第50話 第十一章「採決」後編
午後七時二十三分。
第二の採決。
今度こそ、白布の扱いだった。
議案名は長い。
《中央を空けた白布を用いる救難・修理・記録・配食その他の期間限定共同作業に対し、領土、永久代表、強制徴収権を伴わない活動認証を付与する件》
「長い」
迅。
「短くすると、権限が増えます」
真琴。
「紙は長い。期限は?」
「三十日」
「長い」
「あなたの感想は記録しません」
「助かる」
提案の内容は、朝のものと変わっていた。
白布を掲げた者が、都市全体の代表を名乗ることはできない。
区域を所有できない。
恒久的な代表者を置けない。
会費や食券、通行料を強制できない。
作業ごとに、目的、期限、責任者、証者、撤回窓口、帰還確認を白布へ書く。
参加者は途中で白布を外し、理由を述べずに離脱できる。
認証は三十日で失効する。継続には、利用者と被利用者を含む再審議が必要。
白布を使った詐欺や暴力は、布そのものの責任ではなく、使用者名と仕事番号で記録する。
そして、名称。
《空白の旗》
団体名ではなく、活動認証名。
旗でありながら、誰か一人の顔を中央へ置かない。
「代表がいないなら、誰に損害賠償を求める」
反対席から声が飛ぶ。
轟が答える。
「仕事ごとの責任者。修理なら施工。救難なら指揮。記録なら公開者」
「逃げたら」
「証者と登録窓口が残る」
「窓口が逃げたら」
真琴が入る。
「認証停止。資材台帳を公開。被害申告を優先。完全ではありません」
「完全じゃない旗を認めるのか」
凱は答えた。
「完全な一人へ預けるより、壊れた場所が見える」
「おまえが言うと便利だな、元王」
「そうだ。俺の失敗を理由に、全ての代表を否定するつもりもない」
別の席から、白戸の支持者が立つ。
「白戸の宿は、夜中でも責任者が一人いた。空白の旗は、誰も代表じゃないと言って帰るんじゃないか」
迅が壁から離れた。
「帰る」
体育館が静まる。
「仕事が終わったら帰る。終わってないなら、帰る奴の名前を残す。残る奴を王にしない」
「それで夜中の子どもを誰が守る」
「その仕事を引き受けた奴」
「誰も引き受けなかったら」
「守れない」
迅は、正しそうな嘘をつかなかった。
「だから、引き受けたふりをする旗より、引き受けてないことが見える方がましだ」
「まし、で票を求めるのか」
「俺は求めてない」
「候補者じゃないから?」
「責任から逃げてるから」
七瀬のクランクが一定の速度で回る。
迅はそれを聞いて、言い足した。
「逃げたままにしないための期限が、三十日」
凱は迅を見る。
迅は視線を返さない。
代表にならない者も、言葉の結果からは退けない。
白戸が立った。
「反対意見を述べます」
右薬指を左手で支えている。
「この認証は、白布を使う人へ選択肢を増やします。でも、白布を使わない人へは、新しい検問になるかもしれない。『認証がないから信用できない』と言われる。宿や食堂や警備は、毎日続きます。三十日ごとに百人を集められない仕事もある」
「では、あなたの案は」
真琴が訊く。
「常設の技能登録所。登録した人は、委任された範囲で継続して働く。代表者は複数。撤回窓口は必要です」
「それはあなたが担う?」
七瀬。
白戸の口元が止まる。
「……僕が、全部ではなく」
「全部でなく?」
「技能の照合は、できます」
白戸の声は誰にも似ていなかった。
「何が得意か、誰が教えられるか、記録できます。代表は、分かりません」
「その案は本日の二択に入っていません」
真琴が言う。
白戸の肩が落ちる。
「ただし、反対理由と代案として全文を残します。今日、採用されないことと、存在しないことは別です」
「慰めですか」
「記録です。慰めは小麦へ」
「有料」
小麦が即答した。
白戸が、ほんの少し笑った。
採決へ入る。
今度も三択。
賛成。
反対。
保留。
凱は自分の一票だけを持った。
軽くはない。
二十三票を持った朝より、重かった。
一票には、間違えた時に隠れる人数がいない。
凱は賛成札を入れた。
白戸は反対。
小麦は賛成。
澪は席を持たない。議場外の帰路担当として傍聴記録へ意見だけを残す。
『認証に賛成。ただし、会場滞在を参加条件にしない。帰路がない会議は再開催』
七瀬は自分の票を入れた後、カメラへ戻る。
タマキは議員ではない。
「僕の席ない」
「傍聴意見は書けます」
真琴。
「書く。白布の仕事に配達を入れるなら、送り主、受取人、目的を全部書く」
「長い布が必要ですね」
「畳めば」
「但し書きが内側になります」
「外に縫う」
「採用未定です」
「書いて」
「書きます」
箱が再び開く。
集計。
「賛成、五十七。反対、二十九。保留、十四」
成立条件の過半数を超えた。
勝利の歓声が一部から上がる。
凱は右手を上げた。
「止めるな」
真琴が意外そうに見る。
「歓声を?」
「止めない。ただし、反対二十九と保留十四を続けて読む」
歓声の中で、真琴は読み始めた。
「反対理由。一、認証印が新しい検問へ転用される恐れ。二、常設の宿泊・配食・夜間警備を期間作業だけでは担えない。三、責任者が頻繁に交代すると被害申告先が分からない。四、白布を使わない地域が資材配分で不利になる懸念。五――」
歓声は少しずつ小さくなる。
勝った者が黙らされたのではない。
勝った後にも聞く時間が残っていた。
「保留理由。一、入院、育児、炊事、夜勤者の参加方法が暫定。二、声・文字・映像を使えない本人確認の方法が未完成。三、三十日後の再審議費用が未確保。四、認証停止時の食料と医療の継続手順が未定――」
小麦が黒板へ費用を書き始めた。
「会場、八百。紙、百二十。粥、千三百四十。燃料、四百。人件費、まだ」
「今、ですか」
真琴。
「未確保って読んだ」
「採決の余韻が」
「余韻は腹を満たさない」
「比喩ではなく?」
「今夜の片づけ、十七人分」
轟が欠けた前歯へ舌を当てる。
「机、百。窓、三枚。扉、蝶番四。床、白墨」
「床は消すな」
タマキが言った。
「九十七番の円?」
「箱の円。次に使う」
「次はまだ決めない」
真琴が反射的に言う。
「掃除の話」
「失礼しました」
採決は終わった。
白布は認められた。
領土を持たず、永久の代表を持たず、三十日で効力を失い、参加者が途中で外せる認証として。
空席は数えられた。
人がいないことではなく、委任しないという本人の意思が、期限と撤回方法を持ってそこにある時に限って。
白戸は負けた。
九人の委任を持ったまま。
凱は勝った。
二枚の委任を使わないまま。
迅は誰も殴り倒さなかった。
轟は十五人を床へ寝かせなかった。
七瀬の映像には、勝利より先に、反対理由の読み上げが残った。
真琴が最後の封印紙へ時刻を書く。
午後七時四十六分。
投票箱の蓋が閉じる。
その向こうで、九十七番の番号札だけが、誰にも持ち上げられず座布団の中央にあった。