第103話 第二章「発車前の失踪」前編

十月十七日 午前九時三十一分

 人がいないことは、映像に残しやすい。

 なぜいないかは、いつも画角の外にいる。

 火群七瀬は、南環駅の第三待合室を十秒だけ撮った。

 長椅子が六本。

 湯飲みの跡が四つ。

 窓際に毛糸の切れ端。

 床へ落ちた青菜の葉。

 人はいない。

「撮影時刻、九時三十一分二十秒。第三待合室。移送対象者の集合指定場所。現在、無人」

 手回し撮影機のクランクを止める。

「失踪だ!」

 廊下で男が叫んだ。

 市場の乾物屋だった。昨日まで契約分離の立会人をしていた。今日は柏木秋枝たちの見送りに来たらしい。

「三人ともいない! 紙燕が攫った!」

「その表現を、誰から確認しましたか」

 七瀬は廊下へ出る。

「見れば分かる!」

「見えるのは、ここにいないことだけです」

「列車へ乗せたんだろ!」

「乗ったか確認します」

「発車前に助けろ!」

「誰が助けを求めていますか」

「三人だ!」

「本人から聞きましたか」

 乾物屋は詰まった。

「市場で一緒に戦った人間だぞ」

「一緒に契約を分けた人です。同じ行先を選んだ人、ではありません」

「理屈を言ってる場合か」

「理屈を捨てると、最初に他人の行先を使います」

 七瀬の声が少し丁寧になる。

 怒っている。

 迅が廊下の壁へ背を置き、乾物屋と七瀬の間へ入らない距離を保っていた。彼は七瀬を止めない。乾物屋も止めない。誰かの怒りを弱めると、事実まで弱くなったように見えることがある。

 凱は駅員詰所へ向かっている。真琴は移送通知書。轟は保守線の入口。タマキは切符売場の束番号。

 空白の旗は、仕事名を決める前に五方向へ散った。

 旗を広げなくても、人は勝手に役割を見つける。

 その方が自由に見える。

 実際には、誰も全体を見ていないという欠点がある。

「七瀬」

 迅が呼ぶ。

「何です」

「入口、二つ」

 彼は第三待合室の奥を指した。

 一般廊下へ通じる正面扉。

 もう一つ。清掃用具棚の陰に、灰色の狭い扉がある。鍵穴の周りだけ新しい擦り傷。床には、車輪の細い跡。

「撮ります」

「先に触るな」

「触りません」

「俺に言った」

「触る予定でしたか」

「蝶番を見る」

「見るだけ」

「触ると分かる」

「まず撮る」

 迅は右手をポケットへ戻した。左手で扉の隙間を指す。

 毛糸が一本、挟まっている。

 秋枝の外套と同じ、深い紫。

 証拠ではない。

 南環市場には同じ毛糸を扱う店がある。

 七瀬は全景、蝶番、鍵、毛糸、床の車輪跡を順に撮る。撮影位置を床へチョークで記した。

「撮った」

 迅が扉へ耳を当てる。

「何も聞こえない」

「轟ではありません」

「俺にも耳はある」

「性能の話です」

「悪口が細かい」

 彼は左の親指で鍵の舌を押す。施錠されていない。

 扉の先は、荷物用の下り坂だった。

 一般ホームではなく、郵便と医療物資を積む側線へ続いている。

 壁に紙の燕を模した黄色い標識。

 紙燕連盟〈スワローズ〉

 市内の高速便、医療便、保護移送を担う配送組織だ。速い。正確。料金も高い。そして、何を運んでいるかより、どこへ届けるかを職務の中心へ置く。

 標識の下に、今朝の記録票がある。

《九時十九分 保護対象三名 別導線入場》

《同行通訳 一名》

《手荷物 七》

《車椅子 一》

《確認者 折部翼》

「乗ってる」

 迅。

「少なくとも別導線へ入った」

 七瀬は記録票を撮る。

「攫われた?」

 乾物屋が背後から訊く。

「現時点では確認できません」

「まだそんなことを」

「本人の同意で入った可能性があります」

「行先も知らないんだぞ」

「だから、同意の範囲を確認します」

「列車が出たら遅い!」

「急ぐことと、決めつけることは別です」

「同じだ!」

 迅が言った。

「違う。急ぐと足が速くなる。決めつけると目が減る」

 乾物屋は彼を睨む。

「名言のつもりか」

「出口の数」

「何だ」

「名言じゃない。ここ、出口が一つ減ってる」

 荷物坂の下で、鉄扉が閉まる音がした。

 午前九時四十二分

 南環駅の保護移送窓口には、窓がなかった。

 壁へ小さな穴があり、書類だけが通る。

 真琴が移送同意書を穴から引き出し、眼鏡を押し上げた。

「目的地欄がありません」

「安全上、非公開です」

 穴の向こうの職員が答える。

「非公開欄自体がない、と言っています」

「本文第三項」

《八旗協議が指定する安全な聴取場所へ移送する》

「そこです」

「地名ではない」

「安全措置です」

「安全は性質です。住所ではありません」

「指定権者が決めます」

「本人が同意したのは、指定権者へ目的地選択を委ねることですか。それとも、決まった目的地への移送ですか」

「同じでしょう」

「違います」

 真琴の声が明るく、丁寧になる。

 怒っている。

「既に決まった場所を秘密にするのと、本人が知らないまま指定権を渡すのは、権限の範囲が異なります。宿泊の有無、管轄外への移動、通訳の継続、帰路費用、証言撤回手続き。どれも場所で変わる」

「移送後に説明されます」

「移送へ同意した後に、移送条件を説明する」

「保護を優先します」

「保護対象者は、何から保護されるのです」

「市場での圧力、報復、証言妨害」

「本人は、早期出発を求めましたか」

「運行責任者が必要と判断しました」

「折部翼」

「そうです」

「本人の同意未了を知っていましたか」

「通訳者が車内で継続します」

「答えになっていません」

「列車内は安全です」

 真琴は書類の端をそろえる。

「安全な場所でなら、同意を後から取ってよいという規則番号を」

 穴の向こうが静かになる。

 凱が少し離れた場所に立っていた。白い外套、黒い膝装具、割れた青銅鐘。彼を知る駅員は多い。窓口の左右で、背筋を伸ばす者がいる。

「俺が求めれば、書類は出るか」

 凱が訊いた。

「あなたの名では出ません」

 職員は勇気を使って答えた。

「正しい」

「え」

「俺には鉄道の監査権限がない。だから、朽葉の質問へ答えてくれ」

「彼にもありません」

「なら、誰にある」

「八旗鉄道監査室」

「連絡は」

「書面。通常三営業日」

「列車は三十分後に出る」

「緊急停止は、運行責任者または信号統括だけです」

「折部翼の所在」

「編成確認中です」

「会わせてくれ」

「本人が応じれば」

 凱は穴の向こうへ手を入れない。

 命令しない努力は、何もしないことではない。

 相手が拒める形で、同じ質問を続けることだ。

「連絡してくれ。獅堂凱が、移送同意の目的地範囲を確認したい。面会を拒否した場合、その時刻と理由を記録してほしい」

「王として?」

「違う」

「では立場は」

 凱は一瞬、答えを探した。

「市場契約分離の立会人。空白の旗の傍聴参加者。今日の仕事はまだ決めていない」

「多いですね」

「減らしている途中だ」

 職員の口元が少しだけ緩んだ。

 連絡管へ紙が入る。

 午前九時五十四分

 折部翼は、走っていなかった。

 歩くより速く見えただけだ。

 黄土色の配達外套。黒髪を高い位置で一本に結び、左側頭部に白い産毛が細く光る。背の低い位置へ郵袋。右手には折り畳み自転車。左膝から下は機械義足で、床へ触れるたび、金属の短い音が混じる。

 右、左。

 右、金属。

 右、左。

 右、金属。

 左右非対称の歩調が、一定だった。

 速さは、左右を同じにすることではない。

 違う歩幅を、崩れない順番へすることだ。

「宛名、確認」

 翼は真琴たちの前で止まった。

「獅堂凱、朽葉真琴、火群七瀬、竜胆迅、環玉樹、伏見轟。六名」

「七瀬は今、別導線」

 凱。

「見えてます」

 翼は廊下の鏡へ目をやる。曲がり角の先を映す保安鏡に、七瀬と迅が小さく映っていた。

「用件は、移送同意の確認?」

「本人三名の意思確認が未了です」

 真琴。

「車内で一文字巴が続けています」

「発車を待つ理由になります」

「発車を待つほど、圧力をかける人が増える」

 翼は待合室側を指した。

 乾物屋のほか、市場関係者が十人以上集まっている。誰も武器を持っていない。見送りだと言う者もいる。説得したい者もいる。行かせたくない者もいる。

「保護対象の一人は、昨夜から三回、証言をやめろと言われた。別の一人は店へ石を投げられた。予定を公開したまま十時四十分まで待つのが、安全?」

「だから目的地を知らせなくていい、とはなりません」

「知らせて、ここで揉めて、乗れなくなったら?」

「本人が乗らないと決める可能性を、揉めたと呼んでいます」

「正確」

 翼は笑った。

「でも遅い」

「遅さは違法ではありません」

「死ぬ時も?」

 真琴の口が止まる。

 翼は義足の外側を指で二回叩いた。

 緊張している。

「十時十二分に出す。正式な早期保護命令。信号枠も取った。車内で説明は続ける。降車希望が出たら、到着後に手続きする」

「到着前に降りたい希望は」

 タマキが訊いた。

 翼は初めて彼を見る。

「君が、環玉樹」

「誰から聞いた」

「配達員は同業者を調べる」

「僕は紙燕じゃない」

「だから面白い」

「質問」

「到着前の降車は、予定されていない」

「予定にない場所へ降りる切符がある」

 タマキは移送券を見せた。

 翼の濃紺の瞳が、極細の縦筋へ一瞬だけ止まる。

「それ、誰から」

「針ばあ」

「返して」

「本人からもらった」

「移送証票は譲渡不可」

「使うんじゃない。読む」

「読み終わったら返却」

「誰へ」

「発行元」

「持ち主は」

「発行元」

「受け取った人じゃない?」

「規則では」

「規則に返すの?」

 翼の口元が少し上がる。

「いいね。速度はないけど、面倒が速い」

「褒めた?」

「受領か、拒否か」

「何を」

「返却要請」

「拒否。本人へ返す」

「記録した」

 翼は胸元の小さな帳面へ書いた。

「それと、切欠きは降車地点そのものじゃない。車内の扱いを分ける識別」

「何の扱い」

「答えられない」

「知らない?」

「知っていても答えられない」

 窓口職員と同じ返答。

 タマキは鉄箱の留め具を鳴らした。

「同じ文、配ってる」

「定型は速い」

「間違いも」

「直す時も速い」

「直すのは、届いた後?」

 翼の笑みが薄くなる。

 発車準備鐘が一度鳴った。

 十時まで、六分。

「面会は終わり」

 凱が一歩出る。

「折部翼。三両だけでも、同意確認が終わるまで――」

「命令?」

「提案だ」

「拒否」

「理由」

「十時十二分の信号枠を逃すと、次は十一時四十八分。市場の人が増える。線路上の安全、護送員の勤務、聴取所の受入、全部がずれる」

「人の返事も予定へ入れろ」

 迅が来た。

「入れてる。車内で」

「走りながら」

「止まってる人より、走ってる人の方が考える時間は長い」

「違う」

「何が」

「戻る時間が減る」

 翼は迅の靴を見る。外側だけ減った靴底。右手の赤い七結び。胸ポケットの未開封封筒。

「戻りたい人には、帰りの便を出す」

「誰が行き先を決める」

「同意書」

「地名がない」

「指定者」

「本人じゃない」

「本人が委ねた」

「どこまで」

 翼は義足のボルトを叩いた。

 一回。

 二回。

「話が一周した」

「環状線だから?」

 タマキ。

「そういう冗談を先に取らないで」

 翼は自転車を担ぎ直した。

「追いつけるなら、車内で続けよう」

「乗せる?」

「乗車券があれば」

「今から買う」

「一般入口は十時五分で閉鎖」

「まだ十一分」

「保安検査が十五分」

「間に合わない」

「だから早く動くべきだった」

 翼は背を向けた。

 義足の音が、廊下を正確に遠ざかる。

 翼が去ったあと、七瀬は面会廊下を逆に歩いた。

 一般入口ではなく、荷物坂へ。

 迅が追う。

「列車、あっち」

「乗った経路を確認します」

「本人は中」

「外に残った説明があります」

「説明を追って、本人に追いつけない」

「本人だけ追って、説明を折部さんへ預けたくありません」

 荷物坂の鉄扉には、三つの手形が残っていた。

 一つは小さい。

 一つは指が長い。

 一つは、扉ではなく壁へついている。手袋の白粉だ。

 七瀬は手形を撮らない。

 誰のものか確定できず、保護対象者の移動線を公開する危険がある。

 代わりに、扉の表示を撮る。

《職員・荷役専用》

 その下へ、紙が一枚貼られていた。

《本日九時二十分より保護移送入口》

 掲示時刻の印は九時二十七分。

「入口になる前に、人を入れた」

 迅が言う。

「表示が後です」

「違反?」

「分かりません。ですが、乗る人は自分がどの入口を通ったか、その時点では知れない」

 扉横の荷役係が、撮影機を避けた。

 七瀬はレンズを下げる。

「顔は撮りません。九時何分から、人を通しましたか」

「答える権限がない」

「答えない判断をした氏名と時刻だけ、記録してよいですか」

「それも嫌だ」

「理由」

「俺が決めたみたいになる」

「では、誰の指示でしたか」

 荷役係は扉の蝶番を見る。

「紙燕の女。折部。名簿と封筒を持ってた。三人、別々に来た」

「強制されていましたか」

「見えなかった」

「自分からでしたか」

「それも見えなかった。急いでた。後ろを気にしてた。女の人は薬箱。若いのは空の青果籠。婆さんは、手で何か言ってた」

「通訳は」

「黒い板の子がいた」

 巴だ。

「何を言っていたか」

「分からない。俺、手話できない」

「分からないと言ってくださって、ありがとうございます」

「礼を言われることか」

「分かったふりより、記録できます」

 荷役係は困った顔をした。

「撮ってないよな」

「今は音声も止めています」

「何で信じる」

 七瀬は撮影機の蓋を開き、回っていない歯車を見せた。

「機械は、信頼の代わりにはなりません。確認の一つです」

「面倒だな」

「仕事です」

 迅が鉄扉へ耳を当てる。

「中、車輪」

「まだ連結作業です」

「足音も」

 扉の小窓が一瞬だけ開いた。

 向こうに、顎でそろえた黒髪。

 巴だった。

 彼女は七瀬を見つけ、黒板を窓へ上げる。

《三人とも自力歩行》

 次。

《一人 早く出たい》

《一人 降りる場所を確認したい》

《一人 通訳継続条件が未了》

 氏名は書かない。

 七瀬が指で順番を訊く。

 巴は首を振る。

 共有許可がない。

 迅が小窓へ顔を近づける。

「今、出たい人は」

 巴は読唇し、答える。

《今ここで、全員分を一つにしない》

 扉の向こうで、発車準備の笛が鳴ったらしい。

 巴が振り返る。

 窓が閉じる。

「一人は、早く行きたい」

 迅が言う。

「はい」

「じゃあ列車を止めたら、その人を止める」

「はい」

「一人は降りる場所を知りたい」

「はい」

「じゃあ走らせたら、その人を運ぶ」

「はい」

「どっちを撮る」

「両方」

「映像は一画面」

「だから、画面を答えにしません」

 七瀬は鉄扉の全景を固定で記録した。

 閉じた扉。

 後から貼られた表示。

 人の顔はない。

 助けを求める手もない。

 それでも、三人が消えたのではなく、異なる理由のまま同じ列車へ入った事実は残せる。

 待合側から、「誘拐だ」という声が聞こえた。

 七瀬はそちらへ戻る前に、記録板へ書く。

《失踪、未確認》

 その下。

《早期乗車、確認》

 言葉を一つ直しても、列車は止まらない。

 だが、間違った言葉は、人を間違った方角へ走らせる。

 待合室へ戻ると、誘拐という言葉だけが先に大きくなっていた。

「窓から手を振ってた!」

「泣いてたぞ!」

「係員が囲んでた!」

 同じ十秒を見た者が、三つの物語を持っている。

 七瀬は撮影機を上げない。

「どの窓ですか」

「八号車の前!」

「誰の顔でしたか」

「紫の毛糸の女だ」

「柏木秋枝さんだと、本人確認しましたか」

「市場の女なら分かる!」

「泣いていた根拠は」

「目を拭いた」

「目へごみが入った可能性は」

「おまえは何でも可能性にするのか!」

「決めつけた可能性も残します」

 乾物屋が拳を握る。

 迅は間へ入らない。

 七瀬も退かない。

 怒りが近づくと、七瀬の声は低くならない。逆に、言葉の角が一つずつ揃っていく。

「あなたの証言は、《八号車前方の窓で、紫色の毛糸を着けた人物が目元へ手を当てた》。ここまでは記録できます。《柏木秋枝が泣いて助けを求めた》は、現時点ではあなたの解釈です。解釈として残しますか」

「……残せ」

「氏名」

 男は答えた。

 七瀬は顔を撮らず、声だけを記録する。

 別の女が手を上げた。

「私は、三一が自分で荷物坂へ入るのを見た。青い籠を持ってた」

「誰かに押されていましたか」

「見えなかった」

「笑っていましたか」

「笑ってない。でも、あの子は普段から笑わない」

「自発的だった、と断定できますか」

「できない。けど、引きずられてはいない」

 七瀬はそれも分けて残す。

 自分で歩いた。

 自分で行先を選んだ、とは限らない。

 強制されて見えなかった。

 強制がなかった、とは限らない。

 駅の清掃係が、青菜の葉を箒で集めながら言った。

「手話の婆さんは、扉の前で三回戻ろうとしたよ」

「戻ったのですか」

「足だけ。黒板の娘と話して、また進んだ」

「なぜ戻ろうとしたか」

「知らない」

「巴さんが何を説明したか」

「知らない」

「折部さんが急がせたか」

「『あと四分』とは言ってた」

「命令形でしたか」

「時計を見せただけだ」

 時刻を示すだけで、人は急ぐ。

 命令ではないから、命令でないとは限らない。

 七瀬は床の青菜を撮った。

「それが証拠?」

 迅が訊く。

「いいえ」

「じゃあ何」

「誰かがここで待ち、食べる途中で移動した跡です」

「誰かは分からない」

「分からないまま残します」

「役に立つ?」

「後から、役に立つ物だけ残した人が嘘をついた時に」

 迅は少し笑った。

「七瀬の記録、性格悪いな」

「記録者の性格を入れない努力はしています」

「努力前は?」

「もっと悪い」

 発車準備の低い唸りが、床から上がってくる。

 七瀬は撮影機を胸へ固定した。

 分かったことは少ない。

 三人は自分の足で列車へ入った。

 三人の答えは同じではない。

 具体的な目的地は示されていない。

 それだけで、追う理由には足りた。

 列車を止める理由には、まだ足りない。

 午前十時五分