第198話 第一章「占拠された給水塔」後編
水務隊長が顔を硬くする。
「これは天環側の給水施設だ」
「住戸は誰の」
「天環市の管理下にある」
「住んでる人の家だ」
「占拠を終わらせる」
「終わらせて、どこへ連れていく」
「安全区域へ避難させる」
「どこの」
「天環側だ」
「誰が選んだ」
「救出対象に選択を求めている時間はない」
由良は赤索を指へ巻いた。
巻きすぎる癖を、途中で止める。
「時間がないって言う人は、だいたい他人の時間を使う」
「名言か」
迅。
「十二日前から言ってる」
「道の話?」
「家の話」
塔頂で、久我が鍵束を持ち上げた。
朝日が金属へ当たり、四方へ散る。
「天環も剛嶺も下がれ」
拡声器の声は短い。
「塔の水は、塔の住民へ配る。食事も薬も私が管理している。外から入る者は敵として扱う」
「出る者は」
由良が問う。
「確認する」
「誰が」
「私」
「戻る者は」
「確認する」
「誰が」
「私」
「つまり、出入口の数だけ、おまえがいる」
「一人で足りる」
久我は鍵束を胸の前へ戻した。
「住民の安全は、私が保証する」
その言葉の直後、九階の窓が開いた。
小さな手が出る。
白い布を一度振る。
次に、青い布を二度。
最後に赤い布を窓枠へ結ぶ。
久我が振り返った。
窓は閉じる。
板札だけが残る。
《介入不要》
久我は拡声器を口元へ戻した。
「七時。朝の配給を始める。各階、受取人を一人。階段は上りと下りを分ける。診療札は青。乳児の湯は白。外を撮る窓は閉めろ」
命令の後、塔の内部で錠が動いた。
一つではない。
上から下へ、硬い音が階段を降りる。
十二階の扉。
十一階。
十階。
鍵の音は揃っていなかった。
誰かが久我の号令へ従い、誰かが遅れ、誰かは開けない。
四階の窓から、鍋を抱えた男が外周廊下へ出た。
久我の警備班が身体検査をする。
男は不満そうに両腕を広げ、それでも列へ並ぶ。
七階では、二人が同じ扉から出ようとして言い争った。
警備班の一人が片方を戻す。
戻された女は、扉へ拳を一度当てた。殴るのではなく、内側へいる誰かへ合図するように。
九階の外周には誰も出ない。
代わりに青い木札が、滑車で中央階段へ送られる。
「配給、動いてる」
タマキが言った。
「人質へ食事を出すことはある」
水務隊長。
「食事を出してる人を全部、味方って呼ぶこともある」
迅。
「どっちも、食べる人が決める前に決めてる」
由良。
凱は列を見た。
久我の指示は、短い。
階ごとの受取人が復唱する。
待つ人間へ順番を示す。
混乱を減らす。
命令が役に立つ時、その命令を出す人間から権限を取り戻すのは難しくなる。
「良い指揮だ」
凱が言った。
水務隊長が振り返る。
「占拠者を褒めるのか」
「機能を確認した。善悪を決めていない」
「同じだ」
「違う。役に立ったことを消すと、支持した住民まで愚かだったことになる」
「では、久我を認める?」
「期限と拒否があれば」
「なければ」
「俺と同じ失敗をしている」
凱は、左膝の装具へ手を置かなかった。
代わりに、自分の足元を半歩下げた。
塔から見れば、外側の大男が後退しただけだ。
しかし白冠だった男を知る者には、それが命令の距離を減らした動きだと分かる。
久我は塔頂から凱を見た。
「王をやめた男」
「名前は凱だ」
「王は、名前より短い」
「檻もな」
久我の口元が一瞬だけ動いた。
笑ったのか、寒さで引きつったのか、距離がありすぎて七瀬にも判別できない。
彼女は判別不能と記録した。
塔内の配給列が進む。
正面から見れば、整然としていた。
しかし七瀬が塔の西側へ三十歩移ると、七階の扉の陰で、戻された女がまだ立っているのが見えた。
一つの画角で秩序に見えるものは、別の画角では待たされている人だった。
七瀬の撮影機は、窓を正面から捉えていた。
しかし彼女は、記録紙へ書く。
《意味、不明。》
分からないまま残すことは、何もしないことではない。
答えを急いだ人間から、窓を守る仕事だった。