第12話 第四章「旗の検問」後編
凱の中で、秒針が人の命へ変わる癖が疼いた。
今決めろ。
役割を割れ。
最悪を一つ選べ。
胸の鐘へ触れかけた手を、松葉杖へ戻す。
青年がこちらへ向く。
「条件が三つあります」
迅が小さく息を吐いた。
「三って流行ってるのか」
「一つ目。患者名は聞かない。その代わり、診療所の受領責任者をここで確認する。二つ目。搬送班が戻るまで、門の外側に俺たちの一人が同行する。三つ目。十五日までに、空箱を一度、帰り向きでも通す」
「受ける」
凱は言った。
「早い」
澪が低く言う。
「三つ目は今日できる。二つ目は同行者が帰路の人数へ入る。記録する。一つ目は診療所へ確認する」
「誰が決めた」
「俺が――」
凱は止まった。
青年が待つ。
「俺は、搬送班の一人として賛成する。澪」
「帰還員が一人増える。役割と負傷時の交代が必要。だが、条件として合理的。賛成」
「七瀬」
「受領責任者の氏名公開範囲を診療所へ確認します。検問記録だけに封じるなら賛成」
「轟」
「箱が通る幅はある。外枠を戻せば、あと二センチ狭い。門側を削るな。箱側を外す」
「それ僕が決める」
タマキが言う。
「だから相談してる」
「今のは相談に見えなかった」
「では、外枠を外して通せるようにしてくれ」
「料金」
「払う」
「誰が」
凱は黙った。
市場価格に疎い凱の財布には、昨夜渡された小銭が三枚しかない。
迅が左足の靴を見た。
「俺は貸さない」
「聞いていない」
「借りる顔だった」
旧部下の青年が、初めてはっきり笑った。
「作業代は門の修繕費から出します。俺が決めます」
「名は」
七瀬が訊いた。
青年は一瞬、凱を見た。
凱は何も言わない。
青年は自分の名を告げた。
七瀬は記録したが、映像の公開範囲はその場で確認した。青年は検問台帳には実名、一般公開には役職だけを選んだ。
「では、帰り向きの試験を先に」
澪が言った。
「門を開ける前に?」
青年が訊く。
「往路を通したあとで、箱が戻れないと分かるよりいい」
空箱を百八十度回転させる。
外枠を付けた状態では、進行方向の持ち手が門柱へ三センチ触れた。往路側は丸く削られ、帰路側だけ古い補強板が出ている。地図に同じ幅と書かれても、道には向きがある。
「削る」
轟が補強板を見る。
「門を弱くする」
タマキが即座に言う。
「箱側を外す」
「外枠全部だと、帰路で落としたとき守れない」
「持ち手だけ回す」
タマキは外枠の継ぎ目へ工具を入れた。持ち手は固定式だった。轟が作った初期案の名残だ。
「切って蝶番」
轟が言う。
「今ここで?」
「門の修理場に道具がある」
青年が倉庫脇を示した。
火花を出せば見物人がさらに集まる。七瀬は撮影範囲を手元へ限定し、澪は火花の周囲を三歩空けさせた。
轟が金属鋸を引く。右手で枠を押さえ、左手で切る。大きな身体に似合わず、刃の往復は細かい。タマキは切断面へ蝶番を当て、穴位置を鉛筆で決める。
「四ミリずれてる」
「枠が歪んでる」
「作った人」
「落とした箱だ」
「箱のせい」
「履歴の話だ」
「説明の声が怒ってる」
「元から低い」
蝶番を付け、持ち手を内側へ折る。
片手で操作できるか、迅が試す。左指だけでは留め金が硬い。
「使えない」
「おまえが弱い」
轟が言う。
「右を貸せ」
「医者へ言え」
タマキは留め金へ短い布輪を足した。左手を輪へ通し、肘で引けば外れる。凱は松葉杖を脇へ挟み、片手で折り畳めた。澪は手袋を濡らしてから試した。
「五秒。許容」
「誰の基準」
「本番で列を止める時間」
空箱を帰り向きに通す。
持ち手を畳む。
門柱を抜ける。
外で開く。
温度票を見せる位置へ置く。
人数を数える。
もう一度、往路向きへ戻す。
全部で一分四十六秒。
検問員の一人が、帰路欄へ空箱の番号を書いた。
「空なのに?」
タマキが訊く。
「空で戻る箱を、空だから記録しないと、盗まれた箱と区別できない」
青年が答えた。
澪の口元がわずかに動く。
「使える」
「褒めた?」
「手順を」
門柱の補強板には、持ち手が擦った白い跡が一本残った。
本番の前に失敗できることは、運がいい。
ただし、失敗を消さず、形へ残した場合に限る。
閂へ手が掛かる。
「北荷路第一口。七月十五日の医療搬送に向けた往復歩測。検問責任者として、俺の判断で開ける」
木と鉄が擦れる。
重い閂は、王の命令より遅く上がった。
だから、誰の手で上がったかが見えた。
門が開く。
見物人の一部がざわついた。挑発した若者はなお何か言おうとしたが、先ほど芋を落とした女が、拾い直した袋を抱えて彼の前へ立った。
「通るの? 喧嘩するの?」
「何だよ」
「どっちなら、どいてくれるの」
若者は答えられず、一歩横へ退いた。
空箱が門を通る。
轟とタマキが左右の持ち手を支える。澪が人数を数える。七瀬は門の蝶番を撮る。迅は列の最後に立ち、群衆の足が車道へ出ないよう肩だけで押し返す。
凱は、旧部下の青年の前で止まった。
「よくやった」
言葉が出た瞬間、青年の肩がわずかに固くなる。
上から褒める声だった。
凱は言い直す。
「違う。助かった」
青年の肩から力が抜けた。
「まだ歩測です」
「そうだな」
「十五日に戻らなければ閉めます」
「閉めろ」
青年の眉が上がる。
凱はまた息を置いた。
「閉めてくれ。その理由を残せ。俺たちが戻ったら、開けた理由と一緒に読む」
青年はうなずいた。
門の向こうで、タマキが呼ぶ。
「凱。箱は待つけど、氷は待たない」
「今日は空だ」
「本番の癖を今つける」
凱は松葉杖をつき、門をくぐった。
背後で閂は下ろされなかった。
白い三角標識の下へ、一枚の紙が追加される。
《十五日 医療搬送歩測済み》
印は、鷺沼の三本線ではない。
検問責任者が、自分の手で書いた名前だった。