第203話 第四章「攻城側の食事」前編

二月二十一日 午前十一時三分

 包囲する側から先に、水が切れかけた。

 獅堂凱は、それを笑わなかった。

 笑える失敗は、失敗した本人が安全な場所にいる時だけだ。

 環水三号塔の外側には、天環水務隊三十八名、境界警備二十四名、救護・設備・記録・炊事を合わせて二十七名が詰めていた。空白の旗〈ブランク〉の関係者を足せば、百人近い。

 百人が一日、口を洗い、飯を炊き、器具を清め、負傷者の泥を落とす。

 守りに来た人数は、守られる側とほとんど同じだけ水を飲んだ。

「第三給水車、残り百八十リットル」

 補給係が報告する。

「次便は」

「雪崩で北道が閉鎖。早くて午後六時」

「南道は」

「境界審査で保留」

「理由」

「剛嶺向け補給との混載を疑われています」

「疑いを解く担当は」

「輸送局です」

「連絡は」

「返答待ち」

「何分」

「二時間十二分」

 凱は仮設机の上へ、残量表と人数表を並べた。

 薄い塩粥なら、百八十リットルで昼を越せる。

 器を洗えば、夕方まで持たない。

 医療を優先すれば、炊事を止める。

 選択肢を数えると、人間は決めた気になる。

 どの選択肢を最初から外したかまで数えなければ、ただの整理だった。

「塔の外部消火栓から取る」

 水務隊長が言った。

 既に二本の太いホースが、三号塔の基部へ延びている。

「誰の許可で」

 凱。

「市の施設だ」

「現在、塔内百六名が使っている」

「外部消火栓は緊急用だ」

「今の緊急は、攻城側の昼食か」

「救護と警備を維持する」

「警備を百人置いたのは誰だ」

「危険がある」

「危険を減らすために、水を使う人数を増やした」

「撤収しろと言うのか」

「交代を減らす。待機者を外す。炊事は乾燥食。医療用だけ残す」

「士気が落ちる」

「住民の水を飲んで上げる士気なら、落とせ」

 凱は怒鳴らない。

 主語を置く。

「俺が、外側の補給を止める」

「あなたに指揮権はない」

「だから提案した。拒否するなら、消火栓を開ける責任者名と使用量を記録する」

「また記録か」

「水は戻せない。記録くらい戻せ」

「名言のつもり?」

 迅が乾いたパンを噛みながら訊いた。

「水量の話だ」

「似てきた」

「誰に」

「全員」

 凱は迅のパンを見る。

「それは昼食か」

「朝の残り」

「昼は」

「後」

「何時」

「腹が減ったら」

「既に減っている」

「見える?」

「食べ方が遅い」

「右手、痺れてるだけ」

「左で持て」

「命令?」

「観察だ」

「似てきた」

 凱は補給係へ向く。

「外側の人数を六十まで減らす案を作る。水務、警備、救護、設備から必要人数を出せ。俺の名で命じない。各責任者が自分の残留者へ署名する」

「時間が掛かります」

「何分」

「三十分」

「二十分で草案。十分で異議」

「決めるのは早い」

 由良が仮設机の端へ腰を掛けず、歩きながら言った。

 止まった食堂では食欲が落ちる女は、立ったまま塩漬け肉を少しずつ噛んでいる。

「早く決めた。痕を見せた」

 凱。

「何と迷った」

「塔の水を二百リットル借り、補給後に返す案」

「なぜ捨てた」

「水は同じ量を返しても、同じ時間へ返せない」

「それならいい」

「あなたの許可は求めていない」

「褒めた」

「少しなら要らない」

「七瀬が移った?」

「嫌な所だけ」

 ホースの先で、作業員が外部消火栓の蓋を外した。

 凱は歩く。

 左膝の装具は、四日前の炎症が引いている。走らなければ痛みは少ない。長く立てば熱を持つ。

 以前なら、膝が痛むことを誰にも言わず、最前列へ立った。

 今は、歩数と立位時間を自分の記録へ入れている。

 自分の身体を公的資源にした男は、私物へ戻すにも手続きが要った。

「開栓を止めろ」

 水務隊長。

 作業員の手が止まる。

 凱の言葉ではない。

 隊長が、自分で命じた。

「補給車の残りを救護へ。警備と水務は携行水。炊事停止」

 不満の声が上がる。

「昼飯は」

「乾燥食」

「温めないのか」

「塔内の水を守る」

「俺たちが倒れたら、誰が救う」

「交代する」

「撤収と同じだ」

「違う。必要な人数を残す」

 凱は口を挟まない。

 命令が自分の案と同じ方向へ出た時ほど、奪いやすい。

 だから黙る。

 水務隊長は自分の部下から出る不満を、自分で受ける。

「誰が残るか、俺が決める」

「隊長だけで?」

 タマキが訊く。

「指揮官だ」

「残される人が、体調悪かったら」

「申告させる」

「申告したら評価、下がる?」

「下げない」

「書く?」

 隊長は一秒、凱を見る。

 凱は助けない。

「書く」

 タマキは頷く。

「なら、配る」

 配達箱から、小さな体調札を出した。

《残留可》

《交代希望》

《医療確認》

《回答保留》

「いつ作った」

 真琴。

「さっき」

「書式確認は」

「今」

「私へ先に」

「急ぐんだろ」

「急ぐほど確認を」

「一枚ずつ聞く」

 タマキは最初の隊員へ、四枚を見せた。

「どれ」

「残留」

「名前」

「志摩圭介」

「誰から、誰へ、何のため」

「俺から隊長へ。残る意思。警備のため」

「疲労は」

「少し」

「少しって何時間立てる」

「四時間」

「札に書く」

 指揮官の三十分案は、隊員一人ずつの申告で四十六分掛かった。

 早くはない。

 四十六分の結果、残留希望は六十七人だった。

 必要人数は六十。

 七人多い。

「志願者が多いなら、士気は保てる」

 水務隊長が言った。

「人数は減らない」

 凱。

「七人くらい」

「七人が一日二リットル。十四。三日で四十二。今の残りの四分の一近い」

「汗をかかない冬季だ」

「防寒装備で動く。乾燥する。警備は喉が渇いても持ち場を離れない」

「誰を帰す」

「俺が決めない」

「またか」

「役割表を出せ」

 六十七人の仕事を机へ並べた。

 正面警備、十二。

 南側、八。

 北側、八。

 設備監視、九。

 救護、十。

 炊事、六。

 記録、五。

 伝令、四。

 予備、五。

「炊事停止なら六人不要」

 副官。

「乾燥食の配布、湯なし衛生、食物アレルギー確認がある」

 炊事責任者が反論する。

「二人でできる」

「百人分を二人で?」

「六十人へ減らす」

「減った後も、交代者の分がある」

 仕事を切る議論は、仕事を知らない者ほど早い。

 凱は炊事責任者へ聞く。

「最低人数」

「四」

「なぜ」

「配布二、食物制限一、器具とごみ一。救護の食事は別時間」

「三では」

「休憩が消える」

「四」

 記録係が言う。

「撮影二、文書二、伝令一。五人必要」

 七瀬が首を振った。

「撮影を一人へ減らす。固定機を使う。私の左肩が悪化した場合は停止」

「記録が抜ける」

「抜けたことを残す」

「あなたが退くのか」

「退く可能性を、最初から入れる」

 凱は七瀬を見た。

 以前の自分なら、痛みを抱えた人間へ「任せた」と言い、責任の名で立たせ続けた。

「撮影一。文書二。伝令一。四」

 正面警備の一人が手を上げる。

「俺は交代希望へ変える」

「理由は」

 隊長。

「さっき四時間立てると言った。でも昨夜から膝が痺れてる」

「なぜ最初に言わない」

「残ると言った方が、勇気があるみたいだった」

 隊長は叱らなかった。

「医療確認へ変更」

 タマキが札を書き換える。

「最初の札は」

「残す。変更時刻も」

「恥ずかしい」

「恥ずかしい札を消したら、次の人も言えない」

 最終的に、残留五十九。

 予備一名だけを、午後から追加できる待機にする。

 撤収する八人には、帰る理由を一つにまとめなかった。

 疲労。

 膝痛。

 子どもの迎え。

 役割の重複。

 水を運ぶ別任務。

「撤退ではない」

 水務隊長が言った。

「配置変更」

「言い換え?」

 タマキ。

「意味が違う」

「帰る人に聞いた?」

 隊長は八人を見る。

 一人が言った。

「俺は撤退でいい。疲れた」

 別の一人。

「私は配置変更。給水車を迎えに行く」

 隊長は頷いた。

「記録は、本人の語で」

 凱は口を挟まなかった。

 自分の提案が採用されたことより、採用後に自分なしで訂正されたことの方が重要だった。

 その四十六分の間に、塔内の朝配給が終わった。

 午後零時二十五分

 塔の四階外周へ、食事を受け取った住民が出た。

 蓋付きの四角い容器。

 湯気。

 麦と豆の匂い。

 久我の警備班は、階ごとの人数を確認し、容器を渡す。

 受取人は札へ印を押す。

 七瀬の望遠機が、その手順を撮る。

「盛り付けが同じ」

 タマキ。

「量が?」

「容器の高さ。四階も六階も」

「人数は違う」

「中で分けるんじゃない?」

「それでは、個人量は分かりません」

「撮る?」

「住戸内です。許可がない」

「じゃあ、分からない」

「はい」

「今日は怒らない」

「学習しました」

「誰が」

「私が」

 九階の診療札は、食事列と別だった。

 青い木札。

 白い骨札。

 赤い金属札。

 久我の鍵束に混じっていた物と同じ色。

 青札を持つ人は診療室へ。

 白札は煮沸水。

 赤札は外部訪問を断る部屋。

「鍵だけじゃない」

 七瀬。

「許可」

 真琴が言う。

「配給、医療、訪問。権利を札へ変え、同じ束へまとめている」

「札を持たない人は」

 タマキ。

「受けられない可能性があります」

「なくしたら」

「再発行を久我へ申請」

「久我がなくしたら」

「誰へ申請するか不明です」

 塔頂の拡声器が鳴る。

「外へ」

 久我の声。

「水を使わなかったことは確認した。補給車が遅れているのも見える」

 水務隊長が顔を上げる。

「監視していたのか」

「窓がある」

「住民の水を交渉材料にするな」

「使わないなら、材料にならない」

「食事を配って、支持を作っている」

「食べない自由はある」

 タマキがすぐ訊く。

「食べない人の次の食事は?」

 久我が一拍遅れる。

「理由を確認する」

「食べたくない、で足りる?」

「体調を確認する」

「体調じゃないって言ったら」

「配給札へ記録する」

「記録されたくないって言ったら」

「配給量の管理ができない」

「じゃあ、食べない自由は、理由と記録付き」

「子どもは言葉を削るな」

「大人が付けた条件を数えてるだけ」

 塔内のどこかで、短い笑い声がした。

 拡声器を通していない。

 窓から漏れた住民の笑いだった。

 久我は狭い点検口の中ではよく喋る。

 開けた塔頂では息が浅くなる。

 今日は半身を点検口へ残し、四角い枠の内側から外を見ていた。

「食べない者にも次の配給は出す」

 久我が言う。

「理由は必須にしない。医療確認は本人が望む時だけ」

 タマキが七瀬を見る。

「変わった?」

「発言上は」

「記録した?」

「時刻、十二時三十分。配給条件の変更」

「守られる?」

「次の配給で確認します」

 久我が続ける。

「外側へ、食事を十二人分出す」

 水務隊長の顔が険しくなる。

「施しは受けない」

「救護班。昨日、足場で働いた者。水は使わず焼いた硬パンと乾燥肉」

「敵から食料を受け取れない」

「誰が敵だ」

「武装占拠者だ」

「なら住民の食事として返す」

「必要ない」

 救護員の一人が、隊長へ言う。

「私たちは朝から食べていません」

「乾燥食を配る」

「医療箱の水を減らせません」

「水なしで食べろ」

「喉へ詰まらせる患者が出ます」

「隊長」

 凱が口を開いた。

「命令ではない。状況確認だ。塔の食事を受ければ、何が変わる」

「相手の宣伝になる」

「撮影公開を断る」

 七瀬。

「受領者の顔、人数、所属を出さない。食料の出所と条件だけ記録」

「毒の可能性」

「検査する」

 真琴。

「受領が久我の権限承認と解釈されない旨を、双方で書く」

「書いても、住民はそう見る」

「住民へ訊く」

 由良。

「誰が」

「窓札。受け取っていいか」

「食事一つに採決か」

「一つじゃない。誰の食料を誰が配るか」

 塔の四階から、白い布が中央へ出た。

 洗濯ばさみ一つ。

 管理人へ、急がない湯の要望。

 七階からは、青い布が右へ。

 洗濯ばさみ一つ。

 外へ、急がない設備情報。

 食事受領への答えではない。

「訊き方がない」

 タマキ。

「新しい札を作る?」

 真琴。

「外側が意味を決めたら、窓札を奪う」

 由良。

「では、紙を上げる」

 タマキが大きな板へ書いた。

《塔から外へ出す十二人分の食事について》

《受取先:外側救護班》

《目的:足場事故後の食事》

《条件:撮影宣伝なし/権限承認としない/検食》

《異議がある階は、窓へ鍋蓋を置く》

《判断しない階は何もしない》

「鍋蓋の意味、誰が決めた」

 七瀬。

「昨日、配給を受ける人が持ってた」

「異議の意味はない」

「じゃあ、空の容器?」

「それも生活に使う」

「新しい物」

「外から配れない」

 磯良ノノの七階窓が開いた。

 三本指の手が、丸い皿を出す。

 次に、四角い弁当箱。

 丸い皿を左。

 四角い箱を右。

 由良が目を細める。

「二択を作った」

「意味は」

「分からない」

 タマキが叫ぶ。

「丸が反対? 四角が賛成?」

 ノノの手が、四角い箱を上下に一度。

 丸い皿を左右に一度。

「たぶん」

 七瀬。

「あなたが《たぶん》と言った」

 タマキ。

「記録してください」

「高いよ」

 他の窓へ、丸い皿と四角い容器が出始めた。

 塔には久我と同じく、四角い弁当箱を好む人が多い。

 円い皿は家庭によくある。

 賛否が、容器の好みへ偏る可能性がある。

「丸い皿、ない家は」

 タマキ。

「借りる?」

「選択のために食器を借りるの?」

 由良。

「久我が四角を配った可能性もあります」

 七瀬。

「面倒」

「生活なので」

 結局、食事は受け取らなかった。

 反対が多かったからではない。

 賛成が少なかったからでもない。

 確認方法が、容器の所有へ左右されると分かったからだった。

 久我は十二人分を塔内へ戻した。

「無駄になった」

 水務隊長。

「食べる人、塔にいる」

 タマキ。

「作った人の労働は」

「塔の食事になった」

「外の救護員は」

「乾燥食」

「失敗だ」

「誰の」

 凱が訊く。

 隊長は答えなかった。

 凱は、自分で答えを埋めない。

 乾燥食は、一人につき二枚だった。

 硬い穀物板。

 塩漬け豆。

 水は、救護担当へ優先した残りから百五十ミリリットル。

「足りない」

 警備員が言った。

「勤務時間を短くする」

 水務隊長。

「人数を減らした分、交代がいない」

「予備を午後から一人戻す」

「一人で何が変わる」

「一人分」

 凱は乾燥食を受け取った。

 王だった頃、配給列へ並ばなかった。

 指揮所へ別の食事が届いた。

 自分が食べなければ部下も食べないと思い、立ったまま冷めた汁を飲んだ。

 それを倹約だと思っていた。

 実際には、指揮官が食べないため、周囲の者は休憩を申告できなかった。

「座る」

 凱が言った。

「誰に」

 タマキ。

「自分に」

「許可した?」