第53話 第三章「山に追い越される」前編

三脚群島では、三日に一度だけ、三つの島の市場が同じ場所へ重なる。

名を《三つ編み場》という。

鉄歩島の工房通り。

森歩島の実り市。

鐘歩島の音具店。

三本の道が一本へ潰れるのではない。

右から鉄。

左から森。

上から鐘。

短い距離だけ、順番に触れ合い、また離れる。

十二年前まで使われていた仕組みの名残だった。

「今も分かれてるじゃねえか」

カナタは三つ編み場の中央で、三本の道を見比べた。

「市場だけ」とミオ。

「人が行き来できる!」

「一刻だけ」

「毎日やればいい!」

《同道旗》が許さない」

一本線の標柱が光ると、三つの道は同じ前へ引かれる。

市場が終わる前に、客も店も自分の島へ戻らなければならない。

戻り遅れた品物は、前の島へ運ばれる。

人も同じ。

「別の島へ行ける!」

「仕事札がないと、次の合流まで帰れない」

「三日だろ!」

「三日間、家も仕事もない」

「冒険!」

「迷惑!」

ミオはカナタを、人の流れから外れた古い噴水へ連れていく。

噴水には水がない。

三本の細い溝だけが、別々の方向から中央へ集まっていた。

そこに二人の若者が待っていた。

一人は、鉄歩島の少年。

十六歳。

短い灰色の髪。

腕には、指先まで黒い機巧手袋。

背負う旗は錆色で、四つの歯車が別々の速さで回っている。

黒い手袋の指先には、槌を打つ順を示す四つの銀点。失敗した時だけ、無意識に五つ目を机へ打つ。市場へ来る前にも一度爆発させたらしく、左右の手袋を逆向きに干したまま持ってきていた。

長く立つと腰が痛む。けれど座ることを弱さと思い、噴水の縁が空いていても立ったままだ。足指が長く、落ちた薄板を裸足の爪先で拾う。両手を機巧へ空けるために覚えた癖だった。

「昨日より軽い」

誰も訊いていないのに言った。痛みを隠す日の決まり文句だ。

「遅い」

少年が言った。

「道に船が降ってきた」

ミオが答える。

「それ、遅れの理由になる?」

「十二枚と靴下を巻き込んだ」

「なる」

もう一人は、鐘歩島の少女。

十五歳。

濃い紫の髪を、大小五つの輪に結んでいる。

耳には左右で違う銀鈴。

旗には、同心円ではなく、離れた五つの音紋。

左手の五本指には、それぞれ別の音名を結んだ細布が巻かれている。親指は低鐘。人差し指は呼び鐘。中指は歩鐘。薬指は再会鐘。小指だけは、まだ名のない沈黙。驚くと、その小指だけがまっすぐ立った。

スズは会話の最後に相手の声高を一度だけ真似る。ナギの「分かる?」へ、同じ高さで「分かる」と返したあと、自分の声へ戻った。人の音を受け取った合図だった。

「船の人たち?」

少女はナギを見つけた。

「響路の旗」

「分かる?」

「返事を待つ音がする」

「旗から?」

「鈴から」

ナギの腰では、トマリギ島との対鈴が小さく揺れている。

まだ返事はない。

「私はスズ。鐘歩島の《鳴路師》見習い」

「ナギ。第一歩号の響路士」

「見習い?」

「ルゥはそう言う」

「船長は?」

「響路士!」

カナタが横から胸を張る。

「本人より先に答えないで」

「役目を褒めた!」

「大きく言っただけ」

鉄歩島の少年は、第一歩号の船首を遠くから見ていた。

「鍋蓋、二枚」

「翼!」

「重錨」

「分かってる人!」

「でも風受けにすれば、旋回補助にはなる」

「もっと分かってる!」

ルゥが少年の機巧手袋へ目を向ける。

「脚核用?」

「うん。四拍子の負荷を指で読む」

「テオ」

ミオが紹介する。

「鉄歩島の脚核機巧師見習い」

「あと百二十日」

テオが訂正した。

「何が?」とカナタ。

「逆さ銀樹カガミネの工房へ行くまで」

ルゥの顔が上がる。

「逆さ銀樹?」

「根を空へ伸ばす銀色の大樹。枝に機巧都市ミナモがある」

テオは錆色の旗から、小さな銀板を出した。

招待状。

銀枝機関の見習い採用。

「見せて!」

ルゥが一歩で距離を詰める。

テオは驚いて半歩下がった。

「字、読める?」

「機巧図なら」

「ほとんど図」

「貸して!」

「返す?」

「読むだけ!」

「一刻」

「短い!」

「市場が閉じる」

「写す!」

「紙は?」

「カナタの地図の裏!」

「俺の世界の果て地図!」

「矢印一つしかない!」

「大事!」

スズは噴水の縁へ座った。

「テオは外へ出る。ミオは上道へ行く。私は残る」

カナタが振り向く。

「残る?」

「鐘歩島に」

「世界の果ては?」

「音だけ聞きたい」

「自分で行けばもっと聞こえる!」

「私がいなくなったら、帰ってきた音を誰が受けるの」

「鐘守!」

「私がなりたい」

「外へ行かないのに?」

スズの五つの音紋が、少しだけ離れて光る。

「残るのは、行き先がないことじゃない」

ナギが言った。

「コヨリと同じ」

「誰?」

「トマリギ島の旗織り。船に乗らず、外へ向く旗を作る人」

「会いたい」

「響路が増えたら」

三つ編み場の屋台から、三色の焼き実が一皿届いた。ミオはきっちり三等分し、鉄をテオへ、鐘をスズへ、森を自分へ置く。自分の一つはさらに半分にし、紙へ包んだ。

「食べないのか?」とカナタ。

「明日の分」

「明日もある!」

「同じ実はない」

スズは皿を音の低い順へ並べ直し、テオは立ったまま四回で食べた。四口目のあとに五口目が出て、自分で顔をしかめる。

「失敗?」

「量の見積もりが」

「食事まで四拍?」

「落ち着く」

三人とも別の島へ帰るのに、同じ皿を同じ食べ方にはしなかった。

スズは嬉しそうに耳鈴を鳴らす。

高い音。

低い音。

二つが互いを消さずに残る。

「外へ行く人の話も聞く。でも、私はここで《再会鐘》を作りたい」

「再会鐘?」

「別々の風路を通った三つの島が、同じ場所を見つける鐘」

「三番目の旗と同じだな!」

ミオが頷く。

「だから三人で、昔の地図を集めてる」

テオが噴水の底板を外した。

中から、三枚の薄い地図。

雷風路。

雨風路。

鳴風路。

どれも途中で途切れている。

別々に描かれた線を噴水の溝へ置くと、中央の空白を挟んで三つの先端が向き合った。

「再会原」

ミオが空白を指す。

「毎年、位置が変わる。昔は岐路守が島より先に上道を走って、三番旗を立てた」

「一人で?」

「三つの島から一人ずつ」

テオが答える。

「別々の上道を使って、同じ空白を探す」

「最初に着いた人が旗を立てる?」

「違う」とスズ。

「三人の音がそろった場所に立てる」

「そろえるのか?」

「同じ音にするんじゃない」

ナギが地図の空白へ指を置く。

「違う三つが、同じ場所から返る」

スズの顔が明るくなる。

「そう。それが再会鐘」

「だったら今すぐ作ろう!」

カナタは白旗を抜く。

「三つの道の先へ!」

「場所が分からない」と三人。

「行けば分かる!」

「島より先に?」とミオ。

「第一歩号で!」

「上道は一人用」

「船を細くする!」

「どこを切る気!?」

ルゥが工具箱を抱える。

「切らない!」

「ザンバの旗も切れない!」

「俺を見るな」とザンバ。

灰旗の黒い点は、噴水の三本溝に反応している。

一つの点。

そこから線が出そうで、出ない。

「お前は、どこへ行く?」

テオがザンバへ訊いた。

「上道」

「どの?」

「十二年前に途切れた道」

「危険」とミオ。

「だから見る」

「一緒に?」

「一人で」

カナタがすぐ割り込む。

「俺も行く!」

「今、上道は一人用と言われた」

「二人なら二倍安全!」

「二倍狭い」

「広げる!」

テオは地図を片づける。

「全員を同じ場所へ入れようとするね」

テオは責める代わりに、黒い手袋の留め具を点検し始めた。怖くて返せない時、視線を道具へ固定する。規格外の意見を口にしたせいで、工房から外される可能性を先に計算していた。

スズは小指の布を押さえる。五つの音を分けられても、自分の恐れはいつも一音へ縮める。

ミオだけは、三本の三つ編みを鉄、森、鐘と触り終え、足元の紙を揃えた。決断の準備が終わった顔だった。

「仲間だからな!」

「違う場所へ行ったら?」

「迎えに行く!」

「戻らなかったら?」

カナタの声が止まった。

父アステル。

十年。

帰らない人。

ナギが母を待った七年。

ミオはカナタの顔を見る。

「だから、三番目の旗が要る」

「帰る旗なら二番目にある」

「帰る場所じゃない」

「何が違う」

「どっちの家でもない場所で、また会う約束」

三つ編み場の終了鐘が鳴った。

鉄歩島。

森歩島。

鐘歩島。

別々の高さ。

最後の一音だけ、一本線に引かれて同じになる。

人々が自分の道へ戻り始める。

テオは鉄。

スズは鐘。

ミオは森。

三人は中央に残らない。

「三日後」

ミオが言う。

「ここで」

「俺たちは?」

カナタが訊く。

「来たければ」

「来る!」

「三日後まで同じ島にいる?」

「船が直れば世界の果てへ――」

カナタはルゥを見る。