第158話 第五章「東門の封鎖」後編

 午後四時。

 東門設備課は、門の内側へ住民三人を入れることを認めた。

 認めた、という言い方に、旧青灯の男は不満を見せた。

「俺たちの門だ」

「なら、自分で責任を持て」

 沼田が返した。

「持つ」

「事故が起きた時だけ行政のせいにするな」

「そっちも、事故が起きる前だけ住民を邪魔扱いするな」

 話はまとまっていない。

 まとまっていないまま、点検項目は一つずつ埋まった。

 上部梁の目視。

 補強板の打音。

 蝶番軸の摩耗。

 門柱基礎の亀裂。

 巻上機の逆転防止。

 中央閂の引抜荷重。

 最後の項目で、閂は動かなかった。

「やっぱり危険だ」

 点検班の若い男が言った。

「構造じゃない」

 轟は閂の根元へ右耳を近づけた。

 叩く。

 高い。

 もう一度、少し位置をずらす。

 鈍い。

「氷」

 沼田もしゃがんだ。

「内部へ水が入った?」

「夏の雨。排水穴、塗装で塞いだ」

 旧青灯の男が顔をしかめる。

「俺たちだ。錆止めした時、穴まで塗った」

「責任者は」

「もういない」

「なら、今いる奴が直せ」

 轟は工具を渡そうとした。

 門の外で、靴音が揃った。

 設備課ではない。

 灰色の外套が六人。

 先頭の隊員が、榛名の署名入り命令書を掲げた。

「本日十六時をもって東環門会場を閉鎖する。安全認証が未完了のため、投票設備と記録物を中央管理下へ移す」

 タマキが訊いた。

「誰から」

「八旗協議時刻管理責任者、榛名柊吾」

「誰へ」

「東環門会場管理者」

「誰」

 隊員は答えに詰まった。

 会場管理者は一人ではない。

「記録物を渡してください」

「まだ空だ」

 轟が透明管を示す。

「では、設備を押収します」

「押収理由」

「会場外搬出に用いられる可能性」

「そのために作った」

「許可されていません」

「許可する人が、誰から何を預かった」

 タマキの質問を、隊員は無視した。

 二人が透明管へ手を伸ばす。

 轟は床へ、白いチョークで二本の線を引いた。

 門柱と荷役倉庫の間。

 幅は三メートル。

「一人」

 低い声が、鋼板を震わせた。

 誓痕〈ヴァウ・スカー〉が、二本の線を淡い橙へ変える。

 一人門〈ワン・ゲート〉

 線の間で、轟が敵として受ける相手は一度に一人だけになる。

 強くなる能力ではない。

 二人目を、敵にしないための境界だった。

 先頭の隊員が踏み込む。

 轟は右腕で、その手首を払った。

 左肩は上げない。腰を落とし、相手の肘を自分の胸へ押し当てる。足の位置を門柱の間隔へ広げる。

 隊員が体当たりする。

 百十二キロの轟が、雪上を半歩滑った。

 左肩へ衝撃が抜けそうになる。

 右足を一段後ろへ引き、荷重を腰から鋼製安全靴へ落とした。

「通してください」

「お前一人なら」

「何を」

「点検へ」

 轟は相手を投げない。

 線の外へ押し出さない。

 ただ、透明管へ届かない向きへ身体を回す。

 別の隊員が横から入ろうとした。

 橙の線の手前で、足が止まる。

 能力に弾かれたのではない。

 二人目として轟を敵にできない。一歩を踏み出せば、最初の隊員を押し倒すだけになる。

「一人ずつか」

 先頭の隊員が歯を食いしばる。

「話すのも」

「押収命令です」

「命令書、点検を終えるなと書いてあるか」

「記録物を移すと」

「記録、まだない」

「設備を」

「設備が危険か」

「無許可です」

「危険か」

 隊員は言葉を切った。

 背後で、沼田が中央閂の排水穴へ細い錐を入れている。

 住民二人が温水袋を運ぶ。

 タマキは猫道へ二本目の空管を押し込み、外の点検員へ渡した。

「伏見さん」

 沼田が叫ぶ。

「あと六分」

「聞いた」

「左肩、下げてください」

「下げてる」

「顔が上がっています」

 タマキと同じことを言う。

 轟は、左の肩甲骨を意識して落とした。

 先頭の隊員の力が一瞬抜けた。

「あなたも安全担当でしょう」

 轟が訊く。

「治安担当です」

「人を守る?」

「はい」

「なら、俺を壊す前に言え」

「退けば壊れません」

「俺が立ってりゃ持つ、は嫌いなんだ」

「立っているのはあなたです」

「今、直してる」

 轟は一度、線の外へ出た。

 誓痕の橙が消える。

 先頭の隊員は勢いを失って前へよろけた。

 轟は右手で肩を支える。

「交代」

「何と」

「話」

 旧青灯の男が、轟のいた場所へ立った。

 能力はない。

 ただ、両手を開いて言う。

「点検が終わるまで、管に触るな。終わったら、俺たちが開けるか閉めるか決める」

 菓子売りが隣へ立つ。

「私も」

 自転車修理の姉が、三人目になる。

 列ではない。

 壁でもない。

 通るなら、一人ずつ話さなければならない間隔で立った。

 一人門は消えている。

 門だけが残った。

 午後四時七分。

 中央閂の排水穴から、黒い水が一本落ちた。

 続いて、氷の欠片。

 沼田は温水袋を外した。

「引きます」

 轟は手を出さない。

 旧青灯の男、菓子売り、自転車修理の姉、洗濯屋の少年。四人が閂の取っ手へ布を巻く。

「重いぞ」

 男が言う。

「重さ、分かってる」

 轟。

「手伝えよ」

「お前らの点検だ」

「都合いいな」

「壊れたら止める」

「それまで見てるだけ?」

「見るのも仕事だ」

「楽な仕事だな」

「金、取るぞ」

 タマキが横から言う。

「僕も」

「お前は何代だ」

「道代」

「道に金取るのか」

「作った人へ払うのが嫌なら、自分で作ればいい」

「こいつら、似てきたな」

 四人が閂を引く。

 最初は動かない。

 沼田が角度を変える。

「上へ二センチ」

「持ち上がらねえ」

「一度押し込んで」

「閉めるのか」

「氷を割ります」

 押す。

 金属の奥で、ぱき、と小さな音。

 轟の全身が反応した。

 崩れる音ではない。

「引け」

 四人が引く。

 閂が、指一本分だけ動いた。

 もう一度。

 二十センチ。

 最後に、胸の幅ほど抜けた。

 扉の隙間から、冬の夕方が細い刃のように入る。

 沼田は点検表へ署名した。

《構造上の即時危険なし。閂排水穴の閉塞を修理。開閉は住民点検者四名と設備課二名の共同確認。》

「開ける?」

 タマキが訊く。

 住民たちは顔を見合わせた。

 開ければ、投票日まで門を管理する責任が生まれる。

 閉めれば、原票搬送の手順を別に作る必要がある。

 旧青灯の男が言った。

「今日は、猫道だけでいい」

 菓子売りもうなずく。

「大扉を開けるほど荷物はない」

 自転車修理の姉が、透明管を持ち上げる。

「これが通れば足りる」

 轟は、扉へ手を掛けなかった。

 開く力があることと、開ける理由があることは違う。

 住民は中央閂を戻し、排水穴の前だけ塗装を剥いだ。赤い閉鎖札のうち、《危険》の一枚を外し、《共同点検済み・限定搬送》へ書き換える。

 灰外套の隊員は、透明管を押収しなかった。

 命令書の余白へ、《点検設備ではなく住民所有の搬送容器。内容物未挿入。安全確認済み》と書き足し、署名した。

 榛名の命令を破ったのではない。

 命令の対象を、現場で正確にした。

 轟はその書き方を見て、短く笑った。

「何です」

 隊員。

「文字も補強板になる」

「腐りますよ」

「点検しろ」

 日が落ちる前、八本の透明管は門柱の棚へ並んだ。

 一本目には、まだ何も入っていない。

 外側には、空管試験の受渡札。

 送り主、環玉樹。

 受取人、沼田千歳。

 目的、道の寸法確認。

 双方の時刻。

 二つの時計は、十九秒ずれていた。

 誰も直さなかった。

 違う時刻を両方書いた。

 轟は朝に作った鋼箱を、雪の中から引き上げた。

 右手だけでは持てない。

 左は使わず、底へ角材を差し、てこで作業台の脇まで動かす。

「捨てる?」

 タマキが訊く。

「置く」

「使わないのに」

「失敗、見える方がいい」

「場所取る」

「三十三キロ」

「場所を重さで言わない」

「お前が朝やった」

 タマキは鋼箱の側面へ、白い札を貼った。

《安全だが、運べない。》

 轟はその下へ、一行足した。

《運べない物は、途中で誰かを置いていく。》

「長い」

「平文」

「意味は分かる」

「なら、いい」

 門の内側で、住民が票を書くための机を並べ始めた。

 門の外では、猫道から戻った空の透明管が、軽い音を立てて棚へ収まった。