第116話 第八章「切り離された車両」後編
タマキが横から言う。
「十九番、三両。図はある。早瀬が現物」
『環玉樹』
「知ってる?」
『朝から線路回線で君の名前が多い』
「料金」
『あとで請求しろ』
「約束?」
『運行部へ請求書を出せ。払うとは言っていない』
「真琴みたい」
「聞こえています」
真琴。
『乗客名簿は誰が作る』
「一文字巴が本人確認中。私が法的区分を照合します」
『撮影記録』
七瀬。
「火群七瀬。本人ごとに公開範囲を分けます。運行判断へは氏名、回答時刻、質問文、撤回の有無。顔と私生活理由は不要」
『生配信は』
「していません」
『続けてくれ』
「命令ですか」
『要請だ。公開すれば側線へ人が集まる』
「受領。ただし事故隠蔽の恐れが生じた場合は再判断します」
『構わない』
凱が言う。
「古橋巡」
『獅堂凱』
「俺に全体号令を求めるな」
『求めていない』
「車両担当者が、俺の声を運行指示として受ける可能性がある」
『なら、あなたは事実だけ読め』
「それは既に決めた」
『良い』
「評価するな」
『面倒だな、元王』
「前にも言われた」
『条件が揃ったら、また呼べ』
回線が切れる。
真琴は古橋の要件を紙片へ分けた。
十枚。
左右へ並べる。
反論されると紙を並べる癖が、今は作業になる。
「全部、誰が」
タマキ。
「分担します」
「真琴が決める?」
「役割は本人へ確認します」
「覚えた」
「以前から」
「できてなかった」
「二度目ですよ」
「使える」
真琴は紙片を配る。
名簿――巴。
回答記録――七瀬。
車両荷重――轟と各車担当。
側線現物――早瀬。
後続列車――古橋。
時刻と位置――タマキ。
車内事実放送――凱。
通路確保――迅と笠井。
法的照合――真琴。
「折部は」
三一。
「現運行責任者」
「反対する人にも仕事ある?」
「あります」
「何」
「本列車を安全に進ませる」
「俺たちを止めるんじゃ」
「それも彼女の判断です。ただし、彼女が拒否しても、役割まで消えません」
「敵に仕事を残すの」
真琴は一瞬、答えを探す。
「仕事を奪って勝つと、その仕事を誰かが代わりに持ちます」
「誰」
「たいてい、勝った側です」
「嫌?」
「非常に」
午後三時五分。
折部翼の放送が全車へ入った。
『乗客各位へ。現在、一部の無許可乗車者が走行中の車両分離を提案しています。分離は転倒、連結事故、側線衝突の危険を伴います。北環第六聴取所への移送継続を望む方は、現在の座席を移動しないでください』
言葉は正しい。
だが、移動しないことを継続希望へ変えている。
決めていない人も。
動けない人も。
付き添いを待つ人も。
真琴は応答器を取る。
「全車両へ、朽葉真琴。今の放送へ異議を述べます」
『許可していません』
折部。
「緊急意思確認の訂正です」
『運行放送は責任者専用』
「古橋運行部長」
数秒後、古橋の声。
『三十秒。事実だけ』
真琴は紙を見ない。
恐怖時は、文が短くなる。
今はそれでよい。
「席を動かないことは、継続希望の表明ではありません。継続を望む方の権利は守ります。前九両を強制停止する案ではありません。十から十二両目へ移ることも、降車の確約ではありません。保留できます。移動できない事情は不利益に数えません。質問は一文字巴が本人へ行います。回答は撤回できます」
三十秒。
切る。
折部の返答がすぐ入る。
『短くなったね』
真琴は応答器を握る。
「誰と間違えていますか」
『一文字巴さん』
「私は朽葉真琴です」
『知ってる。良くなった』
「評価を求めていません」
『でも伝わった』
「あなたの放送は、非移動を同意へ変えました」
『移動すれば転倒する人がいる』
「だから移動不能と意思を分けます」
『分けている間に分岐が来る』
「急がせたのはあなたです」
『早く出なければ、駅前の群衆と接触した』
「その危険を否定していません」
『なら、どこが間違い』
「一つの危険を避けるため、別の意思を省略したことです」
『全部を守る時間はない』
「全部を一人で決める時間もありません」
『だから責任者がいる』
「責任者が決めるのは、誰の答えですか」
返事はない。
車輪の音が続く。
かたん。
かたん。
真琴は自分の呼吸を確かめる。
喉は狭くない。
折部の返答が入る。
『運行の答え』
「人の答えではない」
『人を運ぶ答えだ』
「同じではありません」
『同じにしないと列車は走れない』
「では、走りながら分けます」
『事故を起こせば』
「私の名も残す」
『手を動かすのはあなたじゃない』
「だから、私だけでは足りない」
真琴は若い車掌を見る。
彼はまだ頷かない。
だが、規程の複写を読んでいる。
自分の名が全部にならない条文を。
真琴は応答器を切った。
宣言で列車は止まらない。
条文で人の手は動かない。
次に必要なのは、署名だった。
若い車掌が規程を置く。
「十両目の制動確認。俺がやります」
「氏名を」
真琴。
「今ここで?」
「公開範囲は運行記録。顔は不要」
七瀬。
車掌は息を吐く。
「葛城直人。九両目担当から十両目へ配置変更し、安全確認条件つきで手動制動を引き受ける」
十一両目の係が続く。
「救護車担当。名は運行簿に書く。放送では出さない」
「受領」
十二両目の輸送員は首を振る。
「私は切離し訓練が半年切れてる。制動は拒否」
「拒否理由を記録します」
「代わりを」
「探します」
「責めないのか」
「訓練切れを隠して引き受ける方が危険です」
「法律屋らしくない」
「法は、できないことを言うためにもあります」
真琴は紙片の《操作員未決》を消さない。
横へ《十、十一は候補/十二は再選定》と書く。
列車の分離は、まだ決まっていない。
だが、責任の分離は始まっていた。