第216話 第十章「扉を外す」後編
武装班が二本の白線へ近づく。
轟の《一人門》が明るくなる。
現在の敵は久我。
外の武装者は線の手前で、体が重くなる。
能力は彼らを止めきらない。
一人門は壁ではない。
複数の敵意を同時に受けないための境界だ。
先頭一人が線へ踏み込めば、久我との条件が切り替わる。
その瞬間、久我は扉を押し倒せる。
「凱!」
轟が叫ぶ。
「何を守る!」
凱は武装班の前へ立つ。
「作戦ではない」
「何だ!」
「順番だ!」
凱は左膝を深く曲げない。
盾を持たない。
武装班長へ、空の両手を見せる。
「第一波が出るまで、誰も入れない。私も入らない」
「命令権は」
「ない」
「では退け」
「退けば、私は私の言葉を破る」
「個人の言葉で公務を止めるな」
「公務の名で、住民の言葉を消すな」
武装班長が凱の肩を押す。
凱は踏みとどまる。
左膝が震える。
迅はいない。
轟は作業中。
凱が自分で立つ。
王だった頃のように、後ろへ命令しない。
「私をどかすなら、あなたがどかしたと記録される」
七瀬の撮影機が、凱の背中と武装班の足元を捉える。
顔ではない。
誰がどの線を越えたか。
班長は足を止めた。
記録が力で止めたのではない。
止める責任を、見えなくできなくした。
「C軸、抜ける!」
轟が叫ぶ。
三打目。
軸が外れた。
扉は、蝶番から自由になる。
二百六十キロが、外へ傾いた。
「一号、保持! 二号、〇・五上げ! 凱、右下! 水務二人、左! 腰で受けろ! 腕を上げるな!」
四人が扉へつく。
凱が武装班の前から戻る。
左膝を庇い、右側へ入る。
轟は中央。
扉が五度。
十度。
内側の隙間が広がる。
久我が見える。
黒い短衣。
金属枠。
鍵束。
彼女は扉を押し戻そうとする。
轟は扉越しに言う。
「押すなら、一人で来い」
「おまえも一人か」
「扉は四人で持つ」
「卑怯」
「重さは公平じゃない」
久我が扉の横から滑り出る。
二本の白線の間へ入る。
《一人門》が、彼女を轟の一人の敵として受ける。
扉は凱と作業員二人が仮受け車輪へ載せる。
轟は手を離した。
久我の金属枠が、顔へ来る。
頭を下げる。
枠が扉へ当たりそうになる。
轟は左前腕で軌道を上げる。
肩より下で受ける。
久我の右膝が腹へ入る。
轟は退かない。
退路は西側で閉じている。
腹筋で受け、息を吐く。
右掌を久我の肩へ置く。
押さない。
彼女の回転だけを止める。
「どけ」
「住民が開けるまで」
「扉は外れた」
「鍵は閉まってる」
扉が外れても、内側には四本の格子柵が残っていた。
正面錠。
防火鎖。
衛生区画の横棒。
住民委員会の古い落とし金。
久我の鍵束が鳴る。
轟はそれを見た。
初めて、全部が近くで見える。
鉄の鍵だけではない。
赤い診療許可札。
黄色い配給札。
青いポンプ室札。
白い入浴札。
黒い夜間通行札。
緑の外周作業札。
生活の入口が、一本の輪へ通されていた。
「重いな」
轟が言う。
「必要だ」
「鍵じゃない物まである」
「許可も入口だ」
「誰の」
「全員の」
「だから、一人で持つな」
久我が枠を横へ振る。
轟は受ける。
枠を掴み、捻る。
久我も放さない。
二人の間で、金属が軋む。
壁へ当てられない。
外した扉へ当てられない。
住民が待つ格子へ当てられない。
力の逃げ場がない。
轟の右肩が限界に近づく。
久我の左足首も震えている。
「伏見」
「何だ」
「おまえが倒れれば、外が入る」
「おまえが倒れても、外は入れない」
「誰が止める」
「中」
「中は、私を止められなかった」
「止めるんじゃない」
「何だ」
「開ける」
格子の向こうで、小さな音がした。
コツ。
黄色い靴。
赤い外套の子どもが、内側の床へ立っている。
片手に、四角い金属片。
久我の鍵束から、格闘中に一枚だけ外れた札だった。
子どもはそれを拾い、久我へ差し出さない。
「チカ」
久我が呼ぶ。
子どもの名だった。
「それを戻せ」
「何の鍵?」
「正面錠」
「誰の?」
「塔の」
「塔って誰?」
久我は答えない。
チカは格子の向こうで振り返る。
水巻ハツ。
磯良ノノ。
阿久津サナ。
沼代ケン。
階別集会から選ばれた四人が立っている。
チカは正面錠の鍵を、ハツへ渡した。
「これ、建物」
次に、防火鎖の小さな鍵をノノへ。
「これ、出る道」
衛生横棒の解除札をサナへ。
「これ、病気」
古い落とし金は鍵ではない。
ケンが手で上げる。
「これは飯じゃないぞ」
「でも、五階のおじさん、力ある」
「褒め方が雑だ」
久我が一歩、格子へ向かう。
轟が前へ出る。
殴らない。
道を塞ぐ。
「どけ」
「住民が開ける」
「その向こうに外がいる」
「こっちにも俺がいる」
「一人で守るのか」
「一人ずつ通す」
ハツが正面錠へ鍵を差す。
回す。
一つ目。
ノノが防火鎖を外す。
二つ目。
サナが衛生横棒の札を照合し、解除レバーを引く。
三つ目。
ケンが古い落とし金を持ち上げる。
四つ目。
格子が、内側へ開いた。
外から破られた門ではない。
中の四人が、それぞれ違う理由で開けた門だった。
午前七時四十九分。
凱が時刻を読む。
「第一波、開始」
十二階の家族が階段を下りてくる。
先頭は、椅子へ座った足の悪い女。
前後二人。
手すり側へ一人。
二階の高齢者三人が、出口脇の椅子を確認する。
四階の発熱者は、名を呼ばれず、寝台番号で医療者へ渡される。
外の武装班は、白線の外にいる。
轟の《一人門》は、まだ消えていない。
久我も線の中にいる。
第一波の先頭が、外した扉の敷居へ来た。
椅子の前脚が、六ミリの段差へ当たる。
模擬訓練では、床へ線を引いただけだった。
本物の敷居には、冬の泥と古い塗膜が重なっている。
「止め」
椅子の女が言った。
運び手が一斉に止まる。
前の二人は止まった。
後ろの一人だけ、半歩残った。
椅子が斜めになる。
女の体が右へ滑る。
轟は白線の中にいる。
久我もいる。
手を出せば、二人の格闘条件と退去列が混ざる。
「右を上げるな!」
轟が叫ぶ。
「左前、半歩戻せ! 横の人、本人の肩じゃなく椅子の背!」
久我が格子の脇から言う。
「後ろ右の靴が敷居へ噛んでいる」
運び手が自分の足を見る。
「見るな! 今、動かすな!」
轟。
「本人へ聞け!」
横にいる女が、椅子の人の顔を見る。
「一度、下ろしますか」
「下ろさない。前を少し上げて。右じゃない、両方」
本人の声は震えていた。
それでも、運ばれる物の声ではなかった。
前の二人が同時に一センチ上げる。
後ろが、噛んだ靴を外す。
椅子が水平へ戻る。
「段差板」
轟。
用意していた薄板を、水務隊員が持つ。
「入るな!」
轟は線を指した。
「内側へ渡せ!」
板が手から手へ渡る。
チカが受け取ろうとする。
「重い」
久我。
久我自身が取ろうとし、左足首へ体重を乗せて顔をしかめた。
ノノが先に板を受ける。
「警備は後」
「段差は今だ」
「だから私が置く」
ノノは三本しかない右手の指と左手で板を持ち、敷居へ合わせた。
幅が二センチ余る。
「右へ」
轟。
「本人から見て?」
「塔から見て右!」
「最初に言いな!」
板が収まる。
椅子が通る。
女は外へ出た後、すぐに降ろすよう頼んだ。
雪の上へ自分の足を置く。
「扉を外した人」
「俺」
轟。
「次から、敷居も計画へ入れな」
「入れる」
「今、失敗?」
チカ。
「未遂」
タマキ。
「怖かったのは、未遂じゃないよ」
椅子の女が言った。
真琴は計画表へ書き足した。
《模擬にない実物差――敷居六ミリ、泥と塗膜。第一波で停止。本人指示により再開。第二波以降、段差板を使用。》
格闘で門を開けても、六ミリの段差は残る。
能力は、そこを越える人の怖さを代わりに引き受けなかった。
次の一人が通る前に、失敗の形を板一枚へ変えるだけだった。
「負けた?」
チカが格子越しに聞いた。
久我は子どもを見る。
「扉は外された」
「鍵は私たちが開けた」
「そうだ」
「じゃあ、半分?」
「勝敗を分けるな」
「配給は分けるのに」
久我の口元が、ほんの少し動いた。
轟は枠から手を離した。
「次」
久我。
「何だ」
「外した扉を、誰が戻す」
「俺」
「期限」
「退去完了後、構造確認して今日中」
「遅れたら」
「記録する」
「罰は」
「おまえが決めない」
「誰が」
「住民」
久我は格子の脇へ退いた。
白線の内側。
しかし、出ていく人間の道からは外れた。
第一波が、外した扉の横を通る。
誰も扉を踏まない。
誰も旗を立てない。
塔の入口には、戻せるよう番号を振られた蝶番軸が三本、厚布の上へ並んでいた。