第44話 第八章「消えた出席者」後編
「切り離したら、誰が費用を」
「公開請求」
「払われなければ」
「未払いとして残る」
「空腹は帳簿を食べません」
「帳簿がなければ、空腹を誰かの票にして食べます」
白戸はしばらく七瀬を見た。
「名言ですか」
「小麦の請求書です」
タマキが口を挟む。
「五分、三分過ぎた。四人に聞く?」
白戸は右薬指を左手で伸ばした。
「僕は、今回は、聞くことに反対しません。撮影は規定紙だけ。人物の声は、本人が録音を選んだ時だけ」
「了解」
受付責任者が白戸を見る。
「依久、宿泊条件が崩れる」
「条件を選び直すだけです」
「一人が撤回したら、倉庫の保護枠を減らされる」
「誰に」
「供給者に」
「名前を」
「今ここで?」
「みんなって言わないために」
白戸の声は低かった。
受付責任者は困った顔をした。
それ以上は、四人を待たせないため保留になった。
図書分館の一階閲覧室には、簡易寝台が十二台並んでいた。
四人の会議参加者は、窓から離れた奥にいる。
七瀬は撮影機へレンズ蓋をした。
蓋をした状態を一度撮り、音声だけを回す。
「映像は黒。音声記録の許可を、一人ずつ確認します。断っても、断った事実以外は記録しません。断った事実も残したくなければ、そう言ってください」
「何も言わなきゃ?」
席番号五十八の男が訊いた。
「沈黙と記録します」
「沈黙を勝手に拒否にしない?」
「しません」
「同意にも?」
「しません」
「じゃあ、席は」
「今の規則では未確認になり、会議の定足数が欠けます」
「結局、喋らせるじゃないか」
「その圧力があります」
「謝らないの」
「謝ると、許す返事まで求めることになります」
「面倒な人だな」
「よく言われます」
「録音しない。俺は今、何も言わない」
「了解。席番号五十八の希望により、音声記録なし。沈黙の内容を解釈しない」
「それも残すな」
「では、記録札に《本人希望により確認情報非公開》だけ」
「それなら」
五十八番は背を向けた。
七瀬は本当に録音を止めた。
針がゼロへ落ちる。
次、十一番。
年配の女性は録音を許可した。
「私は白戸くんへ任せたままでいい。ここに寝られるなら。脅されたって書かれても構わない」
「委任内容は」
「白布を認めない。白冠の印へ戻す。食事と見張りがある方がいい」
「白戸が別の判断をしたら」
「任せる」
「質問は」
「今夜の寝床、明日の朝食、帰りの護送。この三つ」
「白戸へ答えを求めますか」
「求める。答えられなければ委任を考える」
「録音を会議へ送る?」
「送る」
十一番の声が、本人の選択で回線へ戻る。
三十六番は若い父親だった。
「委任は維持。でも、宿泊条件と分けてほしい。今日分はもう同意した。次からは食事だけでも取れるように」
「今日の同意を撤回しない理由」
「読んだ。小さかったけど読んだ。嫌だった。でも外で殴り合ってるより、子どもとここにいる方を選んだ。自由じゃないって言われても、選んだのは俺だ」
「その言葉を、どう記録しますか」
「そのまま。『自由ではない条件で、本人が委任維持を選択』」
「了解」
「美談にするなよ」
「しません」
「被害者にも」
「しません」
「じゃあ撮ってないのに、どう信じる」
「信じなくていいよう、あなたが後で記録を確認し、撤回できます」
「撤回したら、もう流れた声は」
「公開先から回収を求めます。完全には消せない可能性があります」
「正直だな」
「不便な部分を先に言います」
「それ、商売下手だ」
「記録屋です」
最後、八十四番。
十代の少女だった。
白戸の共同宿舎で夜間見張りをしている。朝から白い腕章をつけ、東受付の列整理にも立っていた。
「顔は撮らない?」
「はい」
「声だけなら、白戸くんの真似だって言われる」
白戸が少し身じろぎする。
「本人確認の証者を二人置けます。ここからは施設責任者。議場からは固定記録。氏名は非公開名簿」
「あなたは私の味方?」
「違います」
「白戸くんの敵?」
「行為によっては」
「ずるい答え」
「はい」
「私は、白戸くんを支持してる。食事も見張りも本当にやってる。今日の入口はやりすぎ。元栓はもっと駄目。でも白布の人たちは、仕事が終わると帰る。夜に誰が残るか分からない」
「そのまま会議へ伝えますか」
「伝える」
「委任は」
少女は白戸を見た。
白戸は何も言わない。
相手の姿勢を真似ないよう、両手を膝へ置いている。
「白戸くんへ任せた。でも今は、自分で話す。委任を止めて」
「食事と寝床は」
施設責任者が訊く。
少女の肩が硬くなる。
白戸が先に言った。
「続けます」
「倉庫の枠が」
「僕の委任から外れても続けると、昼に約束した」
「費用をどうする」
「僕の報酬分を先に」
「白戸」
七瀬が言う。
「それでは、あなたが自分の食事を削ったことが、少女の票へ圧力になります」
「じゃあどうすれば」
「費用を公開し、未払いにする。小麦へ請求方法を聞く」
「未払いで食材は来ない」
「その問題は消えません」
「今夜までに」
「今夜は提供する。明日以降を別の場で決める。票と同時に決めない」
「別の場を、誰が作る」
白戸の声が少し高くなる。
七瀬は答えを持っていなかった。
迅なら「決める」と言い、後で人を探す。
凱なら担当名と期限を置く。
小麦なら原価を壁へ貼る。
七瀬は記録者だった。
記録だけで、明日の朝食は出ない。
「私には決められません」
七瀬は言った。
「会議へ費用と未解決を持ち帰ります」
「それだけ?」
少女が訊いた。
「はい」
「助けてくれないんだ」
「今ここで、助けると言えば嘘になります」
少女は不満そうに口を曲げた。
「でも、話す。録音して」
七瀬はレンズ蓋をしたままクランクを回した。
黒い映像の中で、音声計の針だけが動く。
「席番号八十四。本人の希望により映像なし。音声公開は百人会議と異議審査のみ。委任停止を希望。安全宿泊を継続希望」
少女が自分の言葉で続けた。
「白戸依久を支持している。でも私の声は、今日は私が使う」
その声は白戸に似ていなかった。
七瀬にも、迅にも、凱にも似ていなかった。
午後一時五十二分。
体育館へ戻る回線は、四つのうち三つが復旧した。
十一番と三十六番は、本人の音声で委任維持を確認。
八十四番は直接遠隔へ切り替え、白戸への委任停止を異議保留として記録。
五十八番は、本人の希望により確認情報非公開。委任も直接出席も確定しない。
在席確認は九十九へ落ちた。
真琴が議場から言う。
『五十八番が何も言わなければ、会議を続けられません』
「何も言わないことを、こちらで埋めないでください」
『分かっています。ただ、現行規則では』
「現行規則が困る、と記録してください」
『会議そのものが止まります』
「止まる理由は、五十八番の沈黙ではありません。沈黙を席として扱えない規則です」
電話の向こうで、凱が訊いた。
『五十八番は安全か』
「安全休憩所にいます。寝床、食事あり。本人の希望で音声も映像も記録していません」
『帰路は』
「明朝の護送予定。変更権限は施設。本人は現時点で残る」
『了解した。所在は確認。意思表示は未確認として、会議を休止せず審議だけ続ける。採決はしない』
白戸が七瀬の横で言う。
「僕の委任を復活させれば、百です」
凱の声が回線から返る。
『本人の言葉なしに戻さない』
「本人は署名した」
『直接参加した時に休眠した。再開条件は紙にない』
「ないなら以前の状態へ」
『どちらとも決められない。だから空席へ置く』
「空席は今、席ではありません」
『それを決める』
「九十九人で?」
凱は答えなかった。
問いは正しかった。
七瀬は予備機のレンズ蓋を外さないまま、白戸へ向けた。
「顔は撮りません」
「聞いていません」
「あなたの声だけ、記録してよいですか」
「何を」
「今、何を望むか」
白戸は右薬指を左手で伸ばした。
「僕は、今回は、五十八番の委任を勝手に戻しません」
「理由」
「戻したら、僕が欲しい百になっても、本人がいません」
「会議へ送りますか」
「送ってください」
七瀬は音声針を見た。
白戸の声は、反復せず一度だけ振れた。
黒い画面には何も映らない。
何も映っていないことが、この時だけは必要な記録だった。