第91話 第十章「四番目の旗」前編

「だから直す!」

テオは胸を張る。

「ミナモへ残る」

「え?」

カナタの顔が止まった。

テオは鉄歩島から、別の雷風路を通って来た。

三番港で約束した。

先に着いたら、銀枝を一本残す。

その銀枝は今、次稿工房の天井に刺さっている。

「逆さ銀樹を見たら、次へ行くんじゃなかったのか」

「見た」

「じゃあ一緒に!」

「ここで、四枚羽根を飛ばす」

「世界の果ては!」

「別の道」

テオは簡単に言う。

「今はミナモ」

カナタは、以前のように「みんなで」と言いかけた。

やめる。

「いつまで?」

「飛ぶまで」

「できるまで?」

「できたあとも、次を作るかも」

「長い!」

「会う場所はある」

テオは次稿工房の小さな鐘を叩く。

四拍子。

三番港の現標板へつながる音。

「先で会う」

「どこで!」

「まだない場所」

ミオと同じ答え。

カナタは不満そうに拳を出した。

テオもぶつける。

「先に飛べ!」

「そっちは先に落ちるな!」

「第一歩号が言う?」

「俺の船は着地する!」

「主に突っ込んで」とザンバ。

未定入口の奥。

以前の廃図庫は、《次稿工房》へ変わっていた。

キリの机は完成品側ではなく、出口に一番近い壁へ置かれた。疲れると出口を見なくなる自分の癖を、家具の配置で補うためだ。

風眼鏡を下ろせば仕事。額へ上げれば私的な話。ところがテオは、どちらでも同じ速さで設計相談を持ってくる。

「今は上げてる」

「じゃあ、三十一枚目の左軸が怖かった話」

「仕事じゃないの?」

「怖かった話」

キリは愛想笑いをし、三呼吸後に本当に笑った。二人の机は別。爆発したとき延焼しない距離。それでも、同じ工房だった。

失敗図は捨てない。

ただし、棚へ積むだけでもない。

各図に四つの札をつける。

――現在の形。

――試したことと、起きた失敗。

――次の課題。

――受取人。

受取人の欄が空なら、棚から出さない。

「誰でも続きをしていいんじゃないのか」

カナタが訊く。

「誰でも、は受け取ったことにならない」

キリは答える。

「名前を書いた人が、読んで、分からないところを返す」

「返したら受け取ってない!」

「質問を返すの」

「難しい!」

「だから責任」

その日、キリが最初に棚から下ろしたのは、七枚羽根の滑空具だった。

《試行五十四》

一呼吸だけ飛び。

七枚目が逆へ開き。

カナタごと天井へ刺さった試作。

「受取人、テオ」

キリが札へ書く。

「勝手に決めるな」

テオは受け取らなかった。

「残るって言った」

「ミナモに。これを受け取るとは言ってない」

「飛ばしたいでしょ」

「読み終わってから」

テオは四枚の札を一枚ずつ確かめる。

現在の形。

――四拍子で一呼吸飛行。七枚目のみ逆開き。

失敗。

――同時開きで回転。左軸破断。七枚目、荷重反転。

次の課題。

――七枚目の軸を半指ずらし、無人で四拍試験。

最後。

受取人。

――テオ。

「三十一枚目は?」

テオが訊く。

「今は五十四」

「三十一枚目の左軸破断。図がない」

キリは棚を探す。

三十一枚目は、五十三枚の下に挟まっていた。

銀板の端が焦げている。

――左軸を二点固定。

――四拍目の重さが逃げず、軸が破断。

――次は片側を遊ばせる。

テオは《試行五十四》の左軸を見る。

二点とも、ぴたりと締められていた。

「同じ」

キリの顔が止まる。

「七枚目ばかり見てた」

「受け取る側が読まなかったら、また人を乗せて折ってた」

「俺なら乗る!」

「だから先に読んだ!」

ルゥがカナタの襟を掴む。

テオは受取札へ一行足す。

――不明点、三十一枚目との固定差。

「答えは?」

キリが訊く。

「今から一緒に確かめる」

「受け取った?」

「条件つき」

テオは黒い手袋を逆向きへ掛け、腰を伸ばすため初めて椅子へ座った。

「昨日より軽い、は今日はなし」

「痛い?」とキリ。

「痛い。だから有人試験はしない」

五つ目の槌を、失敗の印ではなく停止の合図として一度だけ打つ。受取人が、設計者より先に止めてもよい音だった。

左軸の片側を、半指だけ滑る留め具へ替える。

人は乗せない。

代わりに、カナタと同じ重さの砂袋を七枚羽根へ結ぶ。

「俺の代わり!」

「静かで安全」と三人。

一拍。

一枚目が開く。

二拍。

二枚目と三枚目。

三拍。

四枚目から六枚目。

四拍。

七枚目が開く直前、左軸が大きくしなった。

固定したままなら、折れていた角度。

遊ばせた留め具が半指滑り、重さを外へ逃がす。

それでも、古い軸の表面に亀裂が走った。

安全糸が砂袋を受け止める。

滑空具は工房の床へ落ちず、空中で止まった。

「三十一枚目がなかったら?」

カナタが訊く。

「砂袋じゃなく、あなたが落ちた」

「着地!」

「逆重場の炉へ」

「危ない!」

「今気づいた?」

キリは《試行五十四》の記録へ書く。

――三十一枚目の失敗により、二点固定を中止。

――左軸に亀裂。交換まで有人試験禁止。

――次の課題、軸材の選定。

テオも受取欄へ署名する。

――受取。条件、有人試験をしない。分からない変更は次稿工房へ返す。

翌朝、テオは左軸を丸ごと替えず、亀裂の前後だけを別材へした。

四拍目。

七枚羽根は、前日より半指だけ高く浮いた。五拍目の失敗音は鳴らない。代わりに、受取人が自分で決めた停止の一打が床へ響く。

「昨日より飛んだ」とカナタ。

「昨日より止まれた」とテオ。

キリは完成品の表ではなく、いつものように裏側を先に覗いた。留め具の向きも、力を逃がす溝も、自分の五十四枚目よりよい。

「ここ、私の案より長く持つ」

嬉しい。

同じだけ、悔しい。

どちらも本当で、紙へ嘘を書けないキリは受取札の裏へ二行足した。

――受取人の変更により、安全余裕、一・七倍。

 ――設計者所感。嬉しい。悔しい。

「二行目、必要?」とテオ。

「次に私が勝手に元へ戻さないため」

「感情も安全札?」

「私には」

人が去ったあと、キリは旧廃図庫の一番奥へ入った。

棚は次の受取人ごとに並び、もう捨て場所ではない。三十一枚目の焦げ跡も、五十四枚目の爪痕も、テオの新しい溝も別々に残っている。

誰もいないことを確かめ、五十四枚目を一枚だけ膝へ置いた。

風眼鏡を額へ上げる。私的な時間。

泣いたのは、母の続きを作れたからではない。自分よりよく直された仕事が、自分を消さずに先へ行ったからだった。

三呼吸で涙を拭き、紙の端へ新しい受取人札をつける。

――次に、七枚羽根を別の重さで試す者。

名前はまだ空白。

空白は、捨てられた場所ではなかった。

キリは滑空具から手を離した。

渡したから、関係が終わるわけではない。

テオが決める場所と。

キリが答える場所を分けた。

五十三号。

落重期で使った斜めねじ。

五十四枚目。

その横に、五十五枚目がある。

「もう?」

ルゥが読む。

――次稿機関を、四区ではなく家ごとに分ける案。

五十六。

――連鐘の返事を、音以外でも受ける案。

五十七。

――第一歩号の鍋蓋を、本当に翼として使えるか。

「これ!」

カナタが紙を取る。

キリが取り返す。

「危険度、未記入」

「飛ぶ!」

「鍋として?」

「翼!」

「用途未定」

「決まってる!」

次稿工房には、完成品の棚がなかった。

代わりに、《今使っている》棚がある。

斜めねじ。

歌鐘。

三角型。

違う長さの杭。

落重期を越えた道具は、そこで終わりではない。

壊れたら修理品入口へ。

別の使い方を思いつけば未定入口へ。

四つ鐘も変わった。

一つ目。

壊れた場所を知らせる。

二つ目。

今の重さを測る。

三つ目。

作業を始める。

四つ目は、中央から鳴らさない。

町の誰かが返事をするときに鳴る。

その日、最初の四つ目を鳴らしたのは、リネだった。

歌鐘の新しい音。

一拍。

 二拍。

 三拍。

四拍目を、隣の子どもへ渡す。

町じゅうへ、違う四つ目が広がった。

オルドは中央塔から聞いていた。

自分で鳴らさない。

それでも、町は動く。

オルドはルゥへ、銀の札を返した。

――臨時二等機巧師。

その下。

――継承候補。

「候補のほうはいらない」

ルゥは線を削る。

「二等は?」

「町の分類なら、残す」

「見習いではないのか」

「自分では見習い」

「矛盾している」

「場所が違う」

銀札を工具帯へつける。

カゲノハ村では見習い。

第一歩号では航路機巧師。

ミナモでは臨時二等。

どれか一つが本物で、ほかが間違いではない。

「天衡機の管理へ残らないか」

オルドが訊いた。

同じ問いは、前の夜にも受けていた。

ルゥはそのとき、返事を保留した。

三脚群島でいったん残ったときは、終わりが見えていた。

十八基の脚核を調べ。

後継の職人へ仕事を渡し。