第122話 第十一章「ブレーキを渡す」後編
翼の義足が床を滑る。
早瀬の応急板が外れた。
翼は手摺へ手を伸ばす。
届かない。
彼女の身体が横へ倒れる。
タマキの散った切符が、一枚、翼の掌へ向かって滑った。
宛先はない。
能力は働かない。
「触る!」
巴が黒板を投げるように見せる。
触れてよいか。
翼は一瞬、目を見開く。
「頼む!」
迅が左腕を伸ばし、翼の外套の肩を掴む。
同時に、タマキが義足ではなく腰帯を引く。
床へ落ちる直前で止まる。
列車も止まる。
きい――。
最後の摩擦音が、細くなる。
なくなる。
誰も声を出さない。
終端標は、十号車前端から四・三メートル。
最後尾は、分岐の内側へ一・一メートル入っている。
三両すべてが、側線の中にある。
前九両は、本線を進んでいる。
窓の向こう、夕日の中で小さくなる。
汽笛が一度鳴る。
勝利を祝う音ではない。
運行上の合図。
だから、ちょうどよかった。
午後五時十分
非常扉が開く。
早瀬が外から昇降台を掛ける。
「終端余裕四・三。分岐余裕一・一。三両、側線収容完了」
数字を確認してから、彼女は初めて息を吐いた。
「予定より前、何センチ」
タマキが訊く。
「七十」
「外した」
「止まった」
「七十」
「誤差を悔しがるのは、全員降ろしてから」
「覚えとく」
「書け」
タマキは床へ散った切符を拾う。
一枚ずつ。
誰かの足で折れたもの。
薬箱の下へ入ったもの。
翼の掌へ届かなかった一枚。
全部、使用済みだ。
それでも、捨てない。
十号車では、柏木秋枝が降車台の前へ立っている。
開いた扉の向こうには、正式なホームがない。
砂利と保守灯。
その先に、東側通訳支援班と救護車が待っている。
降りるか。
ここで一度確認する。
巴が黒板を見せる。
《今、ここで降りる選択をしますか》
秋枝は、はい、と言う。
針ばあは、自分の手話で答える。
保留していた男は、首を横へ振る。
「ここじゃない。次の保護所まで、この三両が動くなら乗る」
「動かない」
早瀬が言う。
「別の車両へ乗り換え。時刻は未定」
「じゃあ待つ」
「寒くなる」
「毛布は」
「十二号車」
「なら待つ」
止まる選択も、降りる選択も、同じではない。
タマキは新しい時刻を書く。
十七時九分三十秒。
降車選択、一件。
名前は書かない。
前九両の汽笛は、もう聞こえない。
代わりに、三つの制動輪から、冷える金属の音がした。
ちん。
ちん。
少し遅れて、もう一つ。
ちん。