第161話 第七章「切符で結ぶ道」前編

十二月二十九日 午後七時十一分

 道は、地図より先に切符へ穴を開ける。

 環玉樹は、零番街の旧客車教室へ百三十七枚の使用済み切符を並べた。

 長椅子を二列外し、床へ白い布を敷く。

 切符は、色ではなく切り欠きの形で分けた。

 右上が半円。

 左下に四角。

 中央へ針穴が二つ。

 端から一センチの位置へ、斜めの鋏跡。

 普通の乗客には意味がない。

 駅員には、もう使い終えた合図だ。

 保守員には、どの門を通り、どの階段を避け、どこで工具を受け渡したかを示す。

「これ、全部覚えてるの」

 火群七瀬が訊いた。

 腰高の三脚へ撮影機を固定し、左肩を動かさず右手で焦点輪を回している。光を抑える黒い庇を右目へ付け、画面の時刻と、床の切符を一緒に入れようとしていた。

「覚えてない」

 タマキは答えた。

「珍しい」

「並べれば分かる」

「それを覚えていると呼ぶ人もいます」

「人じゃなく、穴が覚えてる」

「撮っていいですか」

「何を」

「切符と手」

「顔は」

「入れません」

「帽子は」

「入りません」

「切符の番号は」

「後でぼかしません。今、映さない角度にします」

「ぼかすって編集」

「だから、撮る前に外す」

 タマキはうなずいた。

「料金」

「記録協力費を払います」

「誰が」

「八旗協議事務局」

「いつ」

「請求後、七日以内」

「遅い」

「前払いを交渉します」

「じゃあ撮っていい」

 七瀬は三脚の脚を一つ縮めた。

 切符の番号を画面外へ出し、穴の形だけを拾う。

 旧客車の窓には、冬の零番街が映っている。

 共同食堂の湯気。

 線路脇の焚き火。

 住所札を縫った外套。

 教室の後ろでは、東門から届いた八本の透明管が、細い棚へ並んでいた。

 まだ空だ。

 三十一日に、各地区の原票と理由用紙が入る。

 問題は、どこを通すかだった。

 中央駅を通れば早い。

 早い道は、中央時計塔の検問を通る。

 榛名の時刻管理班が受領時刻を一つに揃え、中央の帳簿へ入れる。

 帳簿へ入った後なら、記録は守られる。

 入る前に遅れたと判定されれば、地方の紙は最初から記録ではなくなる。

「ここ」

 タマキは灰色の保守券を四枚つないだ。

 東門の猫道。

 貨物高架の排水路。

 北工区の夜勤食堂裏。

 西高架の荷車通路。

 中央駅を避けて半周する。

 別の切符を重ねる。

 南環の浴場裏から、旧浄水管の点検路。

 零番街の客車線。

 学塔区の字幕講堂地下。

 王環第二待合所の古い手荷物口。

 もう半周。

 二つをつなぐと、輪になる。

「環状保守路」

 七瀬が言った。

「違う」

「何が」

「路って書いてない」

「では」

「切符道」

「正式名称ですか」

「今つけた」

「正式ではありませんね」

「道は通った後で名前がつく」

 タマキは透明管を一本持った。

「僕が一周する」

「一本だけ?」

「八本」

「一度に?」

「箱に入る」

 胸より大きな鉄箱を叩く。

 かちり、と留め具が鳴った。

「距離は」

「二十一・四キロ」

「雪です」

「知ってる」

「高架下の凍結区間が三か所」

「知ってる」

「原票回収は各地区の判断終了後。終了時刻は同じ予定です」

「だから走る」

「八か所へ同時には行けません」

「近い順」

「最初の地区は、最後の地区より二時間長くあなたへ預けることになります」

「預かる」

「一人で?」

「配達員だから」

 七瀬は、焦点輪から手を離した。

「一人へ集めると、その人を撮れば全記録がつながります」

「僕を撮る?」

「撮りません。狙う人が、です」

「狙われても走る」

「倒れたら」

「起きる」

「箱を奪われたら」

「取り返す」

「意識がなければ」

 タマキは答えなかった。

 鉄箱の留め具を鳴らす。

「子どもだから止めるの」

「一人だからです」

「轟さんと同じ」

「昨日、何を言われました」

「道を渡せ」

「聞いていませんね」

「聞いた。従ってないだけ」

「違いは大きいです」

「七瀬さんだって、全部自分で撮る」

 今度は七瀬が止まる。

「撮影者を区間ごとに変えたら、つながらないって言う」

「言います」

「僕も同じ」

「同じではありません」

「何が」

「私は、カメラを持って倒れても、映像が残ります」

「僕の箱も残る」

「あなたが残らない」

 タマキの眉が上がる。

「物より人が大事って言う?」

「いいえ」

「じゃあ」

「あなたと原票を、同じ一人へ集めない」

 七瀬は、床の切符へ視線を落とした。

「切符が区間を覚えているなら、区間ごとに人を変えられます」

「途中で中身を替えられる」

「透明管です」

「封印を替える」

「受渡しを撮る」

「全部の場所にカメラはない」

「使い捨て時刻札を二枚。渡す人と受ける人が一枚ずつ持つ」

「同じ時刻を書いたら、口裏合わせ」

「別々の時計を一緒に映す」

「時計がずれてる」

「ずれも書く」

 タマキは、床へ並んだ切符を見る。

 穴は、同じ形ではない。

 違う形だから、つながる。

「受ける人が断ったら」

「次へ渡しません」

「遅れる」

「断れる仕組みでなければ、受領ではありません」

「僕なら断らない」

「それが危ないと言っています」

 タマキは帽子の縁を引いた。

 火傷痕が、左のこめかみへ少し見える。

「じゃあ、何人」

「区間の人が決めます」

「みんなって誰」

「八地区の回収担当者、点検担当者、受取人候補」

「名前」

「今から確認します」

「遅い」

「あなた一人より、ですか」

「僕一人なら、もう決まってた」

「決まっていたことと、届くことは違います」

 七瀬はカメラを止めた。

 止めた時刻を、手帳へ書く。

「ここからは、撮らずに話します」

「どうして」

「あなたが断りにくくなるからです」

「撮ってても断る」

「知っています。それでも、私は下ろします」

 タマキは鉄箱へ腰掛けた。

「面倒」

「会議ですから」

「それ、迅さんも言う」

「嫌ですね」

「仲いい」

「もっと嫌です」

 午後八時四十分。

 切符道の受渡者候補は、十九人になった。

 東門から北工区まで、三人。

 北工区から西高架まで、四人。

 西高架から南環まで、三人。

 南環から零番街まで、二人。

 零番街から学塔まで、三人。

 学塔から王環第二待合所まで、四人。

 年齢も職業も違う。

 東門の自転車修理の姉。

 赤錆大工場の夜勤工。

 魚棚市場の氷運び。

 南環浴場の洗濯番。

 零番街の共同学校教師。

 学塔の字幕係。

 王環駅の元手荷物員。

 誰も空白の旗の部下ではない。

 配達料も違う。

 現金を求める者。

 夜勤を一時間短くすることを求める者。

 暖房所の利用券を求める者。

 自分の地区の原票だけは自分で持つと言う者。

 タマキは、料金欄を一円単位で埋めた。

「高い」

 八旗事務局員が言った。

「距離は同じです」

「普段の配送より」

「普段は狙われない」

「まだ狙われると決まっていない」

「決まってから上げる?」

「危険手当は、危険が確認されてから」

「転んだ後で雪代を払うの」

 事務局員は黙る。

「誰が運ぶか、公開するんだろ」

 北工の夜勤工が訊いた。

「名前を出したくない人は、受渡番号」

「顔は」

 七瀬が答える。

「撮影範囲を選べます。手だけ、背中だけ、映像なし。映像なしの場合、二人の証者と二枚の札」

「撮らないと疑われる」

「撮れば安全になるとは限りません」

「何を選んでも疑われるな」

 タマキが言った。

「だから、疑われない人を作らない」

「どういう意味だ」

「僕が全部運んだら、僕が正しいって信じるしかない。十九人なら、誰か一人が嘘でも、前後の人が違うって言える」

「十九人全員が嘘なら」

「その時は、八地区が全員で嘘」

「悪くない」

 夜勤工は笑った。

「悪いだろ」

「一人へ押しつけるよりは」

 受渡しの規則は、五つになった。

 一、中身は透明管へ封印し、票面は外から読めない向きへ巻く。

 二、渡す人と受ける人が、互いの名または受渡番号、目的、時刻を書く。

 三、断る場合は理由を求めない。ただし、断った時刻だけ残す。

 四、予定路を変えた場合、変更理由と新しい受取人を追加する。

 五、速さを理由に、記録を後回しにしない。

「五番、遅くなる」

 タマキが言った。

「あなたが書きました」

 七瀬。

「分かってる」

「嫌なのですか」

「嫌」

「消しますか」

「消さない」

「なぜ」

「僕が嫌な規則も、必要なことある」

 事務局員が肩をすくめる。

「大人になったな」

 タマキは急に敬語になった。

「具体的に、何歳分でしょうか」

「ごめん」

「謝るなら料金へ足してください」

「何代だ」

「年齢評価手数料」

「そんな項目はない」

「今つけた」

 午後十時十三分。

 最後に残ったのは、時刻札だった。

 中央時計塔の紙を使えば、規格が揃う。

 規格が揃えば、榛名の時刻管理班が発行時刻を管理する。

 そこで、タマキは自分の切符を使うことにした。

「駄目」

 七瀬が言った。

「どうして」

「切符は一枚ずつ違います」

「だからいい」

「証拠規格として再現できません」

「穴の形で区間が分かる」

「誰でも同じ切符を持っていません」

「使い捨て」

「あなたの収集品です」

「僕の物」

「だから、私が止める理由ではありません」

「今、止めた」

「確認です」

「確認の顔じゃなかった」

 床には、タマキが集めた古い切符がある。

 黒雨前の路面電車券。

 廃止された水上バスの半券。

 住所欄が空白のまま発行された零番街仮乗車札。

 先月、証言列車を止めた時に使った十九番側線の保守券。

 同じ物は、二度と手に入らない。

 時刻札にするには、受渡しごとに新しい穴を開ける。

 受領印を押す。

 票管と同じ色の墨を染み込ませる。

 収集品としての価値は消える。

「紙を買えばいい」

 七瀬。

「夜」

「明朝」

「遅い」

「切符を犠牲にする必要はありません」

「犠牲って誰が決める」

「あなたの顔です」

「顔は喋らない」

「肩より喋ります」

「轟さんの悪口?」

「観察です」

 タマキは、零番街仮乗車札を一枚持った。

 住所欄が空白。

 表へ、幼い字で《環玉樹》と書いてある。

 初めて自分で買った切符だった。

 これだけは、横へ避ける。

 ほかの切符を二十枚、机へ置く。

「全部は使わない」

「何枚」

「二十」

「十九人です」

「僕の分」

「あなたも運ぶのですか」

「道を確認する」

「一周?」

「一個の区間」

「どこ」

「まだ決めない」

「断る余地を残した?」

「違う」

「では」

「一番、人が足りないところ」

「それを、断る余地と呼びます」

「呼ばない」

 最初の穴を開ける役は、タマキではなかった。

 零番街の共同学校に通う九歳の少女が、小さな切符鋏を握った。

「どこ」

「右上」

「間違えたら」

「その切符は別の道になる」

「怒る?」

「料金は取る」

「こわい」

「怒るより安い」

 少女は鋏を入れた。

 半円になるはずの穴が、少し歪む。

 タマキは切符を取り上げ、光へ透かした。

「東門から北工。試験一号」

「間違ってない?」

「同じ穴はないから、これが正しい」

「ずるい」

「道は通った後で名前がつく」

 少女は二枚目を頼んだ。

「一人一枚」

「けち」

「仕事」

 十二月三十日 午前六時二分

 試験搬送は、朝の雪で転んだ。

 正確には、タマキが転んだ。

 零番街から学塔へ向かう旧軌道橋。

 橋面は見た目より薄く凍っていた。雪の下で、昨夜の溶け水が膜になっている。

 タマキは透明管を一本、胸の鉄箱へ入れて走っていた。

 中身は白紙。

 受渡札だけ本番と同じ。

 右足が滑る。

 身体が左へ傾く。

 火傷のある左側頭部を守るため、肩から落ちる。

 鉄箱が欄干へぶつかった。

 かん、と高い音。

 留め具が一つ、空へ飛ぶ。

 蓋が半分開いた。

 透明管は、箱から滑り出て橋面を転がる。

 タマキは右手を伸ばす。

 届かない。

 管は欄干の下へ消えた。

「止めて!」

 橋の下から声が返る。

 学塔の字幕係が、点検路へ張った網で受けた。

 透明管が、網の中央で揺れている。

 壊れていない。

 封印糸も切れていない。

 タマキは起き上がった。

 右膝が痛む。

 左肩は動く。

 鉄箱の蓋は、留め具の片方を失っている。

「怪我」

 字幕係が下から訊く。

「膝」

「動く?」

「動く」

「戻る?」

「進む」

「理由」

「管、下」

「私が受けた」

「僕が届ける」

「受取人は私」

 タマキは口を閉じた。

 受渡札を見る。

 送り主、零番街試験担当。

 受取人、学塔字幕係。

 目的、空管試験。

 管は、もう受取人の手にある。

 タマキが下へ降りてもう一度渡す必要はない。

「受けて」

「受けました」

「時刻」

「六時三分二十秒」

 タマキは橋上の時計を見る。

 六時二分四十九秒。

「違う」

「どっちが」

「両方」

「書く?」

「書く」

 字幕係が、自分の切符札へ時刻を書く。

 タマキも橋上の時刻を書く。

 三十一秒の差。

 管は届けられた。

 箱は壊れた。

 配達員は、届けた人ではなかった。

 タマキは右膝を曲げる。

 痛むが、歩ける。

 鉄箱の蓋を紐で縛る。

「戻ります」

「進むんじゃないの」

「目的、終わった」

「怪我したから?」

「それも」

 戻る理由が一つでなくても、戻っていい。

 午前七時二十六分。

 零番街共同食堂の修理台で、鉄箱の留め具を外した。

 自転車修理の青年が、新しい金具を選ぶ。

「同じ形はない」

「直して」

「同じにはならない」

「閉まればいい」

「珍しいな」

「何が」

「この傷、残るぞ」

 箱の角に、欄干へぶつけた白い線が入っている。

「傷は消さない」

「前は磨けってうるさかった」

「前は、傷の理由が分からなかった」

「今は」

「転んだ」

「格好悪い」

「知ってる」

「書く?」

「箱に?」

「受渡札に」

 タマキは記録欄へ書いた。

《六時二分、旧軌道橋で転倒。箱の留め具破損。空管は橋下の受取人が網で受領。搬送者本人は戻る。》

 青年が読む。

「配達失敗じゃないのか」

「届いた」

「お前は届けてない」

「道が届けた」

「便利な言い方だな」

「料金は、受取人と相談」

「そこは現実的」