第199話 第二章「住民の窓」前編

二月十九日 午前七時十六分

 鷹取由良は、環水三号塔を一周するのに十三分かけた。

 本人にとっては遅い。

 走れば二分半。

 赤索を外壁の補強帯へ掛け、帰巣線〈ホームワイヤー〉を使えば、もっと短い。

 しかし、速く見た窓は、速い答えしか返さない。

 由良は歩いた。

 雪解け水の溜まる北側。

 午後まで日が当たらない西側。

 洗濯竿が長い南側。

 外周足場の錆が濃い東側。

 十二階を見上げるたび、首より先に足が動きそうになる。

 高い点へ登れば地形が分かる。斥候学校で最初に習ったことだ。

 人が住む建物では、高い所から見れば分からなくなることもある。

「二階北、黄色い靴下。昨日はなかった」

 七瀬が後ろで記録する。

「ただの洗濯」

「可能性は」

「高い。あの部屋、朝に子どもの靴下を干す」

「知っている人?」

「知らない。昨日見た」

「それは知人ではなく観察です」

「言葉、細かい」

「仕事です」

「歩幅、合わせて」

「あなたが遅くしてください」

「遅い」

「私には速い」

 七瀬の左肩は、昨日より痛みが少ない。

 固定台を小さな車輪付き箱へ載せ、腰で引いている。塔の外周は泥が深く、車輪が何度も取られた。

 由良は赤索を箱へ結んだ。

「引く」

「私の機材です」

「知ってる」

「進路を勝手に決めないで」

「塔を一周する」

「順路ではなく速度の話です」

「何分」

「十九分」

「遅い」

「私が機材を壊さない速さです」

「十八」

「交渉していますか」

「譲った」

「一分だけ」

「大きい」

 由良は歩幅を四センチ縮めた。

 譲歩は、本人の体感で測ると大きくなりやすい。

 受け取る側の時間で測る必要がある。

 西側へ回る。

 七階の窓に、青い布があった。

 洗濯ばさみは二つ。

 布の右下を折り込み、細い白糸で留めている。

 由良の足が止まった。

「知ってる」

 七瀬が言う。

「観察じゃない」

「誰」

「磯良ノノ」

「年齢」

「二十一」

「関係」

「剛嶺で索具の修理を教わった。私が十二の時。あの人は十五」

「家族」

「知らない」

「現在の職業」

「この塔で洗濯と縫い直し。前の境界名簿にあった」

「本人確認は」

「写真が古い」

「布の癖だけで断定しないでください」

「右下を折る。白糸。洗濯ばさみ二つ。ノノは風の逃げ道を作る」

「同じ方法を教えた人は」

「いる」

「なら断定できない」

「面倒」

「人の名前なので」

 由良は赤索を指へ一周だけ巻いた。

 窓の布が風を受ける。

 青は、剛嶺では水を意味する色ではない。

 晴天の日に空と紛れるため、位置を知らせる旗には向かない。代わりに、衣類の補修待ちを示す時に使った。

 環水三号塔では、意味が少し変わっている。

 由良は昨日、境界の古物商から住民向けの生活案内を買った。

 三年前の紙。

 表紙へ油染み。

《洗濯物を使う窓合図》

 白い布――煮沸用の湯が必要。

 青い布――配管または洗濯設備に不具合。

 赤い布――感染症、介護、睡眠などの理由で訪問を断る。

 色だけでは決まらない。

 左へ寄せれば、同じ階への連絡。

 中央なら、管理人へ。

 右なら、外側へ見せる。

 洗濯ばさみ一つは急がない。

 二つは当日中。

 三つは今すぐ。

 結び目があれば、本人の代わりに他人が出した札。

 折り込みがあれば、公開してよい範囲が限定される。

「複雑」

 七瀬が言った。

「生活だから」

「生活は、分かりやすくできませんか」

「できる。でも、分かりやすくした人が管理人になる」

「一文字巴が聞いたら、一晩反論します」

「呼ぶ?」

「今は別の仕事です」

「便利な人ほど、いない時に困る」

「いる時に任せすぎた証拠です」

 由良は青布の位置を記した。

 七階西、右寄せ。

 洗濯ばさみ二つ。

 右下折り込み。

 外へ、当日中に、設備不具合を知らせる。

 ただし、内容の公開範囲は限定。

「助けて、じゃない」

「少なくとも、この案内では」

「案内が古い」

「そうですね」

「久我が変えたかもしれない」

「はい」

《はい》ばかり」

「否定できる証拠がありません」

「嫌い」

「知っています」

 その時、青布が一度だけ引かれた。

 窓の隙間に、指が見える。

 人差し指と中指がない。

 残った三本で、洗濯ばさみを外す。

 由良は息を止めた。

「ノノだ」

 今度は、七瀬も訂正しなかった。

 磯良ノノは、剛嶺の索具事故で右手の二指を失っている。

 由良へ結び方を教えた時も、残った三本で、六本の指より速く索を編んだ。

 由良が最後にノノを見たのは、三年前だった。

 剛嶺の索場。

 事故の補償審理が終わった日。

 ノノは、右手の包帯へ青い糸を巻いていた。

 見舞い客が白い布ばかり持ってくるから、病人の色に見える、と怒っていた。

「二本なくなった」

 当時の由良は、何を言えばよいか分からず、事実を言った。

「数えられるね」

 ノノは答えた。

「三本ある」

「前より少ない」

「前より、一本ずつ働かせる」

 その翌週、ノノは索場を辞めた。

 由良は、事故で仕事を失ったのだと思っていた。

 後から、違うと知った。

 索場はノノを補助員として残す提案をした。

 結び目の検査だけを任せ、現場へ出さない。

 ノノは断った。

《手が減ったから、仕事まで半分にするな。半分の仕事しか出せないなら、別の場所で全部やる。》

 環水三号塔へ移ったのは、その後だ。

 洗濯台の修理。

 衣類の繕い。

 子どもの靴紐。

 外周索の張り直し。

 索場より小さい仕事ばかりだった。

 しかし、どの仕事を受けるかは自分で決めた。

「事故の後、どうして見舞いに行かなかったんですか」

 七瀬が聞いた。

「任務」

「三年間ずっと?」

「最初の三か月。次は、遅れたから行きにくくなった」

「一年後は」

「もっと遅れた」

「三年後は」

「今」

「会う理由が、占拠事件になった」

「理由ができた」

「便利ですね」

「嫌な言い方」

「精度は」

「高い。嫌」

 由良は七階の窓を見た。

 ノノは助けを待って、ここに住んでいたのではない。

 由良が来るまで、物語を止めていたわけでもない。

 三本の指で仕事を作り、誰かの服を直し、九年借りた糸を覚えていた。

 由良が知らない三年の方が、知っている六年より今のノノを作っている。

「性格で決めない」

 由良は自分へ言った。

「何を」

 七瀬。

「ノノが出たいか、残りたいか」

「昔の彼女から推定しない?」

「しない。あの人、昔から人の予想を直して料金取る」

「では、聞くまで保留」

「聞けなくても保留」

 ノノの欠けた指は、本人確認にはなった。

 意思の代わりにはならなかった。

 窓の内側から、細い針金が下りる。

 先端に紙はない。

 小さな金属輪だけ。

「何」

 七瀬。

「糸を返せって合図」

「誰に」

「私に」

「あなたが来ると知っていた?」

「照会を出したの、ノノかもしれない」

「かもしれない」

「分かってる」

 由良は胸の赤索を解きかける。

 止める。

 ノノの窓へ自分の索を結べば、帰還を許された家標になる可能性がある。

 《帰巣線》は、許された場所へ最短の安全路を示す。

 けれど、金属輪は《入ってよい》とは言っていない。

 昔借りた糸を返せ。

 それだけかもしれない。

 由良は赤索ではなく、書類束から白い縫い糸を一本抜いた。

 針金の輪へ結ぶ。

 塔の上で、三本の指が糸を引き上げた。

 窓は閉じる。

 窓が閉じる直前、ノノの三本の指がもう一度現れた。

 人差し指も中指もない手で、親指と薬指を輪にする。

 小指を外へ向ける。

 由良は反射的に同じ形を返した。

「意味は」

 七瀬。

「見張りがいる」

「久我の?」

「分からない。剛嶺の索場で、監督が来た時の合図」

「あなたとノノだけが知る?」

「索具を習った人は知ってる」

「では、他の人へ見られても意味が通じる」

「通じる。だから秘密じゃない」

「秘密でない合図を、久我が止めない理由は」

「止めたら、止めたって分かるから」

 由良は塔の窓列を見た。

 合図を管理する方法は、全部禁止することだけではない。

 意味を増やす。似た動作を混ぜる。誰が見ているか分からなくする。

 移動城の斥候同士も使った。

 敵へ偽の索を張り、正しい帰路を守った。

 その時は技術だった。

 住民が自分の窓から出す手を混乱させれば、同じ技術が支配になる。

「ノノを知ってるなら、性格も」

 七瀬。

「性格で行動を決めるなって、いつも言うくせに」

「予測と断定を分けます」

「負けず嫌い。借りた糸を九年覚えてる。人の結び目を勝手に直す。直した後で料金を取る」

「あなたに似てる」

「どこが」

「勝手に経路を直す」

「私は料金取らない」

「別の負債を残します」

「何」

「助けられた形」

 由良の足が止まる。

 七瀬の車輪箱も止まる。

「今の、名言にした?」

「観察です」

「嫌な観察」

「精度は」

「高い。嫌」

 窓は完全に閉じた。

 その直後、南側の包囲線で空気が弾けた。

 短い発射音。

 由良は地面を蹴った。

「伏せて!」

 細い索が、塔へ飛んでいく。

 先端は矢ではない。

 布製の小袋と、折り畳み式の引掛け爪。

 水務隊が、七階の窓へ救出索を撃った。

 爪は窓枠へ届かない。

 その手前、六階と七階の間に張られた洗濯線へ絡む。

 線が大きく撓んだ。

 白い肌着、青い作業布、赤い子どもの上着が、一斉に引かれる。

 外周足場の細い支柱が鳴った。

 由良は赤索のフックを地面の固定環へ掛け、走った。

 塔へではない。

 発射器へ。

 索の後端を踏み、腰へ巻き、引掛け爪へ伝わる張力を自分の身体へ移す。

「切るな!」

 水務隊員が叫ぶ。

「切ったら爪が落ちる!」

「引くな!」

「住民へ救出袋を送る!」

「洗濯線ごと落とす!」

 発射器の巻取り機が回る。

 由良の靴が泥を削った。

 左肋骨の古傷へ、索の圧が食い込む。

 彼女は引き返さない。

 引けば、爪が塔へ食い込む。

 前へ二歩。

 巻取り機の横へ。

 右手でレバーを掴む。

 隊員が腕を振り上げた。

「離せ!」

「止めろ!」

「命令だ!」

「誰の!」

 由良は身体を沈める。

 腕が頭上を通る。

 右膝を巻取り機の脚へ当て、左手で索を少しだけ送り出す。

 張力が落ちる。

 塔の洗濯線が戻った。

 だが、引掛け爪は外れない。

 外周足場から、小さな人影が出る。

 九歳ほどの女の子。

 赤い上着を着ている。

「戻れ!」

 由良と水務隊員が同時に叫ぶ。

 子どもは二人とも無視した。

 物干し竿を持ち上げ、絡んだ爪へ先端を差す。

 一度目、滑る。

 二度目、爪が回る。

 三度目、外れる。

 引掛け爪が落下した。

 由良は索を引かず、地面へ沿わせる。

 爪は塔壁へ当たらず、雪へ埋まる。

 子どもは物干し竿を肩へ戻した。

 窓の内側から大人の手が伸び、首根っこを掴んで引っ込める。

 赤い上着だけが一瞬残った。

「救出対象が、自分で救出道具を外した」

 水務隊員が呆然とする。

「道具が危なかったから」

 由良は巻取り機のレバーを離さない。

「助けを拒んだわけじゃない」

「同じだろ」

「同じにするな」

 七瀬が追いつく。

 撮影機は回っている。

「発射許可は」

「隊長命令だ」

「住民側の受領確認は」

「取れる状況ではない」

「袋の中身」

「避難手順、細索、滑車、発煙筒」

 タマキが小袋を拾った。

「送り主、水務隊。受取人、七階住民。目的、脱出」

「そうだ」

「受取人が、受け取るって言った?」

「救助物資に同意は不要だ」

「食べ物なら?」

「状況による」

「薬なら?」

「状況による」

「出口なら?」

「今がその状況だ」

「誰が決めた?」

「私たちだ」

「受取人じゃない」

 タマキは袋を開けない。

 外側へ貼られた品目表を読む。

「発煙筒、赤。窓の赤布と混じる」

「緊急色だ」

「塔の赤は訪問拒否」

「知らなかった」

「知らない場所へ、同じ色を投げた」

 隊員は言葉を失う。

 由良は巻取り機から索を外した。

「次に送るなら、先に窓へ品目を見せる。色も訊く。受取人を決める。返す方法を付ける」

「そんな時間は」

「今、洗濯線を直す時間が増えた」

 塔の七階で、ノノの三本指がもう一度出た。

 青い布を外す。

 破れた洗濯線を指す。

 次に、由良を指す。

 親指と小指で、長さを示す。

「何て」

 七瀬。

「索、十二メートル。細いの。金具なし」

「送ってよい?」

 ノノの手が、掌を上へ向ける。

 受ける合図。

 由良はタマキへ向く。

「送り主、私。受取人、磯良ノノ。目的、洗濯線修理。細索十二メートル。金具なし」

「料金」

「後で」

「決めて」

「剛嶺の塩針二本」

「現金換算」

「面倒」

「送らない」

「分かった。天環銭で十二」

「配達料」

「三」

「高い」

「危険区域」

「十六」

「増えた」

「交渉したから」

 タマキは細索を小さな木片へ巻いた。

 発射器は使わない。

 外周の風を測り、布袋へ重りを一つ入れ、下から投げる。

 一度目は六階へ届かない。

「軽い」

 轟が後ろから言った。

「木片、もう一個」

「橋の失敗作?」

「返ってきた」

「武器って預けられたやつ」

「今、修理道具」

 二つ目の木片を足す。

 タマキが投げる。

 布袋は七階の外周へ落ちた。

 子どもの物干し竿が伸び、袋を引き寄せる。

 今度は、何も壊れなかった。

 大きな救出袋は地面へ残り、十二メートルの細索だけが塔へ届いた。

 必要な物が小さい時、大きな善意はだいたい邪魔になる。

「返した?」

 七瀬。

「十二の時、ノノの赤糸を勝手に使った」

「九年越し?」

「忘れてた」

「相手は」

「覚えてた」

「利息は」

 背後からタマキが訊いた。

「糸に利息ある?」

「九年なら」

「ない」

「借りた時に決めた?」

「子どもだった」

「子どもでも借金は借金」

「おまえ、味方どっち」

「返す側」

 午前九時三十五分

 迅は、ノノ一人を塔から出す案を出した。

 言い方は、もっと短かった。

「七階だけ、取れる」

 由良は地図を畳んだ。

「物みたいに言うな」

「本人が出たいなら」

「訊いてない」

「訊くために近づく」

「どうやって」

「南の雨樋。六階で補強帯へ移る。七階の外周へ」

「最後の一メートル」

「七歩、取れる」

 迅は塔の外壁に沿って、雪の上へ足位置を示す。

 一歩。

 二歩。

 まだ能力は発動しない。

 距離だけを測る。

 七歩目から踏み切れば、外周足場の下へ届く。そこから窓まで二・四メートル。

「久我に見られる」

 凱。

「見せる」

「退路を閉じられる」

「帰らなきゃいい」

「何分、窓へいられる」

「三十秒」

「ノノが出ないと言ったら」

「戻る」

「退路を閉じられたら」

「落ちる」

 タマキが迅の靴を見る。

「それ、計画?」

「穴」

「計画の穴?」

「落ちる穴」

「面白くない」

「笑わせてない」

 由良は迅の足位置を、靴先で消した。

「やらない」

「理由」

「ノノ一人へ接触したら、久我は七階を締める。ノノが内通者にされる。久我がしなくても、支持者がする」

「出たいなら、残す方が危険だ」

「出たいって言った?」

「訊けない」

「だから勝手に助ける?」

「勝手に死なせるよりいい」

「その二つしかない?」

 迅の右親指が赤い七結びを押す。

 由良は、その癖を境界の検問所で覚えた。

 迷っている時の手だ。

「近道はある」

 由良は南壁を指す。

「帰っていい場所かは別」

「前にも聞いた」

「忘れた顔してる」

「顔の話は七瀬へ」

「記録しました」

「撮ってないだろ」

「顔は撮っていません。発言だけ」

 凱が塔を見上げた。

「天環側の保護区へ、希望者を移す。警備、住居、医療は俺が手配する」

 由良は凱へ向き直る。

「誰が選んだ」

「希望者が選ぶ」

「保護する人を」

「天環の現行窓口から選ぶ」

「選択肢を作ったのは」

「現行の行政だ」

「剛嶺の人が、その行政を怖がってても?」

「別の窓口を作る」

「誰が」

「俺が交渉する」

「またおまえ」

 凱の眉が動く。

「では誰がいい」

「先に訊く。保護者を誰にするか」

「危険の中で、百人へ一人ずつ?」

「百人を一つへする方が早い」

「早さが必要な場面はある」

「ある。でも、早く決めた人が後で降りない」

 凱の左膝へ、塔の影が掛かっていた。

 由良はそこを見ない。

 傷を論点へ使えば、議論に勝てる時がある。

 勝てることと、使ってよいことは違う。

「おまえの王は、役に立った」

 由良が言う。

「急な配給。避難。門の整理。役に立ったから、降ろすのが遅れた」

「久我も同じだと言いたいのか」

「似てる」

「違いは」

「久我は四角い」

 タマキ。

 凱が彼を見る。

「髪と道具」

「そこではない」

 由良が言った。

「違いを、本人たちへ訊く。私たちが決めない」

 凱は胸の割れた鐘へ触れようとして、外套の上で手を止めた。

「期限を置く」

「誰が」

「水量が置く」

 凱は水務隊の計測表を示す。

「塔の備蓄は、現在の使用量で七日。外部配管の圧力が下がれば四日。医療用の煮沸水を優先すれば、生活水が先に尽きる」

「数字は必要」

「決めるために」

「急がせるためだけに使うな」

「では、期限を住民へ渡す」

「全部。水が何日。何を減らしたら何日。外へ出たらどこ。残ったら何が足りない」

「出せる」

「おまえが決めた保護案だけじゃなく」

「分かった」

「早い」

「返事を遅くすれば信用するのか」

「迷った跡を隠すなって話」

「今、迷っている。全員へ説明している間に悪化する可能性と、説明せず移して後から選択を奪う可能性を比較している」

「そう言えばいい」

「言った」

「長い」

「あなたが言わせた」

 迅が言う。

「二人とも、名言を作ろうとして失敗してる」

「道の話」

「指揮の話だ」

「窓の話です」

 七瀬が訂正した。

 由良は、凱へ紙を三枚渡した。

「何だ」

「保護案の試験」

 一枚目。

《七階、二十一歳。右手二指欠損。縫製仕事。塔に机と改造道具。剛嶺出生。》

「ノノか」

「名前を当てる試験じゃない。どこへ移す」

「本人が希望する場所」

「質問を避けるな。いま使える選択肢」

 凱は天環の宿舎表を見る。

「旧学校宿舎。階段は緩い。作業机は――」

「置けない。六人部屋」

「個室は」

「医療優先」

「剛嶺側は」

「資材庫。梯子二つ」

「どちらも不適切だ」

「だから《安全な避難先があります》って先に言うな」

 二枚目。

《九階、七十二歳。透析。天環の保険登録なし。剛嶺の移動医療札は期限切れ。》

「医療施設へ」

「どちらの」

「天環中央病院」

「受入れ確認は」

「これから」

「確認まで出せない?」

「緊急なら仮受入れ」

「家族は」

「別の宿舎になる可能性」

「本人が断ったら」

「危険を説明する」

「何度」

 凱は紙から目を上げた。

「同じ説明を繰り返せば、断る力を削る」

「分かってきた」

「嬉しくない」

 三枚目。

《三階、母親二人、乳児二人。片方は外へ出たい。片方は外の登録で子どもと分離されることを恐れている。》

 凱は長く黙った。

「現行の手続きでは、出生登録が不十分な乳児は本人確認に時間がかかる」

「母親から離す?」

「離さないよう交渉する」

「また、おまえが」

「他に即時に動ける者がいない」

「それが王の始まり」

 凱の手が紙を強く持つ。

「では、動かない方がよいのか」

「動いて。代わりに決めたことを隠さないで。期限も、失敗した時の降り方も先に書いて」

「簡単に言う」

「難しいから、王は便利だった」

 凱は三枚の紙を、保護区の案内表へ重ねた。

「選択肢を増やすには、場所だけでなく仕事、医療、家族、戻る費用まで必要だ」

「うん」

「それを百人分、今から作る」

「全部をおまえが作るな」

「では担当を分ける」

「それも、おまえ一人で分けるな」

 凱は額へ手を当てた。

「あなたは、私が息をする順番まで疑うのか」

「王だった人の深呼吸は、号令に見える時がある」

 タマキが、三枚目の紙を覗く。

「出生登録がないと、母親じゃないことになる?」

「ならない」

 真琴が横から答えた。

「書類上の確認が遅れるだけだ」

「遅れてる間、誰の子」

「本人たちの関係は変わらない」

「じゃあ、書類の方を待たせれば」

「通常は、人が待つ」

「変」

「同意する」

 真琴は三枚目へ、赤い字で書いた。

《親子分離を行わない受入れ先のみ提示。確認未了を理由に搬送後の移動を強制しない。》

「決めた?」

 由良。

「提案を書いた。決めるのは受入れ側と本人。ただし、こちらが提示する最低条件にする」

「最低条件を満たす所がなかったら」

《避難先なし》と正直に書く」

 凱は、その言葉を見た。

 助ける側が「ない」と書くのは、敗北に見える。

 だが、無い場所を有ると言うより、次の仕事が見える。

「まず三人分」

 凱が言った。

「百人を一つにせず」

「三人も一つにしない」

 由良は頷いた。

 窓はまだ閉じている。

 外側で作った選択肢は、選ばれるまで救助ではない。

 午後一時二十二分