第204話 第四章「攻城側の食事」後編
「今した」
凱は折り畳み椅子へ座った。
左膝を伸ばす。
装具の縁を緩める。
水務隊長は立ったまま食べている。
「座れ」
凱が言う。
「命令か」
「椅子が空いているという情報だ」
「座れば現場が見えない」
「立っていても塔の中は見えない」
「指揮官は、見える位置にいるべきだ」
「部下からも?」
隊長が凱を見る。
「座った指揮官は、弱く見えるか」
「疲れて見える」
「疲れている」
隊長は、隣の椅子へ座った。
膝が音を立てた。
「あなたも」
「四十六だ」
「年齢を聞いていない。痛いか」
「少し」
「少しって何時間立てる」
タマキが、さっきと同じ問いを返す。
隊長は苦い顔をした。
「二時間」
「札、書く?」
「後で」
「今」
隊長は《医療確認》へ丸をつけた。
乾燥食を噛む音が並ぶ。
塔内では、久我の配給列が同じ時刻に進んでいる。
外側の食事は、量が少なく、選択肢も少ない。
内側の食事は、温かく、順番が決まり、次回配給まで保証される。
自由な外側より、管理された内側の方が腹を満たしている。
「善い管理って、何」
タマキが聞いた。
「必要な物が、必要な人へ届くこと」
凱。
「久我、できてる」
「できている」
「じゃあ悪くない」
「悪くないことと、断れないことは別だ」
「断ったら届かない?」
「それを今、確認している」
「凱の王も、食べ物届いた?」
「届いた」
「断れた?」
「俺の配給を断る者はいた」
「次も届いた?」
凱は乾燥食を折った。
「敵対した旗団には、後回しにしたことがある」
「理由」
「襲撃の危険。運搬路。護衛不足」
「全部、本当?」
「本当だった」
「じゃあ」
「本当の理由で、都合のよい順番を作った」
水務隊長が横目で見る。
「自分を久我と同じにするのか」
「同じとは言っていない。似た道具を使った」
「王と占拠者では立場が違う」
「立場が違えば、腹の減り方も変わるか」
「統治には優先順位がいる」
「いる。その優先順位を決める人間が、次も自分である保証を作ると檻になる」
タマキは穀物板を半分残した。
「俺、後で食べる」
「今食べろ」
凱。
「命令?」
「空腹で倒れる癖がある」
「小麦から聞いた?」
「食事札を見た」
「見るな」
「胸から出ていた」
「後の俺へ残す」
「後の本人へ確認したか」
タマキは自分の問いを返され、穀物板を口へ入れた。
硬すぎて、すぐには喋れない。
七瀬が撮影機を向けなかった。
「食事中は撮らない?」
凱。
「口へ物がある時、人は反論できません」
「昨日から決めていた?」
「今、決めた。記録へ追加します」
「規則が増える」
「食事も増やしてください」
塔へ返された十二人分の硬パンは、五階と十一階へ配られた。
外側では誰も食べなかった。
だから無駄だったのではない。
受け取る方法を作れなかったという失敗だけが、外側へ残った。
食事が終わると、凱は指揮札を外した。
白い板。
《外周待機・交代調整》
担当開始、午前十時三十分。
終了予定、午後一時。
「まだ十二時四十七分」
水務隊長。
「引継ぎに十三分使う」
「交代要員は現場を見ていない」
「だから今、渡す」
「十三分で何が分かる」
「全部は分からない。分からない物も渡す」
凱は次の担当者へ、三枚の札を並べた。
一枚目。
《決まったこと》
外部消火栓から塔の水を取らない。
食事班と警備班を分ける。
体調札を本人確認なしで書き換えない。
二枚目。
《決まっていないこと》
塔から返された食事を外側が受け取る方法。
久我の配給条件の全容。
八階の白布の意味。
三枚目。
《凱の推測》
久我は、配給拒否者の理由収集を止めた。
ただし警備班が別に記録している可能性。
「推測を渡すのか」
隊長。
「推測だと書いて」
「先入観になる」
「隠すと、次の担当が同じ推測を事実だと思って作る」
交代要員は札を読む。
「この《決まっていないこと》は、誰が決める」
「あなたではない」
「では、何をする」
「決まっていないまま困る人を見つける」
「曖昧だ」
「具体的には、午後の食事前に受取方法を一つ提案。窓札の意味は断定せず記録。配給条件は、塔側が答える範囲だけ聞く」
「久我が答えなければ」
「答えなかった時刻を残す」
「それだけ?」
「答えを作らない」
凱は指揮札を渡した。
交代要員の手が、すぐには閉じない。
「失敗したら」
「札へ書く」
「責任は」
「あなたの担当時間はあなた。私が渡し忘れたことは私」
「境目で起きたら」
「二人」
「責任が二倍になる」
「半分ずつにしない」
凱は椅子から立った。
左膝を急に曲げず、机へ一度手をつく。
「一人が全部を持つ方が、責任はきれいに見える」
「実際は?」
「その一人が倒れた時、誰も中身を知らない」
久我の鍵束を、凱は塔の上に見た。
指揮札一枚でも、手放す時には指が遅れる。
鍵を何十本も持つ人間へ、返せと言うだけでは足りない。
返した後にも仕事が続く形を、外側が先に作る必要があった。
交代要員が札を胸へ下げる。
「午後一時、開始」
「十二時四十九分」
七瀬が訂正する。
「早い」
「引継ぎ中です」
凱は指揮札から手を離した。
効く声を小さくするだけでなく、仕事を終える時刻を他人に見せる。
それが、王をやめた後に覚えた交代だった。
午後四時四十八分
タマキが、塔基部の配管へ耳を当てた。
「水、減った」
「使えば減る」
水務技師。
「流れる音が細い」
「外部消火栓は閉じた」
「上の水?」
轟が右肩へ冷却帯を巻いたまま来る。
「どこ」
「東管。朝より高い音」
轟も右耳を配管へ当てる。
十秒。
「上階、圧落ちてる」
「使用量が増えた」
「違う。下で絞ってる」
水務技師が計器を見る。
「ポンプ吐出は正常」
「計器、ポンプ側。塔側じゃない」
「逆止弁か」
「開き、半分」
「外から分かるか」
「音」
「また音」
「おまえの計器、全部見えてると思うな」
轟は地面へ塔の断面を描いた。
中央水槽。
外周住戸。
地下ポンプ。
環状基礎。
「この塔、上の水が重り」
「貯水槽はどの塔もそうだ」
「違う。三号塔、地盤軟い。黒雨後に基礎へ水圧調整室を足した。上の荷重と、下の地下水圧を合わせてる」
「図面にない」
「後改造」
「誰が」
「住民」
「違法だ」
「持ってる」
「持っているから安全とは限らない」
「だから測る」
轟がチョークで、水位を一気に下げた線を描く。
「上が軽くなる。基礎、浮く。片側だけ浮けば、外周壁にひび」
「排水すれば攻城しやすいと思っていた」
水務隊長。
「やるな」
「まだ命じていない」
「考えた」
「作戦案の一つだ」
「黒板、読め」
「禁止に法的拘束はない」
「建物にはある」
凱は地面の断面図を見る。
「久我が圧を絞った理由は」
「外側へ見せるためかもしれない」
七瀬。
「水が足りないように?」
「突入を急がせる、または外側に給水停止の責任を負わせる」
「断定しないでください」
真琴。
「可能性です」
塔の上で、四角い金属が鳴る。
久我が拡声器へ出た。
「外側へ。水位を下げるな」
「こちらは触っていない」
水務隊長。
「塔内の東弁が絞られている」
轟が言う。
沈黙。
「誰がやった」
「確認する」
久我。
「今すぐ全開にするな」
「なぜ」
「戻し方が速いと、管が割れる。五分で一目盛り」
「命令するな」
「塔、守る話」
「私の塔だ」
由良が即座に言う。
「違う」
久我の声が硬くなる。
「住民の塔」
「なら、おまえも命令するな」
「管理している」
「委任の期限は」
「今は水だ」
「都合の悪い時だけ、話を狭くする」
凱は拡声器の前へ立った。
「久我檻」
「王をやめた男」
「凱だ」
「名前は知っている」
「東弁を、誰が絞ったか調べろ。あなたの命令なら、そう言え。部下の独断なら、部下の名を奪うな。住民なら、理由を聞け」
「指揮の講義か」
「事故報告だ」
「おまえの王政と一緒にするな」
「役に立つ管理は、檻にならないと思っていた」
「私は思っていない」
「では、なぜ鍵を返さない」
「返した瞬間、外が入る」
「一つずつ返せ」
「外は一つずつ来ない」
「住民は一人ずついる」
久我の呼吸が、拡声器へ僅かに入った。
開けた塔頂の風。
彼女は四角い点検口から身体を出しきらない。
「善い管理が檻になる」
由良が言う。
「悪い管理なら、誰でも壊せる。役に立つから、出られなくなる」
「外で食事も配れない連中に言われたくない」
久我。
「失敗した」
凱。
「だから、次の配り方を変える」
「塔で失敗すれば、人が死ぬ」
「俺もそう言った」
「実際に死んだ」
「だから、今も責任が終わっていない」
「私は終わらせる」
「何を」
「外から入る危険を」
「中から出る自由も終わる」
「自由で水は配れない」
「鍵一本で全部配るな」
凱の声に、昔の命令の硬さが戻りかける。
迅が横から拡声器を下げた。
「話、遠い」
「まだ終わっていない」
「水が先」
迅は久我へ言う。
「東弁。五分で一目盛り。戻す人間の名前を出せ。外側は触らない。七瀬が時刻を取る」
「おまえが決めるのか」
「案。嫌なら別を言え」
「五分では遅い。上階が切れる」
轟が答える。
「最初の二目盛りは三分。その後五分」
「理由」
「今の圧差。最初だけ戻せる」
久我が短く言う。
「採用する」
凱は拡声器から一歩下がった。
自分の話を途中で止められたことへ、まだ腹が立つ。
腹が立つ自分を、正義へ変えない。
「凱」
由良。
「何だ」
「いま、命令したかった」
「した」
「迅が止めた」
「止められた」
「怒ってる」
「怒っている」
「記録する?」
「感情は、命令記録に不要だ」
七瀬が言う。
「命令へ影響したなら必要です」
「影響した。久我の一括管理を、自分の王政と重ねた。水圧より先に議論を続けた」
「記録します」
「公開範囲は」
「本件審理。一般公開は、あなたへ確認」
「確認を取るのか」
「感情の詳細は本人情報です。命令への影響は公的情報」
「分けるのか」
「鍵のように」
塔内で、弁が動く。
三分。
配管の音が低くなる。
もう三分。
上階の窓から、白い布が一枚ずつ消えていく。
湯が戻った。
外側の炊事場では、火を使わない昼食が配られた。
硬いパン。
乾燥豆。
少量の塩。
凱は立ったまま食べようとした。
タマキが椅子を蹴って寄せる。
「座る」
「命令か」
「体調札。左膝、立位時間超過」
「誰が書いた」
「凱」
自分の記録だった。
凱は座る。
椅子は出口へ正対していない。
少し直す。
由良が見て笑う。
「王をやめても、椅子は従わせる」
「曲がっていた」
「地面の話?」
「食事の話だ」
硬いパンを噛む。
塔内では、久我の配給が続いている。
外側では、指揮を分けた食事が始まる。
どちらの食事も、人を生かす。
生かした数だけ、管理する者が正しいとは限らない。
しかし、生かした事実を消してから権限だけ奪えば、次に食事を配る者はいなくなる。
凱はパンの半分を食べ、残りを包んだ。
「後で?」
迅。
「交代する隊員へ」
「自分の分」
「足りている」
「また削る」
「昼食は取った」
「半分」
「必要量は個人差がある」
「体格、見ろ」
「おまえに言われたくない」
迅のパンも半分しか減っていない。
タマキが二人の包みを取り上げる。
「誰から、誰へ、何のため」
「俺から交代隊員へ。食事」
凱。
「俺から後の俺へ。食事」
迅。
「二人とも不受理」
「なぜ」
「受取人に確認してない」
「後の俺は俺だ」
「今の迅が勝手に決めてる」
「面倒」
「生活なので」
七瀬が言った。
塔の窓に、白、青、赤の布が揺れる。
外の食卓には、色のない硬いパンが並ぶ。
包囲は続いている。
少なくとも、住民の水を飲んで続ける包囲ではなくなった。