚目、角度が足りない』

『炉圧、七』

『また回った』

『次は、二枚遅らせる』

失敗の記録。

結果だけではない。

何を試し。

どこで壊れ。

次に何を変えるつもりだったか。

「これなら、返事に近い」

ナギが言う。

「質問には答えないぞ」とザンバ。

「でも、次の人へ向いてる」

設計冠の声は、同じ手順を繰り返した。

こちらの鐘は、最後に空白を残す。

――次は。

そのあとを、誰かが書ける。

工房の奥に、小さな球形機関があった。

天衡機の模型。

三つの輪。

四つ目へ、曲がった銀枝。

「五十三個目」

キリは模型を回す。

「四つ目を固定しない案」

曲がる銀枝は、周囲の重さに合わせて形を変えた。

カナタが近づくと、右へ。

ザンバの五本脚椅子を置くと、斜めへ。

ナギが鈴を鳴らすと、小さく震える。

「動く!」

「だから原図機関が戻す」

「まっすぐに?」

「うん」

「折れるだろ」

カナタが言う。

「折れた」

模型の底。

何度も折れ、何度もつないだ跡。

「原図へ戻せば、傷は消える」とキリ。

「消さなかった?」

「どこで折れたか分からなくなる」

ルゥの指が傷をなぞる。

「私も、そう思う」

キリは初めて、はっきり笑った。

工房の一番奥に、古い銀板がある。

エルナの筆跡。

三枚の旗の下に、短い言葉。

ルゥが読む。

「四枚目は、次の手へ」

文の横には、小さな魚が一匹。尾だけ二重線になっていた。別の裏面には、幼いキリの誕生日を一日遅く書き直した跡がある。

オルドの保管帳では、エルナは「設計に遅れのない者」。キリの古い食器には、帰ったら三角パンを丸くちぎって食べようと書いた走り書き。設計冠では、迷わず正しい手順だけを言う。

どれも同じ人の一部で、どれか一つが完全な本人ではない。

「次の手」は、母が未来の答えを知っていた証拠ではなかった。知らないから、知らないまま空けた跡だった。

キリは何度も読んだ顔をしている。

「じいちゃんは、傷だって言う」

「字だぞ」とカナタ。

「読めるの?」

「ルゥに読んでもらった!」

「胸を張らないで」

「次の手って、誰?」

キリが訊く。

「お前じゃないのか」とカナタ。

「私が生まれる前の字」

「じゃあ、まだ会ってない誰か」

「母さんは、その人を知らない」

「知らないから空けた」

カナタは簡単に答える。

「決めたら、その人の手じゃなくなるだろ」

キリは銀板を見る。

母の続きを、自分が完成させなければならないと思っていた。

けれど、「次の手」は一人の名前ではない。

まだ会っていない。

何を作るかも分からない。

「それなら、誰でもいい?」

ナギが訊く。

「誰でも、は違う」

キリは模型を抱える。

「今を見てくれる人」

「返事をする人」

ナギが付け足す。

「勝手に完成させない人」とルゥ。

「途中でも逃げない人」とテオ。

「最後まで行く人!」とカナタ。

三人が見る。

「何だよ!」

「今の話を聞いてた?」

「最後まで行けないなら、次へ渡す!」

「少し近い」

「全部近い!」

四つ鐘の一つ目が鳴った。

秘密工房の機巧が銀色に光る。

「まずい!」

キリが模型を抱える。

七枚羽根が原図へ戻ろうとする。

カナタが持っていた七枚目が、壁へ飛ぶ。

「俺の重要な役!」

ルゥが銀鋲を投げる。

テオが四拍子を叩く。

ナギが失敗鐘へ呼び声を送る。

「今の形、返事!」

鐘に残る古い記録が鳴る。

『二枚、遅らせる』

テオの今の槌。

一。

二。

三。

四。

ルゥの銀糸が、七枚を一枚ずつ別の軸へつなぐ。

復元線が迷う。

同じ原図がない。

「外へ!」

キリが滑空具を工房の小窓へ投げる。

「誰が乗る!」

「船長!」と全員。

「任せろ!」

カナタは七枚羽根へ飛び乗る。

小窓から外へ出る。

一枚目。

開く。

二枚目。

少し遅れて。

四拍子。

七枚は同時に広がらない。

滑空具は回らず、一呼吸だけまっすぐ飛んだ。

「飛んだ!」

カナタが叫ぶ。

二呼吸目。

七枚目だけ逆へ開く。

滑空具が真上へ跳ねた。

「次は七枚目!」

テオが工房から叫ぶ。

「分かった!」

「何が!」

「直す場所!」

カナタと滑空具は、天井の道へ頭から突っ込んだ。

ぼふん、と銀の紙が舞う。

失敗は、五十四個目になった。

キリは笑いながら風眼鏡を上げた。三呼吸遅れて、笑いが本物になる。そのあとすぐ、天井へ刺さったカナタの下へ最短の梯子を置く。

事故を面白がることと、救助を遅らせることは別だった。

「止める権限、私」

七枚羽根の試験札へ新しい一行を書く。

――異音三回、操作者が中止。設計者の許可を待たない。

自分の母のように、止められない仕事へ誰かを残さないための欄だった。

キリはすぐ帳面を開いた。

――五十四。

――四拍子で一呼吸飛行。

――七枚目、逆開き。

――次、軸を半指ずらす。

「俺の着地も!」

「事故欄」

「飛行記録!」

「両方書く」

ナギは最後に一行足した。

――乗った人、返事あり。