第131話 第六章「一歩手前の実験」前編

最初の試験は、人ではなく木箱で行うことになった。

「俺が行く!」

「人ではなく木箱」とルゥ。

「俺、木箱を持てる!」

「持つ人が行ったら同じ!」

「じゃあ、俺を箱に!」

「人!」

第一歩号の甲板に、表側用の試験箱が置かれる。

中身は、カゲノハ村の干し茸一袋。

トマリギ島の青鈴。

三番港の銅板。

ミナモの曲がる硝子枝。

ノクティルの星殻布。

「連標網の全部!」

カナタが喜ぶ。

「一個ずつ、重さの違う物」とルゥ。

「贈り物!」

「壊れ方を見る試験材」

「言い方!」

紫岸側でも、同じ大きさの箱を作る。

エルたちの紫蜜。

裏重糸。

星輪石。

白線の向こうから、鏡文字で一覧が届く。

中央の一歩は、まだ作らない。

表側の未踏路。

紫側の仮橋。

両方を、二歩ぶん空けて止める。

「二歩?」

カナタが訊く。

「一歩ずつ空けたら、間は二歩」とルゥ。

「遠い!」

「最後に、それぞれの箱が自分の一歩を出す」

「箱が歩く?」

「押す機巧」

「俺が押す!」

「だから人を出さない!」

表側の箱には、バネ板。

紫側には、裏重板。

同じ時刻に押す。

中央でぶつけない。

互いの一歩が、中央の空白へ入る直前で止まる。

重さが混ざらず、隣に立てれば成功。

「握手しないの?」

「箱」

「箱同士でも!」

「手がない」

「取っ手!」

「今は近づくだけ!」

試験場所は、第六塔の前。

セイガは二色旗で表と裏の境界を薄くする。

ザンバは灰旗を掲げる。

《岐点》

黒い点。

表側の重さ。

紫側の重さ。

二本へ分ける。

「三本目は?」

カナタが訊く。

「まだない」

「空白!」

「落ちる場所だ」

「作る!」

「今は作るな」

ナギが両岸へ点呼。

「青岸試験班」

「本人応答あり!」

カナタ。

ルゥ。

ナギ。

ザンバ。

ユラ。

トワ。

ネネは見学区。

「私も班!」

「子ども」とトワ。

「カナタは?」

「十五!」

「大きい子ども」とルゥ。

「船長!」

紫岸試験班。

エル。

サライ。

機巧師二人。

船員三人。

本人応答あり。

「開始」

ナギの鈴。

カナタは白旗を突く。

「標術――《未踏路》! 第六塔の一歩手前!」

一枚。

二枚。

色のない中央へ、光板が伸びる。

最後の二歩を空けて止まる。

白旗が先を出したがる。

腕へ力を入れ、止める。

右膝も、いつものように次の一歩へ出ようとした。古傷が低く痛み、カナタの声が一音だけ下がる。

「ここは、俺の一歩じゃない」

白旗の中央を握らず、端をつまむ。旗を弱く持つのではない。自分の願いを、相手の足元へ押し込まない持ち方だった。

ルゥは止めるための銀鋲を投げず、操舵輪の横で一本だけ髪へ戻した。今回は、本人が止まった。

「止まった!」

「まだ開始」とルゥ。

紫側。

エルたちの仮橋が伸びる。

紫の薄板。

一歩。

二歩。

同じように、最後の二歩を空ける。

箱を載せる。

「押す!」

「待って!」

カナタの手が、すでにバネ板へある。

「合図を聞いて!」

「聞いてる!」

「まだ言ってない!」

ナギは両岸の呼吸を待つ。

表側の風。

紫側の船団の揺れ。

同時ではない。

同じ時刻へそろえるのではなく、それぞれが押せる瞬間を重ねる。

「青岸、今」

カナタが押す。

箱が光板を滑る。

「紫岸、今」

エルが押す。

二つの箱が中央へ。

最後の一歩手前。

バネ板が開く。

表の箱が、自分の重さで一歩。

裏の箱も。

二つは中央へ入った。

隣に並ぶ。

一方は青空を下に。

一方は紫空を下に。

同じ場所なのに、箱の底が反対を向く。

「成功!」

カナタが飛び出す。

「まだ!」

箱同士の距離、半歩。

互いの取っ手が届かない。

「握手させる!」

「箱!」

カナタは未踏路を一枚出しかける。

中央の空白が、白旗へ引かれる。

表側の重さが強くなる。

紫の箱が傾く。

「止めて!」

白旗を引く。

間に生まれかけた光板が消える。

紫の箱は戻る。

「今の一歩、要らない」

ルゥが言う。

「届かないぞ!」

「届かなくていい」

「会えない!」

「箱は隣にいる」

「触れない!」

「触るかどうかは、次」

「難しい!」

ユラが透明旗を中央へ向ける。

六つの弧が淡く光る。

箱と箱の間。

半歩の空白が、一呼吸だけ平らになる。

何も載せない。

ただ、取っ手の間へ場所がある。

「今、出た!」

「標術?」

ユラ自身が驚いている。

透明な半歩は、すぐ消える。

箱はそのまま。

重さも混ざらない。

「もう一度!」

「分からない!」

「気合い!」

「最後」とユラ。

「使う!」

そのとき。

表側の箱から、干し茸の袋が一つ転がった。

重さの向きが変わる。

袋は中央の空白へ落ちる。

「俺の干し茸!」

カナタが未踏路を出す。

「待って!」

一歩分の光板。

袋の下。

表側の重さを持つ。

干し茸は助かる。

同時に、紫側の箱が光板へ引かれた。

裏重板が裂ける。

「箱!」

エルの声。

紫の試験材が空へ散る。

紫蜜。

星輪石。

裏重糸。

それぞれ別の方向へ落ちる。

「取る!」

カナタは二枚目を出そうとする。

「止めて!」

ルゥが白旗へ銀糸を打つ。

銀糸を出した左手首へ、鋭い反動が返った。親指が開かない。ルゥは歯で鋲を抜こうとして、やめる。

「ユラ、糸の張りを読む。紫側はエルの機巧師へ渡して」

「自分で直さないの?」

「直せる。でも、全部直したら次も私しか直せない」

痛みを理由に退くのではなく、構造を二人へ渡す。ルゥは右手だけで銀糸を保ち、左手を胸元へ固定した。

「今、全部助けたら表の重さになる!」

「でも落ちる!」

「向こうが取る!」

紫側。

エルたちが仮橋を曲げる。

紫蜜を受け。

星輪石を網で拾い。

裏重糸だけが中央へ漂う。

ナギが聞く。

「救助、必要?」

『糸だけ!』

「本人応答あり」

「糸まで!」

カナタは一歩分だけ出す。

今度は、エルが示した場所へ。

裏重糸の手前。

エル側から細い棒が伸び、回収する。

試験は失敗。

箱は隣へ来た。

重さも保てた。

だが、カナタが一つを助けようとして全体を傾けた。

「俺のせい?」

「主に」とルゥ。

「でも干し茸は助かった!」

「一袋のために箱一つ」

「大事!」

エルが向こう側で干し茸の袋を指す。

『食べる?』

「届いてない!」

『匂いが来た』

「世界の果てを越えた!」

「匂いだけ」とナギ。

「最初の交易!」

「試験事故!」

ルゥは帳面へ書く。

――中央の物へ勝手に未踏路を出さない。

――救助要請を確認する。

――一つを助ける道が、全体の重さを変える。

「また失敗図が増えた」

「四番目!」

「喜ばない」

ユラは一呼吸だけ出た透明な半歩を思い出す。

「箱が、どっちの場所も取らなかったとき」

「出た?」

「たぶん」

「もう一回!」

「次は人?」

カナタが目を輝かせる。

「まだ箱」と全員。

「長い!」

紫岸の名簿で空白だった一人は、最後尾船《ヌエ》にいた。

返事はない。

船は折返し潮の外縁へ最も近い。

帆が半分裂れ。

帰岸灯との索も細い。

船腹を叩く音だけが、ときどき一つ返る。

「本人?」

カナタが訊く。

「船材かもしれない」とナギ。

「いるかもしれない!」

「うん」

「行く!」

「まだ救助要請なし」

「返事できないなら!」

「できないか、しないか、分からない」

「落ちる!」

「だから確認する」

ナギはエルへ問いを送る。

「最後尾船。乗船記録」

『空』

「本当に?」

『船を移すとき、全員降りたはず』

「はず」

「記録」とナギ。

サライが名板を調べる。

ヌエは、紫岸側の修理材を運ぶ無人船として登録されていた。

しかし三日前、食料袋が一つ減っている。

水も。

「誰か乗った!」

「可能性」とナギ。

「高い!」

「確認」

カナタは船首で足踏みする。

一歩。

二歩。

三。

「待ってる!」

「動いてる」とルゥ。

「同じ場所!」

「甲板が減る」

「難しい!」

エルたちは小舟を出そうとする。

サライが止めた。

『潮の外縁へ入れば、戻れない』

「俺たちの未踏路!」

『青岸の重さを押しつける』

「じゃあ、紫の道を!」

『届かない』

距離は、向こう側の仮橋から十三歩。

中央の空白を越え。

さらに潮へ。

「声だけ」

ナギが言う。

「届く?」

「今までの三音を、最後尾船へ返す」

エルが使っていた合図。

こん。

こん。

間。

こん。

「意味は?」

「まだ分からない」

「返事の音なのに?」

「意味より、相手が聞いたことのある形」

ナギは響路旗を掲げる。

白い折り目。

紫岸第六杭。

エルの船。

最後尾船。

一つずつ返りを探す。

《響路》

三音を送る。

長い間。

返事なし。

もう一度。

返事なし。

カナタが白旗を握る。

「まだ」

「分かってる!」

三度目。

船腹が一つ鳴る。

こん。

「本人?」

「未確認」

ナギは問いを変える。

「助けが必要なら、二つ」

こちらから二音。

こん。

こん。

待つ。

最後尾船。

一つ。

間。

二つ。

「二つ!」

「本人応答の可能性、高い」

「行く!」

「待って」

「助けてって!」

「場所を聞く」

「船!」

「中のどこ」

ナギは三つの位置を音で示す。