第74話 第十一章「冷える工場」後編

 休養を仕事へ混ぜないよう、あえて別にする。

「休むだけで食券?」

 補佐が訊く。

「停止前に連続勤務した者は、休養が再起動条件です」

 真琴。

「誰が判定」

「鍋帳、入退場、本人申告。三つが違えば、本人の不利益にならない方へ仮置き」

「嘘をつく」

「嘘を疑って全員を働かせれば、また止められなくなります」

 工員たちは票へ書く。

 すぐ決める者。

 隣と相談する者。

 空白のまま折る者。

 小麦は空白票を戻させない。

《未定》へ丸を付けるか、何も書かず本人が持ち帰るかを選ばせる。

 決められない状態も、誰かの人数へ数えない。

 集計の結果、修理三十一。

 街の代替作業二十六。

 休養四十八。

 育児・看護十九。

 未定十一。

 持ち帰り七。

 合計百四十二。

「修理、足りない」

 轟。

「必要三十八」

「七人を休養から取る?」

「取らん」

「じゃあ工期」

「延びる」

「湯が」

「旧槽、明日昼まで」

「間に合わない」

 食堂の全員が数字を見る。

 ここで七人を命じれば、計画は綺麗に収まる。

 凱が立つ。

「修理工程を三十八人前提から作り直す。三十一人で再起動条件だけを満たす。後回しにする修理は公開する」

「危険」

「危険を隠して間に合わせるより、湯の制限を延長する」

「街が怒る」

「俺が説明する」

「また桶」

「今度は避けない」

 工員の一人が笑った。

 笑いは疲れていた。

 それでも、誰かを追加で立たせる命令より長く続いた。

 明日の仕事表には、初めて《休養四十八》が人数として載った。

 空白ではない。

 働かない者でもない。

 工場をもう一度止められる人間として戻るための、明日の担当だった。

 午後九時二十二分

 小麦は一人で工場を歩いた。

 見回り許可票を腕へ巻く。

 目的、食堂から救護所までの夜食配達。

 近道をせず、決められた通路を行く。

 圧延機は止まっている。

 昼まで床を震わせていた巨大なローラーが、暗闇に並んでいる。

 炉は完全には冷えていない。

 赤い覗き窓が、遠くで小さく光る。

 配管から時折、水滴が落ちる。

 ぽつ。

 それだけで、建物全体が広くなる。

 操業中には聞こえなかった音がある。

 梁の縮む音。

 弁の冷える音。

 金属が自分の重さへ戻る音。

 工場は静かではなかった。

 人を急がせる音を失い、自分の傷を小さく鳴らしていた。

 食堂に置いた十三脚の椅子が見える。

 一脚は、脚の長さが違う。

 工員が応急で紙を挟んでいた。

 小麦は直そうとして、やめる。

 轟の診断を待つ。

 自分が今すぐ直せば、誰が不具合を見つけたか消える。

 椅子へ札を置く。

《右前脚、三ミリ短い。使用停止。修理担当未定》

 たった一脚。

 工場の主弁に比べれば小さい。

 人は大きな弁を閉じた後、小さな椅子でまた転ぶ。

 だから仕事は、決着の大きさで終わらない。

 小麦は救護所へ夜食を届けた。

 空の鍋を持って戻る。

 食堂の灯を消す。

 最後に残った音は、鍋の中で木の匙が一度だけ転がる音だった。

 工場は止まっていた。

 その静けさの中で、明日直す物の名前だけが、少しずつ増えていた。