第126話 第一章「王に台本」後編
言葉の意味ではない。
声が人を止めた感触だった。
白冠時代に、何千度も知っていた感触。
久しぶりに戻ってきたそれは、懐かしいというより、口の中へ昔の傷を入れられたようだった。
「続き」
カナタが促す。
「読まない」
「音は取れた」
「何が分かった」
「低音が二秒残る。客席後方まで生声で届く。命令文は、内容より先に姿勢へ入る」
「それを喜んでいるのか」
「怖がってる」
カナタは面を外していた。
嘘かどうか、凱には分からない。
だが、彼の足指が稽古靴の中で動いていた。
迅が客席から立つ。
「今ので、断る理由は増えた?」
凱は衣装の胸へ手を置いた。
飾りの鐘は、割れていない。
指先が滑る。
「増えた」
「受ける理由は」
「それも増えた」
「最悪」
「ああ」
衣装係が採寸札を取りに来た。凱は上着を脱ぎ、自分の白い長外套へ戻る。裾は自分で切ったまま。胸の鐘は割れたまま。
真琴が仮検分書を机へ置いた。
《安全稽古への参加は、本公演出演への同意を意味しない》
但し書きが本文と同じ大きさで印刷されている。
「署名するなら右欄」
「おまえが用意したのか」
「来る途中で。相手の文だけが紙になると負ける」
「勝ち負けで規則を書くな」
「おまえに言われたくない」
凱は署名した。
迅は左手で書いた。右手の震えは小さいが、まだ細い線を嫌う。七瀬は撮影範囲を追記した。轟は読み終わるまで時間を使った。タマキは配達責任を《明日午前九時、本人を舞台入口まで》と限定した。
六人の署名は、形が揃わない。
それでいい、と凱は思った。
カナタは最後に証者欄へ自分の名を書いた。
面を着けず、舞台名も使わず。
帰り際、凱は白い立ち位置の印を踏みそうになった。
一歩、横へ避ける。
空の玉座だけへ照明が残っていた。
誰もいない《王》の印の上で、白い布が光っていた。