第48話 第十章「百人目」後編
『はい』
真琴が答えた。
「でも、私の席を勝手に埋めるよりいい」
看護師が残り一分の札。
「切る。私は委任しない。席は空ける。今日中。撤回は私の声か、看護師の本人確認付き書面。音声は会議内だけ」
『確認しました』
七瀬。
『切断操作は本人が行います』
タマキは栓へ触れなかった。
カーテンの向こうから手が伸びる。
細い指が、音声端子の栓を抜いた。
針がゼロへ落ちる。
在席確認は、規則上また九十九。
だが、体育館の九十七番席には、本人が選んだ空白が残った。
午後五時三十一分。
病室前で、タマキは鉄箱を看護師へ引き渡した。
「受取人」
「病棟音声担当として受け取ります。本人の次回接続希望があれば使用。使用しなければ午後八時に返却準備」
「箱の中身」
「音声端子、発電機、予備ヒューズ、工具。銅線は外壁接続中」
「番号札」
タマキは《九十七》を見た。
患者の席札だ。
病室へ置くか、体育館へ戻すか。
「本人へ聞く」
看護師がカーテン越しに確認する。
返事が来る。
「体育館へ戻して。空ける席は、そこにある」
タマキは番号札を上着の内側へ入れた。
帰りは地上の北医療路。
佐渡、沼田、牧が病院前に待っていた。
「本人、嫌がったか」
佐渡が訊く。
「話した。委任しない」
「じゃあ白戸の票が減った」
「凱にも入れない」
「会議は」
「空席を数えるか決める」
「わざわざ線を運んで、空席?」
沼田が言った。
「空っぽ運んだのか」
「違う」
タマキは胸の番号札を押さえた。
「誰にも渡さないっていう中身」
「それ、荷物になる?」
「重かった」
牧が、タマキの鉄箱の肩紐についた血を見た。首の火傷痕が擦れて、薄く滲んでいる。
「箱、置けばよかったのに」
「一回置いた」
「助けるために?」
「落ちそうだったから」
沼田は目を逸らした。
「英雄みたいに言うな」
「怒られる話。端子の柄、曲がった」
「修理代は」
「会議経費」
三人が同時に笑った。
タマキも笑った。
誰も味方にはなっていない。
佐渡は空席制度に反対だと言い、沼田は白戸を支持すると言い、牧は白布の認証に賛成だと言った。
意見が違う四人が、同じ銅線を踏まないよう間を空けて歩いた。
午後六時十一分。
体育館へ戻ると、外の群衆はまだいた。
ただし、朝とは並び方が違う。
澪が帰路線を三本に分け、退出者と入場待ちと異議提出者を別の列にしている。轟は用具口の境界へ立ち、迅は投票箱から七歩の位置で、近づく者の肩を見ていた。
タマキは議場へ入る。
百の席。
九十七番の座布団は空いている。
白戸の委任状はない。
凱の紙もない。
タマキは番号札《九十七》を、座布団の中央へ置いた。
真琴が確認票を読む。
「明示的委任拒否。本人確認済み。期限、本日二十三時五十九分。撤回方法、本人音声または病棟証者付き書面。認証判断、保留。記録範囲、百人会議と異議審査」
「現在の規則では、在席に含めない」
白戸が言う。
「改正案では含める」
凱が答える。
「改正案を採決する人数に含めるのは、循環です」
「含めなければ、空席を認める人は永久に採決へ入れない」
「悪用されます」
「される。条件を置く」
「声を出せない人は」
タマキが訊いた。
真琴が答える。
「本人が事前指定した合図、署名、指差し、証者二名。今日は制度の全てを完成させない。暫定案は本人確認できた明示的拒否のみ」
「今日だけの特例?」
「今日を期限とする暫定手続き。恒久化は別の審議が必要」
「別っていつ」
「まだ決めない」
「後に逃げた」
「将来を今の規則へ書きすぎないためです」
真琴は本気で言った。
タマキは高い議長席を見た。
空いている。
凱は低い机にいる。
「採決する」
凱が言った。
「その前に、議場へ侵入しようとしている者が十五」
澪の報告。
「投票箱を無効にする、と公言。南窓三、正面七、用具口五」
迅が左手首の包帯を締め直す。
「採決中に来る」
轟が欠けた前歯へ舌を当てる。
「床、持つ。窓、持たん」
凱は百席を見渡した。
「空席を数えるか決める前に、空席そのものを壊しに来る」
「守る?」
タマキが訊く。
「席を」
「人は」
「澪が帰路。小麦が保健室。迅と轟が身体。七瀬が記録。真琴が採決。俺が議長」
「僕は」
凱は九十七番の番号札を見た。
「誰にも持たせるな」
「命令?」
「仕事の依頼。番号札を席に残す。危険なら人を取れ」
「箱より?」
「箱より」
タマキは座布団の横へ座った。
百人目は、ここにはいない。
いないことを自分で選んだ人の席だけがある。
体育館の外で、南窓のガラスが割れた。