第38話 第五章「定足数」後編
「固定カメラも動かさない」
「じゃあ、何を持ってきた」
「音を入口のカメラまで運ぶ」
タマキは鉄箱を開いた。
中には古い校内放送用の音声分配器。真琴が規則庫で見つけ、七瀬が配線図を描き、体育館の元放送係が倉庫から出したものだという。
「四地点の音声を体育館へ送る。議場の声も返す。固定機の画角に、音声計と時刻板を置く。七瀬は画面から動かない」
「遠隔側の本人確認は」
「僕が西橋。東は佐伯さん。南は預かってる子のお母さんじゃない人。医療は看護師。名前と利害関係、先に読む」
「あなたは入口番号」
「代わり置いた」
「誰」
「白戸側の受付を辞めた人」
「信用」
「番号札を一枚ずつ渡して、一枚ずつ戻す。信用じゃなく数」
「あなたが決めた?」
「七瀬と相談した」
「帰路は」
「西橋まで走ってきた。帰りは荷役の人と二人。午後五時前」
「危険時」
「中止」
澪は頷いた。
タマキが木札の一枚を女性へ渡す。
《十八》。
「顔は撮らない。声は全部残る。切りたくなったら、この銅線を自分で抜いていい」
「抜いたら欠席?」
「今の規則だと、そうなるかもしれない」
「委任は」
「抜く前に、続けるか撤回するか言える。言わなくてもいい」
「言わないと会議が困る」
「困る。でも、言わないのもあなたの分」
女性は木札を膝へ置いた。
「子どもに言われると腹が立つね」
「十四歳。料金も取る」
「いくら」
「会議経費」
「曖昧だね」
「みんな同じこと言う」
手回し発電機が回る。
銅線を通じ、遠い体育館のざわめきが受話器へ流れ込んだ。
低い凱の声。
紙をめくる真琴の音。
鍋の蓋が台所で鳴る音。
固定機のクランクが一定に刻む音。
『遠隔本人確認を開始します』
七瀬の声だった。
『記録時刻、午前九時二十八分。議場側証者、火群七瀬。遠隔側証者の氏名、役割、利害関係を順に述べてください』
タマキが答える。
「環玉樹。配達員。十八番の人へ今日初めて機器を運んだ。白戸依久にも竜胆迅にも委任してない。会議が開けば配達料が出る」
『利害関係、配達料』
「あと、西橋を通って帰れるか確かめたい」
『追加します』
女性が小さく笑った。
「全部言うんだね」
「隠すと後で増える」
澪は女性の左側へ座った。
右耳では聞き取れない。だから位置を変える。
以前なら、聞こえるまで相手へ大声を要求した。
今は自分が動ける。
『席番号十八。氏名は非公開名簿と照合済み。あなたは本人ですか』
「はい」
『現在地』
「西橋東詰め待機所」
『会場へ来ない理由を、言いたい範囲で』
「脚と、帰り道。橋が閉じるのが怖かった」
『遠隔参加を自分で希望しますか』
「はい」
『誰かから、食事、保護、寝床、治療を条件に参加方法を指定されましたか』
女性は白い食券を鞄から出した。
「白戸くんの食券を受け取った。委任状にも署名した。橋が閉じるなら、自分で決められないと思ったから」
『委任をどうしますか』
「今は停止。会議を聞いてから決める」
議場で紙が動く音がした。
白戸の声が入る。
『停止には、代理人の同意が必要です』
女性の肩が強張った。
澪は何も言わない。
七瀬も言わなかった。
受話器の向こうで真琴が条文を読む。
『現行規則では、委任撤回に代理人同意を求める文があります。ただし本人が直接出席した時の委任併存は定められていません。異議として保留し、本人の発言を先に記録します』
『保留の間、票は誰に』
女性が訊いた。
『今のままでは白戸依久へあります』
『じゃあ、私が話しても、白戸くんが投票する?』
『可能性があります』
「変だね」
女性が言った。
『はい』
七瀬が答えた。
事実だけの返事だった。
女性は銅線を握った。
「でも聞く。切らない」
『了解しました。十八番、遠隔在席。委任状態は異議保留』
木札が表へ返される音が、体育館から聞こえた。
続いて四十四番。
排水管理小屋の男は、雨量計を読みながら参加した。会議途中でも水門操作を優先すると宣言し、議場から異議は出なかった。
七十一番。
南仮設二区の女性は、子どもの声が入った瞬間に線を切り、寝かしつけた後でもう一度接続した。切断中の三分十四秒を欠席と数えるかで議論になり、真琴が「本人が切れる設備を要求した以上、切ったことを不利益にしてはならない」と述べた。
九十七番。
医療団地の住民は点滴前に本人確認だけを終え、発言は体調回復後とした。
午前九時四十六分。
所在確認、百。
暫定在席、百。
元体育教員が赤鉛筆で大きな円を描いた。
『百人会議を、暫定開会します』
議場で拍手が起きかけた。
凱が手を上げ、止めた。
『四人はまだ会場にいない。二十三の委任は本人の声と併存している。開いただけだ。決まってはいない』
西橋の女性が受話器へ言った。
「王様だった人?」
「元」
タマキが答える。
「元って、いつまで元なの」
「僕に聞かないで」
澪は橋の西側を見た。
十二人の列が、二メートルずつ間を空けて渡っている。管理員が東で数え、荷役員が西で受ける。
会議が開いても、橋は閉じない。
閉じないと決めたのではない。
閉じるなら、先に帰る場所を作ると決めただけだった。
午前十時十一分。
澪が体育館へ戻ると、迅は用具口の脇へ座っていた。
座ると言っても、壁へ背を預け、いつでも立てる姿勢だ。右腕の固定材の下から赤い七結びが見える。左手首へ氷嚢を当てているのは、小麦に命じられたらしい。
「百、入った」
澪が言う。
「入ってない。四人は外」
「在席百」
「帰路」
「西、十二人間隔。東、排水灯。南、宿泊継続可。北、医療判断」
「閉鎖」
「自動なし。変更時は代替路」
「分かった」
「反対を撤回?」
「しない」
「理由」
「議場警備、まだ足りない」
「結果は出た」
「次も出るとは限らない」
澪は小さい笛を握った。
「私は、あなたが入口を開けたから帰路へ行けた」
「俺は、おまえが四人を見つけたから会議が開いた」
「これは和解?」
「作業報告」
「そう」
二人は同じ壁へ背をつけた。
迅は澪の右側に座っていた。
澪は何も言わず、彼の左側へ移った。
「何だ」
「聞こえる位置」
「先に言え」
「見れば分かると思った」
「命令の人間が察しろって言うな」
澪は迅を見た。
迅の口元が、ほんの少しだけ曲がった。
笑ったのではない。
笑いかけて、痛む手首を思い出した顔だった。
議場の中央では、百枚の席札がすべて表を向いていた。
そのうち四枚の前には、人の代わりに銅線が置かれていた。