第222話 第三章「十本の雨桁」後編
一ノ雨桁から十ノ雨桁まで。
代表が一人ずつ座る。
壁際に、外来者用の長椅子。
会議室の天窓から強い返雨光が入り、カサネの視界が一度欠けた。彼女は誰にも気づかれないよう十まで数え、十一個目の資料をわざと右端へ置く。明暗しか見えない数呼吸のあいだ、札の色を取り違えないためだった。
ナギはその間を「考えている沈黙」と決めず、返事待ちの空白として帳面へ残した。
そこにも十人ぶんの印。
カナタ、ルゥ、ナギ、ザンバ、アマネ、ヒサメ。
六人が座る。
残り四席は空。
扉は閉まらなかった。
赤い文字。
――四人不足。
「会議まで十人?」
カナタが扉を押す。
「外来席は十名を一組として認証します」と塔の係。
「六人いる!」
「一組ではありません」
「二人ずつ三組!」
「規格外です」
ザンバが扉の外へ出た。
残り五人。
――五人不足。
「悪化した!」
「俺は立つ」
「椅子がないから?」
「椅子は船だ」
「やっぱり必要!」
ルゥは銀鋲を十席の印へ打つ。
「《継ぎ路》」
六つの足跡を、一つの外来者名簿へつなぐ。
残り四席は空欄のまま。
扉が迷い。
最後に開いた。
「無理やり一組にした?」とカナタ。
「違う。六人と、四人分の空きがあるって教えた」
「同じじゃない?」
「空きを人で埋めてない」
会議が始まる。
カサネは天攫潮の現在図を広げた。
青黒い渦。
十本の雨桁。
余滴窪は、図の外に小さく描かれている。
「現在の貯水量。正式雨路、八割三分」
「余滴は?」とアマネ。
「式の計算外」
「量は?」
「不明」
「数えてる」
「水質が違う」
「量は量」
カサネはヒサメを見る。
ヒサメは板を開く。
「余滴蔵、九百八十七袋。確認済み六百四十二。仮合算で、正式雨路の一割一分」
代表たちがざわめく。
「一割も?」
「混ぜられない」
「薬雨がある」
「響雨も」
「不明が三割」
アマネは言う。
「数えきれないんじゃない。数える時間を作ってない」
十ノ雨桁の代表が机を叩く。
「今から全部を調べれば、潮が来る」
「だから捨てる?」
「九割を救う」
「一割は誰?」
一ノ雨桁の代表は畑を見る。
三ノ雨桁の代表は患者名簿。
六ノ雨桁の鐘守は、十一声目の未報告札。
誰も数字だけではない。
それでも、時間は減る。
カサネは旗を机へ置いた。
「十重返雨式を行う。正式十雨路を同量へそろえ、返雨塔へ集める。余滴窪の住民は避難枡へ」
「全員入る?」とナギ。
「登録上は」
「今の返事は?」
「何だ」
「本人へ聞いた?」
「避難命令を出す」
「返事は命令じゃない」
カサネはナギを見る。
「一人ずつ聞けば間に合わない」
「一つに聞けば、誰が返してないか分からない」
カナタは机の図を見る。
大きな一つの雨。
十本の町へ降る線。
余滴窪へは届かない。
「届くように道を増やす」
「何本」とルゥ。
「全部」
「水質は」
「分ける」
「誰が」
「ザンバ」
「俺は途中までだ」とザンバ。
「最後はルゥがつなぐ!」
「違うものを一つに?」
「一つの雨にして、降るとき分ける!」
「どうやって覚える?」とナギ。
「旗!」
「何本?」
「十本!」
「余滴窪で十一」
カナタの口が止まる。
会議室の外で、警鐘が一度鳴った。
途中で切れた。
ナギの透明な受け皿が震える。
カゲノハ村の六つ鐘。
そのあとに、アカリの声。
『現在報告。帰還門、十個目の留め具を試験中』
ナギはすぐに帳面へ書く。
会議室の計雨盤に、赤い文字が浮かんだ。
――外部報告、十一件目。
――次回へ繰越。
「今のを消すな!」
カナタが立つ。
「消していない」とカサネ。
カサネは事実としては正しかった。外部報告は次回欄へ保存されている。だが、保存と受領は違う。爪の薄布を親指で押さえながら、彼女は視界の端へ追いやった十一件目を見ない。
「消していない。けれど、今は受け取っていない」
自分で言い直すまでに、長い吸気を一つ使った。
「今、聞かないのか!」
「緊急会議中だ」
ナギは透明な受け皿を外し、自分の胸へ抱えた。
「私は聞く」
カサネは止めなかった。
ただ、会議の議事板へは記さなかった。
会議のあと、十本の雨桁へ式の準備命令が出た。
一ノ桁は苗雨を止める。
二ノ桁は飲雨を十枡へ分ける。
三ノ桁は薬雨の濃さをそろえる。
四ノ桁は炉を消す。
五ノ桁は染色を中断。
六ノ桁は十声を一報へまとめる。
七ノ桁は塩雨を薄める。
八ノ桁は灯りを落とす。
九ノ桁は眠雨を起こす。
十ノ桁は全量を受ける。
「全部、止めるのか」
カナタが命令札を見る。
「一刻だけ」とヒサメ。
「その間、薬は?」
「三ノ桁で保留」
「灯りは?」
「朝まで」
「十一声目は?」とナギ。
「次回」
六ノ桁の鐘守は答えた。
「次回がいつか分からない危険報告も?」
「規則だ」
「規則は、誰を守る?」
鐘守は十本の警鐘を見る。
「十年前、ばらばらの報告で指示が遅れた」
「だから一つにした?」
「同じ命令を送るため」
「違う危険へ?」
返事はない。
第一歩号では、ルゥが式の接続図を広げていた。
十本の銀糸。
中央の太い一本へ集まる。
「きれいだな!」
カナタが言う。
「図としては」
「機巧としては?」
「嫌いじゃない」
「じゃあ使える!」
「きれいすぎる」
ルゥは髪から銀鋲を一本抜いた。怒りの数ではない。左親指の付け根が震え、細い鋲をつまめなくなっていた。片眼鏡を上げ、遠い十本の管を服の色ではなく動きで見分ける。
「今の私が長く支えられるのは、七本。残り三本は別の手が要る」
万能な機巧師として黙って壊れる代わりに、最初から限界を図へ書き込んだ。
ルゥは十本の線へ、それぞれ色と記号を書き足す。
「同じ長さ。同じ太さ。同じ入口。作るのは楽」
「いいことだろ」
「どれが薬雨か分からなくなる」
「札をつける!」
「塔へ入ったら札は濡れる」
「ナギが聞く!」
「十本同時に、天攫潮の中で?」
ナギは鈴束を調整している。
「聞く」
「できる?」
「分からない」
「珍しい!」とカナタ。
「分からないから、同じ一音へしない」
ナギの口に金属の味が戻る。左耳の栓を替え、舌先で五拍。十本同時なら、三つ目以降は聞き落とす可能性がある。
「現在音は私。緊急音はコウネ。記録は響雨へ残す。私一人の判定を、式の絶対条件にしない」
希望を守るため、聞こえない可能性まで先に申告した。
ザンバは灰旗の九本線へ指を置く。
「十本目をどこへ置く」
「雨桁へ一本ずつ」とルゥ。
「俺の旗は九本までだ」
「増やせ!」とカナタ。
「数を合わせるために、道は増えん」
ザンバの機巧腕の留め具が低く鳴った。九本目を無理に十へ増やすより、幻肢痛の出ている右腕を止め、生身の左手で黒点を置く。切る力のある手と、受け取る手を同じにしない。
「足りない線を、俺の腕一本で埋める気はない。必要なら、判断を分ける」
「俺は作れる!」
「お前が全部作るから、重さも全部お前へ来る」
八番目の旗で、先頭を渡した。
九番目で、自分の間違いを認めた。
それでもカナタは、困っているものが十あると、十全部を自分の一歩へ載せたくなる。
「載せられる」
「載せたあと、誰が下ろす」とザンバ。
「着いた人!」
「全員が同じ場所へ着きたいとは限らん」
カナタは十本の雨桁を見る。
同じ大地。
同じ町。
違う雨。
違う仕事。
「でも、乾くのはみんな嫌だ」
「それは同じ」とルゥ。
「同じだから一つにする?」
「そこが違う」
ナギの透明な受け皿から、アカリの声が続く。
『十個目の留め具、セノが斜めにした』
「斜めねじ!」
ルゥが顔を上げる。
『ルゥの古い図だと、今の門へ合わなかった』
「私の図が?」
『セノが穴を増やした』
「勝手に!」
『壊れなかった』
ルゥは怒りかけたまま、止まる。
昔の自分の図。
今の村の門。
別の見習いが加えた斜めの穴。
同じ形へ戻さず、今へ合わせた続きを受け取っている。
『現在地、帰還門。行き先、試験路。先頭、アカリ。二歩目、セノ』
「返事は?」とナギ。
『門が鳴った』
遠くで、六つ鐘とは違う短い音。
一度。
今の村から生まれた、新しい帰還門の音。
その奥に、十年前から変わらないアステルの声が重なる。
『たまには帰れ』
ナギは二つの鈴へ分けた。
「現在」
「記録」
カナタは両方を見る。
「帰る道も、二つ?」
「道は一つかもしれない」とナギ。
「聞こえる場所が違う」
カナタは白旗の中央の空白を見る。
今は、返雨式を助ける。
そのあと。
次の場所。
さらに先。
帰る話を、また数の外へ置いた。
十ノ雨桁で三度目の警鐘が鳴った。
今度は、最後まで響かなかった。