第179話 第六章「先頭を受け取りたい人」前編
正しい答えを知る小さな賢者ではない。昨日は拾った靴を勝手に雲板へ縫いつけ、持ち主に泣かれた。今日はその失敗を思い出し、道具ではなく結び方を渡すと言えた。十歳の成長は、毎回まっすぐではなかった。
「教える」
「誰に?」
「カイラ」
カナタが笑う。
「歩頭長が網を持つ!」
「似合わない」とメグ。
「見たい!」
ルゥは靴箱の床へ、八本の銀線を引いていた。
「順番で回すだけじゃ足りない」
「何が?」
「一番雲は星図に強い。二番雲は水。三番雲は風。根抜け野の条件で、先頭に向く雲が違う」
「八回に一回じゃない?」
「昔はそれで動いた。でも十年前より町も重さも変わってる」
ガク。
スイ。
フウカ。
イオ。
トウカ。
リツ。
レンも呼ばれた。
八つの町から、一人ずつ。
座り方からして、八人は同じ会議をしていなかった。
レンは地図を折らず膝へ丸め、靴先を円の外へ隠す。スイは保護眼鏡を外さず、親指の傷を覆うように水量札を持つ。フウカは種袋の一つを机の下へ置き、風が変わるたび同じ問いを同じ言葉で繰り返した。
ガクは炉鋼の欠けを指で確かめ、「僕」と言っているうちは冷静だった。イオは全員の家族数と戸閉め時刻を数え、笑いながら次の札へ移る。トウカは命令槌と現在槌を左右へ置き、どちらにも入らない意見を言うときだけ掌を鐘板へ当てた。リツは高い声を聞き落とさないよう相手の唇を見て、薬鈴の低い振動で返事を取る。
メグは八番目の席を選ばなかった。円のうち、七人の顔が一度に見える場所へ立つ。先頭を欲しがりながら、最後尾の視点を手放せない位置だった。
「全員、先頭を同じ意味で使ってない」
ナギが言う。
「だから決めるんだろ」とレン。
「だから、先頭という一語だけで決めない」
会議の最初の成果は、答えではなかった。八人がそれぞれ何を守ろうとして同じ言葉を使っているか、別々に書けたことだった。
床へ円になって座る。
「誰が先頭になりたい?」
カナタが訊く。
メグが手を上げる。
レンも、少し遅れて上げる。
レンは靴先を座布へ隠した。選ばれたいと口にした直後だけ出る癖だ。
「私の案は三つある。星図担当が先頭。条件担当が先頭。二人で判断し、一人だけ旗を持つ」
「二人なら安心?」とメグ。
「二人なら、君だけが正しい形にはならない」
支援ではなく競争だった。レンはメグの後踏み地図を認めながら、自分の星図が二番目へ落ちることを恐れている。メグも、父の続きではないと証明するため、レンより先へ出たい瞬間がある。二人の対立を消せば、輪番は仲良しの順番表になるだけだった。
ほかは上げない。
「二人!」
「条件による」とスイ。
「水脈なら、二番雲が前へ出たほうが早い」
「畑を揺らす風なら、三番」とフウカ。
「重い根なら、四番雲は先頭に向かない」とガク。
「けが人が多ければ、七番雲の歩幅に合わせてほしい」とリツ。
「家の移動なら、五番雲は最後がいい」とイオ。
「鐘はどこでも鳴らせる」とトウカ。
「八番雲は?」
メグが答える。
「後ろから集めた地図で、最初の道を選ぶ」
「その次は?」
「渡す」
「誰へ?」
「今の条件を一番分かる雲」
レンが眉を寄せる。
「毎回、話し合うのか」
「時間がかかる」とガク。
「先頭が決めれば早い」とレン。
「今まで、それで地図が山になった」とナギ。
「全部聞く時間はない」
「全部を一人へ送るから」
ナギは八つの小鈴を床へ置く。
「各雲が、今の返事を持つ。先頭を渡すときだけ、次の人へ必要な音を渡す」
「一つの歩鐘を八つに?」とトウカ。
「もともと八つ」
「命令は?」
「先頭から」
「返事は?」
「各雲から」
「最後に決めるのは?」
ナギはメグを見る。
「今、先頭を受け取った人」
「一人じゃないか」とレン。
「受け取る前に聞く」
「急いでいるときは?」
「返事を待てない理由も、全雲へ送る」
「反対されたら?」
「決める」
「結局一人」
「でも、聞かなかったことにはできない」
ザンバが円の外から言う。
「先頭は、全員の同意を得る者ではない」
「じゃあ何だ」とレン。
「反対を知ったうえで、置く一歩の責任を持つ者だ」
「後ろは?」
「反対したあとも、同じ道へ続くか選ぶ」
「分かれたら?」
「三番旗がある」とカナタ。
「何でも旗で解決しない」とルゥ。
「でも、また会える!」
メグは床の八本線を見る。
「受け取るのも、渡すのも怖い」
「先頭になりたいんだろ」とカナタ。
「なりたい」
「じゃあ行け!」
「怖いまま?」
「俺はいつもそうだ!」
「顔が楽しそう」
「怖いのも面白い!」
「それは参考にならない」と全員。
カナタは驚く。
「八人で!?」
「今は十人」とナギ。
「増えた!」
メグは少し笑った。
「怖い人から一歩を取らないで」
「何?」
「怖いからって、代わりに先へ行かないで」
カナタは答えようとする。
アカリの声が胸に戻る。
私の一歩目。
自分がいなかった道。
「でも、落ちたら」
「二歩目をお願いする」
「俺に?」
「返事を聞いてから」
カナタは胸を張りかける。
少しだけ止まる。
「……受け取る」
メグは頷いた。
最初の一歩と。
二歩目。
まだどちらも、実際の空へは置かれていない。
六番雲の鐘塔で、八本の鐘が一度に鳴った。
最初は、一番雲。
『前方、星根の霧。全雲、歩幅を半分へ』
続いて二番雲。
『貯雨池が満ちすぎてる。半歩より遅くすると、右へ水が寄る』
三番雲。
『北風が来る。三歩だけ速めないと、畑帆が裏返る』
四番雲。
『炉橋を冷却中。速めたら接合が割れる』
五番雲。
『吊り家を移してる。急な減速も加速もだめ』
六番雲。
トウカ自身の足元で、鐘索が一本裂けた。
「六番雲、現在路一本切断!」
七番雲。
『治療中。十二呼吸、歩脚を止めたい』
最後に八番雲。
『後縁の光索が張りすぎ。前が止まるなら、こっちは一歩だけ詰める』
八つの返事が、鐘塔の中でぶつかった。
トウカは反射的に、太い命令綱へ手をかける。
一つの音へまとめる綱。
止まるか。
進むか。
速めるか。
「どれを鳴らせばいいの」
一番雲から大鐘が来た。
――全雲、半歩。
トウカの手が大槌へ伸びる。
右の大槌には《命令》、左の小槌には《現在》の焼き印。危機では十二年の訓練が身体へ戻り、右手が先に命令を一音へまとめようとする。
ナギに手首を掴まれ、トウカは二本とも床へ置いた。
「これは、命令でも現在でもない」
自分の意見を鳴らす槌がない。トウカはためらい、掌で鐘の腹を叩いた。
ぼん。
きれいではない音。
「六番雲。私は、八つを消したくない」
十年前、幼かった自分が命令を渡した責任を、全部背負うつもりはない。それでも今の選択まで「子どもだった」で終わらせない。掌の赤みが、本人の現在の印になった。
「待って」
ナギが手首を掴んだ。
「七番雲は止まりたい」
「でも一番雲が半歩って」
「三番雲は速めたい」
「だから、一つを選ぶのが鐘守の仕事」
「一つにしたら、誰の返事を消す?」
次の歩鐘まで、三十呼吸。
ルゥは床へ銀枝を八本投げた。
「選ぶ前に、分ける!」
一本の太い命令路の脇へ、八本の細い線を差し込む。
「《継ぎ路》!」
銀糸は同じ場所へ集まらなかった。
二番雲の水路は、三番雲の畑排水へ。
三番雲の風見は、五番雲の吊り家へ。
四番雲の炉橋は、七番雲の治療寝台が渡る区間へ。
八番雲の後縁索は、一番雲ではなく六番雲の張力板へ。
「トウカ、八本を鳴らして!」
「同時に?」
「必要な相手へ!」
ナギは二番雲の鈴を取った。
「スイ。水を三番雲へ抜ける?」
『二十呼吸なら!』
「フウカ、受け取る?」
『畑水路、受け取る! その重さで北風へ向ける!』
二つの返事が別々の鈴に入る。
トウカは三番雲と五番雲をつないだ。
「フウカ。三歩速めるのは、どの区間?」
『畑区だけ!』
「イオ。吊り家は?」
『畑区が先へ出る間、家区を内側へ一歩ずらす。急がせないで!』
「受け取る?」
『受け取る!』
四番雲と七番雲。
「ガク。炉橋を止められる?」
『炉は止められない。橋だけ十二呼吸固定する!』
「リツ」
『治療寝台をその十二呼吸で渡す。受け取る!』
八番雲。
「メグ。後縁索は?」
『一番雲が半歩に落ちる前に、八番雲だけ一歩詰める!』
「一番雲、聞こえる?」
レンの声が返る。
『聞こえる。星図の半歩は、全雲同時でなくていい』
カイラの命令ではない。
後ろの返事を受け取った航路士の声だった。
トウカは大槌を置いた。
代わりに小槌を八本持つ。
一本目。
二番雲から三番雲へ。
二本目。
三番雲から五番雲へ。
三本目。
四番雲から七番雲へ。
順番も、音の高さも違う。
歩雲群が次の一歩を踏んだ。
一番雲は半歩。
二番雲は水を抜きながら半歩。
三番雲の畑区だけが三歩ぶん風を受ける。
四番雲は炉を動かしたまま橋を固定。
五番雲は吊り家を内側へ寄せる。
六番雲は切れた索を別の鐘へ継ぐ。
七番雲は十二呼吸だけ止まり、治療寝台を渡す。
八番雲は先に一歩詰め、後縁索を緩めた。
同じ足跡ではない。
それでも、八つの町は離れなかった。
「できた……」
トウカが八本の小槌を握ったまま息を吐く。
一番雲から大鐘が鳴った。
――全雲、報告を一音へ。
トウカは、もう大槌へ手を伸ばさなかった。
一番鈴へ、レンの星図。
二番鈴へ、スイの水量。
三番鈴へ、フウカの風。
八番鈴まで、それぞれの板へ残す。
「六番雲。八件、受領」
五回の現在鐘を返した。
命令に従ったとも。
逆らったとも、一つにはしない。
八つの結果を、八つのまま送る。