第101話 第一章「切符の裏」前編

十月十七日 午前七時八分

 切符は行き先を印刷する。

 裏側には、印刷しなかった行き先が残る。

 環玉樹は、朝食の皿より先に使用済み切符を並べた。

 十一枚。

 すべて南環駅発、環状線内回り。薄い灰色の厚紙に、黒い活字で同じ区間名が入っている。日付は九月二十一日から十月十六日まで。角の丸まり方、汗染み、改札鋏の深さは違うが、普通の大人なら全部を同じ物と呼ぶ。

 タマキは呼ばない。

 一枚目の左縁に、針先ほどの三角。

 二枚目は右下に半円。

 三枚目は上辺へ二つの浅い切欠き。

 印刷のずれではない。紙を裁断したあと、別の刃で付けられている。

「食べないなら下げるよ」

 共同食堂の当番女が言った。

「食べる」

「何を」

「塩パン」

「今、切符を見て答えたね」

「塩パンの行き先は僕」

「なら届く前に冷える」

 タマキは切符を鉄箱の蓋へ移し、塩パンを一口かじった。外側が硬く、内側に昨日の湿気が残っている。好みだった。

 元配達所の一室は、朝になると仕事のない者が一番忙しい。

 前日の工具を返す。

 受領票を閉じる。

 誰がいつまで白布を預かるか確認する。

 期限が過ぎた責任名を消す。

 壁際には、中央が白い布が巻かれている。空白の旗〈ブランク〉は旗団ではない、と三十日間で百回は言った。百一回目に言わなくても旗団でなくなるわけではない。

 旗芯〈コア・ピン〉はタマキの鉄箱の底にあった。

 保管料は一日一円。

 今朝までで、迅が九円、凱が三円、七瀬が二円を滞納している。轟は工具の現物修理で払った。真琴は一円単位で前払いした。そのせいで、タマキは真琴にだけ少し腹が立つ。

 きちんと払う人間は、催促する楽しみを奪う。

「それ、また拾ったの」

 火群七瀬が腰の高さの三脚を畳みながら訊いた。

 黒い短丈の雨合羽を椅子へ掛け、銅色の髪の左側だけを編んでいる。黄色いフィルム片が朝の光を拾った。手回し撮影機は卓上。左肩を上げずに済む位置だ。

「拾ってない。もらった」

「誰に」

「使い終わった人」

「名前」

「九人。二人は同じ人」

「許可」

「切符を捨てる許可?」

「集める許可」

「訊いた。『これ、いらない?』って」

「用途は」

「まだ分からなかった」

「分からない物を集めた」

「七瀬は空の部屋を撮る」

「誰もいなかった用途があります」

「僕のは、まだ誰も知らない道の用途」

「後から用途を作るのは便利ですね」

「便利は、使う人が困るんだって迅が言った」

「本人も意味を説明できません」

 窓際で靴底を直していた竜胆迅が顔を上げた。

「できる」

「してください」

「今は忙しい」

「針へ糸を通せていません」

「右手が震える」

 迅は言い訳ではなく事実として答えた。

 右尺骨と手根部の手術から三か月余り。固定具は外れた。骨は繋がり始めている。だが、朝の冷えと細かな振動は、右小指から薬指へ細い電流を走らせる。彼は針を左手で持ち、右手で糸を近づけていた。役割を逆にすると、今度は糸の先が見つからない。

 七瀬が撮影機を置き、針を取る。

「手伝う」

「頼んでない」

「記録します。午前七時十二分、竜胆迅、縫製補助を拒否」

「脅し?」

「事実」

「じゃあ頼む」

「撤回確認」

「頼む」

「料金」

 タマキが言う。

「何でおまえが取る」

「机を使ってる」

「机の持ち主は食堂だ」

「場所代を食堂へ一円、仲介を僕へ一円」

「仲介してない」

「今した」

 七瀬は糸を通した。迅は二円を払わず、代わりに塩パンの端をタマキへ押しつけた。

「食べかけ」

「端は食ってない」

「行き先確認」

「おまえ」

「受領」

 タマキは食べた。

 迅の紺の学ランの胸ポケットから、白い封筒の角が出ている。昨日、外環壁外の長距離バス整備区から届いた。差出人名は母親だった。

 封は開いていない。

 迅は裏返した靴の中敷きと一緒に持ち歩いている。切手だけが少し擦れていた。

「読む場所、決めてないの」

 タマキが訊いた。

「何を」

「封筒」

「読まない」

「行き先は迅で合ってる?」

「合ってる」

「じゃあ受け取ってない」

「持ってる」

「持つのと受け取るのは違う」

「朝からうるさい」

「朝は関係ない」

 迅は封筒の角をポケットへ押し戻した。赤い七結びの紐を右親指で押さえる。

 タマキはそれ以上言わない。

 人の封筒を開けるのは配達ではない。

 それは盗みか、親切のふりをした盗みだ。

 食堂の裏口で、郵便受けが一つ落ちた。

 がしゃん。

 赤い箱ではない。錆びた青い菓子缶へ、白い塗料で《零番街共同世帯・北側》と書いた物だ。

「タマキ!」

 裏から当番女の声。

「僕じゃない」

「直す人を呼んだ」

「名前を呼んだ」

「同じだよ」

「違う。僕が断れない」

「断る?」

 タマキは椅子を降りた。

「直してから決める」

「それ、断ってない」

 裏口へ出る。

 菓子缶の底板が外れ、昨日届いた水道料金票と、共同学校の欠席連絡と、誰かが描いた犬の絵が濡れた石床へ散っていた。

 タマキはまず紙を拾わない。

 上から落ちてくる物がないかを見る。

 壁の釘が一本、半分抜けている。

 雨樋の継ぎ目から水滴。

 犬の絵だけは宛名がない。

「誰の」

 迅が後ろから覗く。

「分からない」

「捨てる?」

「返せないから残す」

「全部残すと箱が一杯になる」

「一杯になったら、誰かが探しに来る」

「来なかったら」

「僕が犬へ訊く」

「描かれた犬に?」

「本物がいる。南路地の昼寝二号」

「名前がひどい」

「一号は噛む」

 轟が右手だけで釘を抜き、曲がりを床へ当てて直す。左肩は上げない。タマキは小さな脚立へ上がり、壁の穴へ木栓を打つ。

「帽子、落ちる」

 七瀬。

「落ちない」

「さっき傾きました」

「撮ってた?」

「撮っていません。見ました」

「見たことも、許可いる?」

「目を閉じて歩けません」

「じゃあ、言わないで」

 タマキは緑の帽子を深くした。

 左側頭部の火傷痕を隠すか見せるかは、自分で決める。隠さなくていい、と言う人は多い。たいてい、見たい人だ。

 真琴が濡れた料金票を端だけ持ち上げる。

「乾燥させないと文字が移ります」

「読む?」

「宛先だけ」

「共同世帯」

「個人名がありません」

「四十七人」

「役所の世帯欄は――」

「戻された」

「知っています」

「じゃあ、言わないで」

 真琴は料金票を平らな板へ置いた。

「言い直します。この票は、誰が支払うかを個人へ指定していない」

「食堂の会計」

「決まっていますか」

「今月は、玄関に一番近い部屋の大人」

「それは規則ですか」

「くじ」

「合理性がない」

「玄関に近いと、郵便受けが落ちた音が聞こえる」

「今は私たち全員が聞きました」

「じゃあ、全員で払う?」

「私へ訊かないでください」

「法務なのに」

「法務は財布ではありません」

 迅が濡れた犬の絵を、開いていない母の封筒から遠ざけた。右手ではなく左手。水滴が自分の手紙へ触れないようにする動きだけは速い。

 タマキは見ても言わない。

 人が守る物は、開けた物とは限らない。

 郵便受けを掛け直す。

 轟が下から箱を支え、タマキが釘を打つ。

 一回。

 二回。

 三回目で、壁の中の音が変わった。

「空洞」

 轟。

「何センチ」

「奥行き十三。右へ二十二」

「耳で」

「音で」

「僕の口より細かい」

「単位がある」

「硬い、普通、湿ってる、まずい」

「最後は壁を食うな」

 箱は元の位置より十センチ右へ移した。

 古い穴は残る。

 タマキは白い塗料で、その穴の横へ小さな矢印を描いた。

「何」

 七瀬。

「前の場所」

「消さないのですか」

「次に落ちた時、同じ穴へ打たない」

 使い終わった場所は、消すより残した方が役に立つことがある。

 切符も同じだった。

 行き先へ着いた後の紙ほど、どこで止まり、どこを通らなかったかを覚えている。

 タマキは濡れた料金票を食堂の乾燥棚へ運び、犬の絵だけを青い郵便受けへ戻した。

 宛先欄は空白。

 空白は、捨てる理由ではない。

 午前七時三十一分

 十一枚の切符は、並べ方を変えると文章になった。

 日付順では意味がない。

 購入時刻順でもない。

 切欠きの位置を車両番号に見立て、左から右へ置く。

 三角。

 半円。

 二つの浅い溝。

 無傷。

 縦の短い筋。

「虫食い」

 轟が低い声で言った。

 身長百九十八センチの男が小さな切符を覗くと、卓が検査台に見える。剃った頭、こめかみから首へ三本の傷、橙色の工事ベスト。左肩の手術から二か月ほど。工具帯は右腰へ移り、左腕を頭より高く上げない。

「虫は同じ場所を、同じ形で食わない」

 タマキ。

「鋏」

「改札鋏は表から。これは裏から押してる」

「紙の厚み」

「同じ」

「測ったか」

「歯で」

「測ってない」

「口は測る道具」

「食う道具だ」

「轟は壁を耳で測る」

「音には単位がある」

「口にもある。硬い、普通、湿ってる」

「三段階か」

「四。まずい」

 轟は欠けた前歯へ舌を当て、笑った。

 卓の反対では、朽葉真琴が十月分の活動資格票を読み直している。丸眼鏡、淡い茶髪、白手袋。左手で頁をめくり、署名欄だけ右手を使う。

「鉄道保守用の識別ではありませんか」

 真琴が言った。

「切符が保守するの?」

「切符ではなく、発券束です。同じ券面を用途別に束ね、裁断痕で職員が区別する」

「何の用途」

「それを、今から調べます」

「分からないんだ」

「分からないことを、分からないと言えるのが専門家です」

「巴みたい」

「一文字巴の専売特許ではありません」

 真琴は眼鏡の左つるを上げた。

「ただし、推測はできます。環状線の一般券は駅ごとに色帯が違う。これは全て南環駅。にもかかわらず裁断痕が異なるなら、発売窓口か利用条件の違いです」

「窓口番号は同じ」

「どこに」

「ここ」

 タマキが表面右下の小さな活字を示す。

 真琴は眼鏡を外し、紙へ顔を近づけた。眼鏡なしでは一メートル先の顔も曖昧になるが、数センチの活字は裸眼の方が見えることがある。

「南環、第二窓口。確かに同じです」

「だから窓口じゃない」

「利用条件」

「同じ路線、同じ料金」

「同じと印刷されている、が正確です」

「印刷されてない違いがある」

 タマキは十一枚を扇形に広げた。

「裏に」

 真琴が切欠きを指で追う。

「どこで集めました」

「南環市場。契約を分けた店の人たち。見舞い、役所、駅前の洗濯屋、東診療所」

「使用日と実際の行先は記録しましたか」

「全部」

 鉄箱から小さな帳面を出す。

 受取人名。

 出発時刻。

 戻った時刻。

 乗り換え。

 雨。

 犬に追われた区間。

 切符収集の帳面に、犬は不要だ。

 タマキには必要だった。

「この三角の券は」

「柏木秋枝さん。東診療所へ母親の薬を取りに行った。帰りは八番停車で二十分待った」

「半円」

「三一。正式記録所の下見。終点まで行ってない。南東の点検橋で降りたって言ってた」

「点検橋に一般停車はありません」

「だから訊いた。『駅じゃない』って」

「どう降りた」

「列車が止まった。職員が扉を開けた。三一は知り合いの荷車へ乗った」

「それは運行規程違反です」

「規程を見た?」

 真琴は口を閉じた。

「見ていません」

「じゃあ、違反って決めた」

「一般時刻表上は、です」

「一般じゃない時刻表がある」

 タマキは二つの浅い溝がある券を持ち上げた。

「これを使った人も、駅じゃない所で降りた」

「誰」

「針ばあ」

「本名」

「本人が市場ではそう呼べって」

「記録上の――」

「呼べって言った名前」

 真琴は反論を飲み込んだ。

 南環市場の複合契約で、名前を契約が勝手に一つへ決める問題を見たばかりだ。

「針ばあは、どこで」

「東側の保守停車。自分の通訳がいる場所」

「どうして、その券が発行された」

「駅員へ訊いたら、護送用の予備券だって」

「護送」

 部屋の空気が変わった。

 七瀬が撮影機のクランクへ右手を置く。ただし回さない。

「誰の護送です」

「今日、南環市場の人が正式な証言をしに行く」

 タマキは答えた。

「移送って言ってた」

 真琴が資格票を閉じる。

「八旗協議の契約監査ですね。市場契約の分離手続きについて、当事者証言を正式記録へ移す」

「行き先は」

「安全な聴取場所」

「地名」

「通知書には、その表現だけです」

「どこ」

「ですから――」

「安全って住所じゃない」

 タマキの声が高くなる。

 鉄箱の留め具を一度鳴らした。

 かちん。

 怖い時の音だ。

「誰から」

「八旗協議監査部」

「誰へ」

「南環市場の証言者」

「何のため」

「契約分離の経緯を正式記録するため」

「どこへ」

「書いていない」

 真琴は今度、言い換えなかった。

 タマキは帳面を閉じなかった。

 閉じれば、書かれた順番が正しいことになる。

 彼は食堂の床へ麻紐を三本伸ばした。一本は一般時刻表。一本は切符を使った人が実際に通った道。最後の一本は、まだ名前のない道だ。

「食事する場所です」

 真琴が言う。

「床、拭いた」

「そういう問題ではありません」

「じゃあ、どういう問題」

「人の移動を、紐で簡単に示したつもりになる問題です」

「簡単にしてない。分からない所は結ばない」

 タマキは麻紐の途中へ、錆びた座金を置く。

「柏木さん。薬を取りに行った日は、八番停車で二十分待った。一般列車なら七分。だからここに何かあった」

 次に、割れた洗濯挟み。

「三一。点検橋で降りた。駅じゃない。誰かが扉を開けた」

 白いボタン。

「針ばあ。東の保守停車。通訳を選ぶため」

「物で人を表すのは、失礼では」

 七瀬が訊いた。

「名前を書いたら、帳面を見た人に分かる」

「匿名化」

「違う。これ、本人がくれた物」

 座金は柏木が壊れたミシンから外した。

 洗濯挟みは三一が青果台の値札を留めていた。

 白いボタンは針ばあの古い外套から落ちた。

 それぞれ、本人がいらないと言った物だ。

「いらない物なら、人を表していいの」

「いらないって、なくなっていいじゃない」

 タマキは白いボタンを指で回す。

「使い終わったってこと」

 迅が床へ座った。

「切符も?」

「そう」

「道は終わってる」

「その人の一回は」

「また通るかもしれない」

「同じ人でも、次は違う切符」

 迅は胸ポケットへ一瞬だけ触れた。

 封筒の角が動く。

「手紙も、読んだら使用済み?」

 タマキが訊く。

「知らない」

「捨てる?」

「知らない」

「読まないと、使い終わらない」

「おまえ、切符の話へ戻せ」

「戻ってる。行き先が書いてあっても、受け取る時刻は別」

 七瀬が撮影機を回さず、床の三本の紐を目で追った。

「これを撮ってよいですか」

「人の物がある」

「画角を切ります」

「何を残す」

「一般の線と、実際の線が一致しないこと。誰が通ったかは残さない」

「あとで誰かが、証拠にならないって言う」

「言います」

「じゃあ撮る意味ない」

「証拠でない記録にも意味はあります」

「どんな」

「次に、何を確かめるべきだったかが分かる」

 タマキは少し考え、白いボタンを画角の外へ移した。

「切符は撮らないで」

「理由」

「僕が先に読む」

「独占ですか」

「間違ってたら、間違った物を広める」

 真琴が膝を折り、三本目の麻紐を持つ。

「名前のない道は、どこへ繋がると考えます」

「安全な所」

「それでは通知書と同じです」

「だから困ってる」

 タマキは紐の端を切らず、鉄箱へ入れた。

「安全は、場所じゃない。誰がどこで降りたいかを聞いて、初めて場所になる」

「十四歳の言葉にしては整っています」

「巴の紙、読んだ」

「借りたのですか」

「捨ててあった」

「本人の廃棄許可は」

「質問が多い」

「あなたが育てました」

 轟が、床の一般路線を示す麻紐を指で弾く。

「列車は紐みたいに曲げられねえぞ」

「知ってる」

「止まる場所も、車両の長さも、信号もある」

「だから轟が来る」

「まだ行くって言ってねえ」

「今、来るって顔」

「どんな顔だ」

「壁を見てる」

 轟は反射的に壁の時計を見る。

 七時五十八分。

 予定発車まで、二時間四十二分。

 まだ長い。

 長いと思った時刻は、たいていもう短い。

 午前八時二分

 一文字巴からの連絡は、紙だった。

 音声受信機ではない。

 駅の字幕通信網から印字された細長い紙が、配達所の壁機械から吐き出された。

《移送同意確認 十二名中九名完了》

《三名 目的地・宿泊・通訳条件の確認未了》

《運行側 早期保護を提案》

《予定発車 一〇時四〇分》

《変更の可能性あり》

《私は乗車予定》

《空白へ指揮依頼しない》

《確認補助を有償で依頼する可能性あり》

 最後に料金表番号。

 巴らしい。

 助けを求める文章にも、所属しないことと労働対価が入る。

「三人」

 七瀬が言った。

「柏木さん、三一、針ばあ?」

「名は書いてない」

 迅。

「だから確認します」

 七瀬は字幕通信機へ返信を打つ。

《未了三名の氏名は、本人が共有へ同意しているか》

《早期保護の提案者・決定者・最早発車可能時刻》

《目的地名は本人へ提示済みか》

《生中継可否ではなく、記録共有範囲を確認希望》

 真琴が横から一行足す。

《空白の旗は鉄道運行への命令権を持たない。依頼範囲を明記されたい》

「今それ要る?」

 タマキ。

「要ります。列車を止めろと言われても、私たちに権限はない」

「止めるって決まってない」

「ではなおさら、勝手に仕事を作らない」

 迅が窓の外を見る。

「巴が乗るなら、中で確認できる」

「時間があれば」

 七瀬。

「十時四十分まで二時間半あります」

 真琴。

「変更の可能性」

 タマキは印字紙を指した。

「早くなるかもしれない」

「早期保護とは通常、発車直前の騒乱を避け、別入口から乗せる措置です。予定自体を大幅に前倒しするとは限りません」

「限らない、は、するかもしれない」

 タマキは十一枚の切符を重ねた。

 切欠きが階段のように並ぶ。

 その中で一枚だけ、券面の日付が今日になっていることへ気づいた。

 十月十七日。

 まだ午前八時だ。

「これ、使用済みじゃない」

 七瀬。

「今朝、針ばあがくれた」

「なぜ」

「昨日、駅で受け取ったって。今日の移送用」

「予定列車は十時四十分です」

 真琴が券面の小さな時刻枠を見る。

 空欄だった。

「発車時刻の印字がない」

「でも裏に切欠きがある」

 タマキは券を光へ透かす。

 二つの浅い溝の隣に、極細の縦筋。

 十一枚のどれにもない。

「新しい印」

「何を示す」

 轟。

「分からない」

「分からないなら」

「駅へ行く」

 タマキは立ち上がった。

 鉄箱を胸へ掛ける。左右色違いの靴紐を締める。今日は右が緑、左が黄。南環駅へ向かう日の組み合わせだ。

「学校は」

 七瀬が訊く。

「午後から」

「今日は午前授業です」

「どうして知ってる」

「先週、出席確認票を撮りました」

「撮るな」

「許可を取りました」

「忘れた」

「許可を忘れても、許可は消えません」

「行く」

「学校へ?」

「駅へ」

「誰の依頼です」

 真琴。

「僕」

「自分で自分へ依頼はできません」

「できる。送り主、僕。受取人、駅にいる人。目的、行き先確認」

「料金」

「自分へ払わない」

「では仕事でなく私用です」

「私用なら止めない?」

 真琴は詰まった。

 タマキは鉄箱の底から旗芯を出さない。

 白布も巻いたままにする。

 空白の旗の仕事として命じられたのではない。

 十四歳の配達員が、自分の収集した切符を確かめに行く。

 それだけだ。

「俺も行く」

 迅が靴を履く。

「何のため」

「外れてたら笑う」

「目的が悪い」

「帰りに靴底用の糸を買う」

「それは別」

「じゃあ別件で同じ道」

「右手、今日は振動痛が出ています」

 七瀬が言った。

「歩くくらいなら」

「列車は振動します」

「乗るって決まってない」

「限らない、は、乗るかもしれない」

 迅が嫌そうな顔をする。

「俺の言葉を盗るな」

「タマキの言葉です」

「料金」

 タマキ。

「おまえ、言葉で儲けるな」

 凱が奥の部屋から出てきた。

 白い外套の裾は膝下で切られ、左脚に黒い装具。朝の歩行訓練を終えたところらしく、額へ汗が残っている。

「南環駅へ行くのか」

「聞いてた?」

「壁が薄い」

「轟は壁を叩いた」

「俺のせいか」

 轟が壁へ掌を当てる。

「この壁は元から薄い」

「凱は何のため」

 タマキが訊く。

「市場証言の移送条件を確認する。八旗協議への参加資格を得たのは、聞くためだ」

「命令しない?」

「鉄道へ命令する権限はない」

「権限があったら」

 凱は答えるまで、一拍置いた。

「今は、確認する」

「答えてない」

「だから確認しに行く」

「便利」

「使う俺が困っている」

 迅が笑った。

 七瀬は撮影機を腰帯へ固定し、三脚を短く畳む。

「生配信はしません」

「まだ何も起きてない」

 迅。

「だからです。駅の警備配置と証言者の入口を公開する理由がない」

「撮る?」

 タマキ。

「記録する。公開は別」

 真琴も資料鞄を持つ。

「私は通知書の文言を確認します。鉄道保守規程も」

「現場へ行くのか」

 凱が少し驚く。

「あなたが現場へ行き、私だけ紙の前へ残ると、後であなたの判断を条文へ合わせる役になります」

「それは助かる」

「助けません。先に止めます」

 轟は工具帯を右腰へ締め直す。

「俺も」

「左肩」

 七瀬。

「列車は構造物だ」

「理由になっていません」

「なる。走る構造物は、壊れる場所が多い」

「乗るって決まってない」

 迅。

「おまえ、さっきからそれで逃げてる」

 全員が立った。

 白布は巻いたまま。

 旗芯はタマキが鉄箱へ戻した。

 仕事名も、責任者も、期限もまだない。

 あるのは、発車時刻のない切符一枚だった。