第42話 第七章「台所の票」後編
「食券」
小麦が言う。
「ありません」
「じゃあ氏名」
「白戸依久」
「委任状態」
「聞かないんでしょう」
「確認。聞かない」
「僕を支持する人へ先に」
「順番は帰路と身体」
「僕は後でいい」
「後にする理由」
「僕の倉庫の食材が遅れた」
「罰で食べないと、空腹を美談に使うことになる」
「使いません」
「顔に出る」
「小麦さんは、何でも食事に戻しますね」
「あなたは何でも委任にする」
二人は配膳台を挟んだ。
「梅干し」
「いりません」
「大根」
「食べます」
「豆粉」
「少なめ」
「理由」
「具のないスープが好きです」
初めて聞く、白戸自身の好みだった。
小麦は豆粉を半匙にした。
「これは懐柔ですか」
「違う」
「敵にも同じ粥を渡して、同じ人間だと」
「同じにならない。あなたの票の取り方は嫌い。元栓を閉めた人にも腹が立つ。食べたら消える話じゃない」
「では、なぜ」
「食事と委任を切るため。食べても私に賛成しなくていい。食べなくても、あなたの票は増えない」
「代金は」
「会議経費。足りなければ、後で公開請求」
「皿洗いは」
「全員一枚」
「議長も」
「二枚。列を直して邪魔した」
白戸は椀を受け取った。
両手で持とうとして、右薬指が縁へ届かなかった。左手が自然に支える。
「僕は、今回は」
「毎回つけると冷める」
「……ありがとう、とは言いません」
「言われたら工賃が消えそうで嫌」
「薄いです」
「知ってる」
「でも温かい」
「それも知ってる」
白戸は通路脇へ座った。
自分へ委任された席ではない。空いた壁際。隣には、朝に彼の受付を手伝い、途中で腕章を外した男がいる。
二人は同じ粥を食べた。
同じ意見にはならなかった。
午後零時十四分。
台所の音声参加が始まった。
最初は、朝六時から米を研いだ女。
『白布の認証は条件付き賛成。理由は、仕事ごとに責任者名と終わる時刻が書けるから。反対は、炊き出しを無料奉仕と書くこと』
次は洗い場の老人。
『認証反対。印が増えると、印がない人が水を汲めなくなる。台所に白布はいらない』
三人目は燃料担当。
『保留。元栓を閉めた人の名前と、誰が頼んだか分かるまで決めない』
最後が小麦だった。
受話器を左肩と頬で挟み、右手で鍋蓋、左手で木べらを動かす。
『期限付きなら賛成。代表一人は反対。台所責任者は台所だけ。休憩を取らない人を責任者にしない条項がほしい』
『それは白布の認証条件ですか』
真琴が訊く。
『仕事を受ける条件』
『全活動へ適用?』
『休み方は仕事ごとに違う。少なくとも交代者の名前』
『委任は』
『しない』
『理由』
『木べらを誰に渡すかは、鍋の前で決める』
『比喩ではなく』
『今、鍋の前』
議場で小さな笑いが起きた。
小麦は笑わせるつもりはなかった。
鍋帳の休憩欄には、自分の名の横へ《十一時四十七分〜十一時五十九分、十二分》と書かれている。
十五分には三分足りない。
足りないことが残っている。
消して善人にするより、三分不足した料理人として票を出す。
受話器の向こうで、凱が言った。
『土門小麦、在席確認。鍋帳参照範囲、本人同意済み』
『確認』
『食事休止を終える。午後零時二十分から、委任者質問窓口を再開する』
『待って』
小麦は言った。
『何だ』
『皿洗い。議長二枚』
議場で、今度ははっきり笑いが起きた。
凱の深い声が返る。
『了解した。俺が二枚洗う』
『復唱』
『獅堂凱が二枚洗う』
小麦は受話器を置いた。
会議の決定はまだ一つも出ていない。
それでも洗い場には、白戸の椀と凱の椀と、名前の分からない人の椀が同じ高さに積まれていた。
同じにすべきなのは、意見ではない。
食べた後に残る仕事だった。