第164話 第八章「平文放送」後編

 十二人の侵入者。

 八会場の視聴者。

 治安隊。

 請願者。

 十五分の沈黙は、誰かが勝手に意味を入れる。

「俺が喋る」

 巴が見た。

「修理説明」

《技師が書く。》

「場をつなぐ」

《何で。》

「何か」

《何もない時に、何かを作らない。》

「放送だぞ」

《だから。》

 カナタは、偽月の下へ座った。

 右足首をさする。

 請願者の老女も、壁際へ腰を下ろす。

「止まったね」

「線が」

「放送も」

「待ってる」

「同じじゃないの」

「違う」

「舞台の人は、違いを言葉にするね」

「通訳の人に怒られる」

「怖い?」

「かなり」

 老女が笑う。

「拍手したくなる」

「やめて」

「冗談だよ」

「拍手は、冗談でも怖い」

 老女は手を膝へ置いた。

「止めたいのは、本当だよ」

「うん」

「でも、あんたたちが結果を決めてるとも思ってる」

「うん」

「否定しないのか」

「できない」

「じゃあ、続ける理由は」

 カナタは、次に言う台詞を三つ考えた。

 一、声を奪わせないため。

 二、違いを隠さないため。

 三、皆が待っているから。

 どれも、役者の台詞だ。

「仕事だから」

「安い答えだね」

「料金は出る」

「金の話か」

「金が出ない仕事は、正しそうな人へ寄る」

「誰の受け売り」

「通訳と鍋の人」

「自分の言葉は」

「まだ」

 老女は、それ以上訊かなかった。

 十五分のうち、十二分が過ぎる。

 放送には、技師の修理時刻だけが映っている。

 誰も説明しない。

 十三分。

 銅線がつながる。

 学塔の老教師が、画面へ戻る。

 待つと選んだ人の顔に、感動的な忍耐はない。

 少し苛立っている。

 それでいい。

「学塔、どうぞ」

 午後四時二十九分。

 治安隊員が、封印命令書を畳んだ。

「本日の執行を保留します」

「撤回?」

 カナタ。

「保留です」

「いつまで」

「上申回答まで」

「理由」

「請願発言も同一設備で放送されたため」

「許可した?」

「していません」

「じゃあ」

「停止すれば、請願者の発言も切ります」

 隊員は、自分の命令が守る対象〈バック〉を見つけ直した。

 請願者の若い男が言う。

「俺たちのために続けるな」

「あなたのためではありません」

 隊員。

「誰のためだ」

「記録対象を選ばないためです」

 榛名の部下は、榛名と同じ答えをするとは限らない。

 撤収する隊員の書類箱から、一枚の紙が滑った。

 カナタの足元へ来る。

 拾う。

《地区時計補正命令》

 南環、プラス十三秒。

 北塔、マイナス二十一秒。

 西高架、プラス二十三秒。

 東門、プラス十九秒。

 零番街、マイナス七秒。

 北工、プラス四十秒。

 学塔、マイナス三十二秒。

 王環第二待合所、プラス四分。

 補正実施日が、地区ごとに違う。

「これ」

 カナタは隊員へ返す。

「業務文書です」

「知ってる」

「撮影していませんね」

「してない」

 巴が紙を見る。

 隊員は隠さない。

「中央時刻へ合わせる命令です」

《なぜ、王環だけ四分。》

「機械差が大きかった」

《補正前記録は。》

「廃棄対象です」

《投票時刻と比較します。》

「補正後時刻で統一します」

 カナタは、紙の数字を見た。

 投票内容を変える必要はない。

 地区ごとに違う時刻を、中央へ揃える。

 揃えた時刻を基準に、原票が一秒でも遅ければ無効。

 誰かの答えを改竄するより、きれいだ。

 答えはそのまま残る。

 届かなかったものとして扱える。

「榛名さんは、票を変えない」

 カナタが言う。

 巴が手話で返す。

《時刻を変える。》

「舞台で言えば」

《言わなくていい。》

「台詞はそのまま、開演時刻だけ変えて遅刻扱い」

 巴は少し考えた。

《分かりやすい。》

「初めて褒めた?」

《比喩だけ。》

「俺は」

《料金外。》

 隊員が紙を箱へ戻す。

「補正は、規則上の正当な業務です」

「隠してない?」

 カナタ。

「公示済みです」

「どこに」

「各会場の管理板」

「見た人は」

「確認していません」

「それ、通訳に言うと長いよ」

 巴の手が、すでに動いている。

《読める場所、文字の大きさ、掲示時刻、補正前の記録、受領者、異議手続き。すべて提示してください。》

 隊員は一度、目を閉じた。

「上申します」

「逃げた」

「業務です」

「便利だ」

「舞台もでしょう」

「うん」

 カナタは否定しない。

 午後六時十二分。

 八地区の一巡目が終わった。

 最後は王環第二待合所。

 話者は、停止請願を出した老女だった。

 彼女は倉庫から戻らず、その場の臨時マイクへ座る。

「私は放送停止を求めました」

 八会場へ流れる。

「今も、結果を互いに聞かせることは危ないと思っています。だから、聞いた前と後で、票を同じ紙にしないでください。変わったなら、変わった時刻を残してください」

 巴が、標準平文へ変えようとする。

 手を止める。

 老女の言葉を、そのまま字幕へ出す。

「それでも、三十一日の放送は止めてほしい。これは私の意見です。王環全体の意見ではありません」

 発言が終わる。

 誰も拍手しない。

 カナタは、拍手がないことを成功へ変えそうになる。

 拍手がないから自由だ。

 拍手がないから正しい。

 それも演出だ。

 老女はただ、喉を鳴らして水を飲んだ。

 受信板の南環で、誰かが椅子を引く。

 北塔の画面へ雪が入る。

 西市場では、魚屋が放送へ背を向けて商売へ戻る。

 東門で、透明管の蓋が締まる。

 零番街の子どもは途中で眠っている。

 北工の夜勤工は、次の勤務へ出た。

 学塔の老教師は、十三分待った苛立ちを顔へ残している。

 放送は、全員を一つの客席へ集めなかった。

「終了」

 カナタは言いかけた。

 巴が手を上げる。

《一巡目。》

「まだある」

《質問と変更。》

「明日」

《はい。》

「次は」

 口癖が出る。

 三手先を予告する言葉。

 カナタは、続きを飲み込んだ。

「今日は、ここまで」

 音声線を一つずつ切る。

 南。

 北。

 西。

 東。

 零番街。

 北工。

 学塔。

 王環。

 最後の回線が落ちても、幕は下りない。

 旧小道具倉庫には、偽の月と、倒れた机と、請願書と、補正命令の写しだけが残る。

 カナタは床へ座ったまま、次に誰も見ていないことを確かめた。

 足指だけが、拍手を待つように一度動いた。

 彼は立ち上がらず、倒れた机を先に起こした。