第43話 第八章「消えた出席者」前編
七月二十七日 午後一時六分
映像が途切れる時、人はすぐ誰かが切ったと思う。
機械は、もっと退屈な理由でも止まる。
線が抜ける。
歯車が欠ける。
回す人が眠る。
見られたくない人が、自分で蓋をする。
だから火群七瀬は、画面が暗くなっただけでは事件と呼ばない。
四つの音声線が、同じ秒に無音になった時も。
「午後一時六分十二秒。遠隔線、席番号十一、三十六、五十八、八十四が同時切断」
七瀬は固定撮影機の脇で時刻板を回した。
午前中から遠隔参加していた四人ではない。
昼休憩の直前、入口周辺の衝突を理由に会場を離れた四人だった。旧共同宿舎が用意した《安全休憩所》へ移り、そこから音声参加へ切り替える手続きが済んでいる。
本人たちは自分で歩いて出た。
退出時刻も、移動先も、撮影に残っている。
だから誘拐ではない。
少なくとも、誰かに担がれて消えたのではない。
「線の断線?」
真琴が訊いた。
「四回線同時です。物理線は体育館東の分配器まで共通。その先は別」
「共通部なら四つ全部落ちる」
「西橋、排水、南仮設、医療団地の線は生きています」
「安全休憩所だけ同時」
「はい」
「故意と」
「まだ言いません」
七瀬は音声計の針を見た。
ゼロではない。
十七秒ごとに、ごく小さく振れる。
耳を当てる。
布が擦れる音。
遠くの咳。
椅子の軋み。
十七秒。
同じ咳。
同じ軋み。
「無音ではありません。記録音の反復です」
「どういう意味」
タマキが固定機の下から顔を出した。
「線はつながってるふりをしてる」
「誰が」
「まだ」
「いつ分かる」
「現地」
「すぐ?」
「二十二分」
「何で二十二」
「退出した配膳車の速度。体育館から安全休憩所まで、台車で十九分。人混み三分」
「僕なら九分」
「機材込み」
「十三分」
「撮影許可の確認込み」
「現地で聞けばいい」
「聞く前に撮ったら遅い」
「撮らなければ早い」
「記録なしで連れ戻せば、本人が帰りたかったのか、私たちが連れ出したのか残りません」
「連れ戻すって決めてない」
「そうです」
七瀬は言った。
タマキが一瞬だけ黙る。
「今の、僕の言葉を使った?」
「訂正されたので採用しました」
「料金」
「会議経費」
「便利だね、それ」
七瀬は固定撮影機へ手を置いた。
動かせない。
正確には、動かさないと決めた。
議場では委任質問窓口が始まっている。七瀬が離れている間に、誰が何を質問し、どの紙がどの席から動いたか。固定機が途切れれば、後から「都合の悪い時間だけ撮っていない」と言われる。
しかし、七瀬自身がここへ残れば、四人の状態を確認できない。
カメラを守ることと、記録を守ることは同じではない。
「操作を交代します」
七瀬は言った。
近くで時刻札を持っていた五十代の映写技師が振り向く。
「私?」
「手回し機の経験は」
「学校映画で二十年。あなたの機械ほど重くない」
「毎分四十八回転。音声計が赤へ入ったら四十二。フィルム残量は二十七分。交換時、画面へ交換札を入れる。議場判断には答えない。撮影範囲を変える要請が来たら、時刻と依頼者だけ記録して保留」
「全部、あなたの代わり?」
「操作だけ。撮影判断は既に固定しています。緊急時は安全を優先し、止めてください」
「止めた責任は」
「あなたが止めた事実を残します。選んだ責任を私へ戻しません」
映写技師はクランクを握った。
「怖い言い方ね」
「すみません」
「謝るより、肩貸して。高さが合わない」
七瀬は三脚の補助台を二段下げた。左肩が熱を持つ。技師はそれに気づいたが、何も言わず右側へ立った。
七瀬は記録札を画面へ入れる。
《午後一時九分。固定撮影操作、火群七瀬から水城映写技師へ交代。画角固定。停止判断は操作者。撮影責任は火群七瀬》
「名前、映していい?」
「今聞くの?」
「今しかありません」
「いい。顔はやめて。髪がひどい」
「顔を外します」
「理由まで残すの」
「希望があれば」
「残さないで」
「了解」
七瀬は予備撮影機を右肩から斜めに掛けた。
左肩へ重量を載せないよう、工具帯を腰の右へ移す。小型機でも重い。クランク、予備テープ、音声針、レンズ三本。
タマキが手を出す。
「持つ」
「鉄箱は」
「番号札の人に預けた。今日は預けてばっかり」
「中身を確認しましたか」
「空。あと古切手三枚」
「カメラは高価です」
「僕より?」
「比較しません」
「じゃあ持つ」
「撮影は私」
「分かってる。左側から撮らないで」
タマキは帽子の下、左側頭部の火傷痕へ一度触れた。
「許可なく向けません」
「許可してない時も、起きたことは起きる?」
「起きます」
「撮らないと、なかったことになる?」
「なりません。ただ、なかったと言う人が増えます」
「じゃあ、言わせとけばいい時もある」
「あります」
「今日は?」
「本人へ聞きます」
タマキは予備機を鉄箱のように胸へ抱えた。
「十三分」
「十八分」
「何で増えた」
「交代記録に五分」
「大人は時間を使ってから数える」
「子どもは数えず走る」
「十四歳」
「知っています」
二人は東用具口から外へ出た。
安全休憩所は、旧市立図書分館だった。
体育館から東へ九百メートル。黒雨後は白冠の夜間待機所、解体後は共同宿舎の臨時寝床。正面のガラス扉には新しい紙が貼られている。
《会議参加者・安全宿泊》
《食事、寝床、帰路護送を提供》
《利用料なし》
その下に、虫眼鏡が欲しくなる大きさの文字が十二行あった。
七瀬たちは正面へ行かなかった。
行けなかった。
体育館から安全休憩所までの大通りには、白い腕章の集団と、白布を手首へ巻いた集団が向かい合っている。どちらも自分たちを警備と呼び、互いを暴徒と呼んでいた。
正面を抜ければ、七瀬は記録者でなく陣営になる。
「裏」
タマキが言った。
「死角です」
「道」
「固定機から見えない」
「固定機は体育館。ここまで見えない」
「街角の公営カメラが二台」
「壊れてる」
「なぜ知ってる」
「配達した。修理部品。まだ部品が届いてない」
「あなたが運んだ?」
「中身確認した。歯車。宛先は工務所。支払い遅れて受け取り拒否」
「便利な不具合ですね」
「不具合に便利も不便もない」
「あります。誰にとってかが抜けています」
「迅みたい」
「不本意です」
裏道は、古書回収用の細い搬入口へ続いていた。
そこへ一台の配膳車が止まっている。
体育館から四人を運んだものと同型。車輪に緑色の糸が絡んでいる。小麦の台所で大根袋を縛っていた糸だ。
台車の荷台には、木製の番号札が四枚。
《十一》《三十六》《五十八》《八十四》。
「本人の札を荷物みたいに運んだ」
タマキが言う。
「札を置いたのは本人かもしれません」
「そういうの、全部言うね」
「分からないことを、分かった側へ置かないためです」
「急いでる」
「分かっています」
搬入口は内側から施錠されていた。
タマキが郵便受けを覗く。
「ここ、名前ない」
「施設名は」
「安全休憩所って郵便受けに書けない。誰が受け取る」
扉の向こうで足音がした。
「配達です」
タマキが声を出す。
「何の」
「席番号十一、三十六、五十八、八十四へ。音声線の確認」
「正面へ」
「正面は乱闘」
「今日は受け取り停止」
「受け取り拒否の名前」
「施設判断」
「施設は手がない。誰」
沈黙。
七瀬は予備機をタマキから受け取り、扉ではなく番号札を撮った。
「午後一時二十二分。旧図書分館裏搬入口。四席の番号札を確認。施設内への本人所在は未確認」
「撮るな!」
内側の声が強くなる。
「番号札のみです。人物は映していません」
「ここは安全区域だ。撮影は禁止」
「禁止の決定者と掲示を」
「白戸依久の——」
声が止まる。
タマキが七瀬を見る。
「今、言った」
「途中です」
「白戸の何」
内側へ訊く。
「委任者保護規定です」
「規定を見せて」
「利用者だけ」
「じゃあ利用する」
「会議参加者のみ」
「僕、会議の伝令」
「議席がない」
「ある人に配達」
「受け取りは施設が代行します」
「代行を頼んだ人の名前」
「全員です」
「みんなって誰」
扉の向こうで、相手が息を吐いた。
大人の曖昧語は、十四歳に同じ形で返されると急に幼くなる。
「受付責任者を呼ぶ」
「何分」
「待て」
「待つって何分」
「五分!」
タマキは砂時計を置いた。
「五分」
七瀬は建物の外壁を見た。
旧図書分館の放送線は屋上から体育館方向へ延びる。新しく張られた銅線が、雨樋に沿って二階窓へ入っている。
線は切れていない。
「屋上」
七瀬が言う。
「正面じゃなく?」
「回線の状態を確認します。建物への侵入はしない」
「梯子」
「非常階段」
「鍵」
「外側」
二人は建物裏を回った。
非常階段の一段目は地上二メートルへ引き上げられている。黒雨後の防犯改造。下には、配膳車がもう一台置かれていた。
タマキが車輪を固定し、荷台へ乗る。
「カメラ」
「私が」
「肩、痛い」
「痛いだけです」
「迅みたい」
「撤回します」
七瀬は予備機をタマキへ渡した。
「落下させた場合」
「料金」
「あなたの配達保険」
「ないって言った」
「では、落とさないで」
「先にそれでいい」
タマキが鉄箱の肩紐へ機材を固定する。七瀬は配膳車から非常階段へ飛びついた。左腕を頭上へ上げない。右手で手摺を掴み、左肘を段へかけ、膝で上がる。
肩の奥が焼ける。
タマキが下から支えようとする。
「触らないで」
「落ちる」
「左腰なら」
「先に言って」
「今言いました」
「遅い」
「記録します」
「しなくていい」
二階踊り場へ上がる。
非常扉は内側から鎖。入らない。
屋上までさらに二階。
風が強い。タマキの緑帽子が浮き、彼は片手で押さえる。七瀬は左側へ回り込まず、右から撮影位置を取った。
屋上の回線箱は新しい南京錠で閉じられていた。
箱の外から四本の線が入り、一本が出る。
出た一本は体育館へ。
箱の側面に、小型の音声再生器が括りつけられている。手回しではなく、ぜんまい式。十七秒の輪を繰り返す。
「線は生きてる」
タマキが言う。
「中の声を、反復音へ差し替えています」
「切ったのと同じ」
「結果は。同じではありません」
「何で」
「切断なら事故に見える。反復なら、参加が続いているように見せられる」
「それ、事件?」
「故意なら」
「誰が」
「鍵を開けないと」
タマキがポケットから細い針金を出す。
「開けられる」
「不法侵入です」
「箱の中だけ」
「箱も所有物」
「四人の声も中」
「だから壊さず確認する方法を」
「待ってる間に会議が」
タマキは針金を鍵へ入れた。
七瀬は止めなかった。
止めないことも判断だ。
「時刻と行為者を記録します」
「手伝わない?」
「撮ります」
「それ、ずるい」
「はい」
七瀬は予備機を回した。
「午後一時二十七分。環玉樹が、遠隔参加者四名の通信状態確認を目的として回線箱の錠前を開錠。施設の承認なし。火群七瀬は撮影し、制止せず」
「僕だけ悪く見える」
「私も入れました」
「もう少し格好よく」
「開錠に三十一秒」
「それはいい」
鍵が開く。
箱の中には、四つの切替レバーがあった。
《本人音声》
《代理応答》
《保護休止》
全て《保護休止》へ下がっている。
下に規定紙。
《安全宿泊中、利用者は外部からの政治的接触を避ける》
《既存委任は宿泊期間中維持される》
《音声参加は施設責任者を通じて行う》
《規定への同意をもって食事、寝床、帰路護送を提供する》
「親切の説明書みたい」
タマキが言った。
「親切にも条件があります」
「小さい」
「文字は読めます」
「読めたら選べる?」
「選ばなければ寝床がない時は、読めても自由ではありません」
「じゃあ署名は無効?」
「私が決めません」
「いつも決めない」
「決める場所を選びます」
タマキはレバーへ触れようとした。
七瀬が手首を止める。
「本人に聞く前に戻さない」
「声が聞けない」
「施設責任者を待つ」
「五分過ぎた」
砂時計は下に置いたままだが、タマキは秒を数えていた。
屋上扉が開いた。
白戸依久が現れた。
息を切らしている。右薬指を左手で伸ばし、階段を上がる間に誰の歩調も借りられなかったらしい。後ろには図書分館の受付責任者と、白い腕章の二人。
「回線箱から離れてください」
受付責任者が言う。
「午後一時二十九分。施設責任者が到着」
七瀬は撮影を続ける。
「撮影を止めろ」
「人物の顔は外しています。箱と規定紙だけ」
「規定は内部文書だ」
「会議参加条件です」
「利用者へ説明し、署名を得ています」
白戸が言った。
口調は受付責任者に似ていた。
「本人音声を反復音へ替えたことも」
「保護休止です。外で衝突があり、会場からの圧力を避けるため」
「本人がレバーを選びましたか」
「利用規定へ同意した」
「質問を変えます。四人は、自分の声を反復音に替える操作を知っていましたか」
白戸は受付責任者を見る。
肩が同じ角度へ上がる。
「規定にあります」
「操作の説明は」
「細部です」
「声が届かないことは細部?」
「政治的接触を避けると」
「会議へ参加する契約と、会議から保護する契約が同時にあります」
「危険な会議から一時休止する選択です」
「本人が選び直せる?」
「施設責任者を通じて」
「今、四人へ聞かせてください」
「撮影を止めれば」
「顔は撮りません」
「音声も」
「本人が断れば」
「先に止めろ」
「先に本人へ確認します」
「確認自体が圧力です」
「あなたが代わりに拒否するのも圧力です」
白戸の右薬指が震えた。
「七瀬さんは、記録すれば中立だと思っていますか」
「思っていません」
「あなたのカメラが来れば、四人は空白側へ逆らいにくくなる」
「そうです」
「認める?」
「だから顔を撮らない。質問者が私であることを記録する。断っても会議へ不利益が出る可能性を言う」
「それで圧力が消える?」
「消えません」
「なら帰ってください」
「あなたの圧力も消えない」
「僕は寝床を出している」
「だから強い」
「何も出さない人が、選択だけ自由にしろと言う方が強い」
七瀬は答えなかった。
白戸は正しい部分を持っている。
七瀬たちは、四人へ今夜の寝床を用意していない。安全な帰路を保証できない。会議へ戻れと言えば、その代償は本人が払う。
正しい一部は、嘘より扱いにくい。
「戻れとは言いません」
七瀬は言った。
「ここへ残ったまま、何を会議へ伝えるか本人へ聞く」
「伝えない選択も」
「あります」
「委任を維持する選択も」
「あります」
「食事と寝床を受け取る選択も」
「あなたたちが票と切り離すなら」