第234話 第七章「由良の拒絶」後編

 期限を書いた。

 保留は、無期限の棚ではない。

 いつまで待ち、待てなかった時に誰が減らすかを書かなければ、静かな廃棄になる。

 午前八時五分。

 東高架下から、三人の名前が来た。

 二人が兄弟だった。

「同一家族は不可」

 由良が言う。

『二人とも別の厨房だ』

「家へ帰れば同じ屋根?」

『今は別棟』

「金の管理は」

『兄がまとめる』

「一人を変えて」

『人手がない』

「三人目を、配る人じゃなく買う人にして」

『金を持ってる人間を入れろって?』

「金持ちじゃない。地元の店から買う役」

『うちに店はない』

「行商は」

『塩轍が来る』

 由良は一瞬、黙った。

 襲撃者の組合。

 同時に、地元へ物を運ぶ車。

「塩轍から一人を入れる?」

 蓑原が険しい顔をする。

「あり得ません」

「地区が選ぶ」

「目録窃盗の当事者です」

「だから、目録を決める三人には入れない。地元在庫の申告者として別席」

「席を与えるのですか」

「もう道にいる」

 東高架下は、兄弟のうち弟を外した。

 三人目には、毎週塩轍から油を買う老婆が入った。

 署名はできない。

 右手の指が曲がらない。

 彼女は、三つの結び目を作った。

 一つ目、受取。

 二つ目、地元購入を先に確認。

 三つ目、残りは保留。

 由良は同じ結び目を赤索の端へ作り、映像と一緒に残した。

 午前八時四十九分。

 旧軌道宿舎。

 候補者の一人が言った。

『援助は全部断る』

「理由」

『剛嶺から来る物はいらない』

「この車列は複数都市」

『鷹取由良が乗ってる』

「私が降りれば受け取る?」

『分からない』

「降りる」

 小麦が、すぐ割り込んだ。

「待って。由良が降りるかを、あなた一人で決める話じゃない」

『代表の一人だ』

「三人の一人。ほか二人は」

『受け取る』

「じゃあ、由良が関わる分だけ拒否できる?」

『どう分ける』

「経路確認を別の人へ。荷札確認は私とタマキ。由良は宿舎の受取署名へ入らない」

 由良は口を挟まなかった。

 自分が降りれば簡単だ。

 簡単な自己犠牲は、決定権を自分へ集める。

「それで」

 拒否した男が言う。

『由良が配布場所へ来ないなら、受取を保留から条件付きへ変える』

「私個人への拒否?」

 由良が聞く。

『斥候長への拒否だ』

「今は斥候長だった人」

『私には同じだ』

「了解」

 胸の奥が、細く痛んだ。

 帰ってくるなと言われることは、道を失うより怖い。

 だからこそ、拒否を説得で消してはいけない。

「経路情報は、別の確認者へ渡す。私は現地へ入らない」

『それでいい』

 回線が切れた。

 小麦が由良を見る。

「平気?」

「何が」

「その返事は、平気じゃない人」

「今、慰める?」

「しない。昼の配布予定、四十食減らす」

「どうして」

「外竈を組む人が一人減るから」

「私が組む予定だった?」

「道と風を見てもらう予定」

「別の場所から図を送る」

「現地確認がない」

「由良が行かない条件を守る」

「食数が減る」

「受取側が選んだ結果」

 小麦は帳面へ書いた。

《旧軌道宿舎 予定七十から四十。理由、鷹取由良の現地関与拒否により外竈一基。本人拒否を説得で変更せず》

「私の名前、大きい」

「怒ってるから」

「誰に」

「誰にも。だから余計に」

 午前九時三十六分。

 十一地区のうち、三人が揃ったのは四。

 二人までが三。

 一人だけが二。

 連絡不能、二。

 車列はまだ同じ退避地にいる。

 粉袋の湿りが増える。

 運転手の睡眠は足りない。

 塩轍は五百メートル先で、自分たちの車を修理している。

 遅さには、代償がある。

 由良は、その代償を「仕方がない」と書かなかった。

 各地区の欄へ、遅延時間と食料状態を足した。

 午前十時二分。

 蓑原が、新しい書式を十二部持ってきた。

 上部に、五団体章はない。

 左上へ小さく、寄贈者一覧を添付するとある。

 中央には三つの欄。

《配る仕事を知る者》

《拒否・保留を言える者》

《在庫・道・保管を知る者》

 役割名は固定ではない。

 地区が書き換えられるよう、薄い鉛筆で印刷されている。

「寄贈団体は」

 由良が訊く。

「二団体が異議。三団体は条件付きで承認」

「二団体の荷は」

「配布停止を要求しています」

「どれ」

「赤い太陽の粉乳代替、推定二・一トン。白い手の油、推定一・四」

「推定」

「二重計上の監査中です」

「停止すると傷む?」

「粉乳代替は湿気。油は持つ」

「別に止める」

「小麦さんが怒ります」

「怒られる」

 小麦へ伝える。

 予想通り怒った。

「粉乳代替を止めたら、子ども食が減る!」

「団体が停止を要求」

「受取側がもう選び始めてる!」

「所有移転前」

「いつ移るの!」

「三人が揃った時」

「揃った四地区分は」

 由良は止まった。

「移せる」

「なら、全部止めない。四地区の予定分だけ先に所有を移す」

「寄贈団体が拒否」

「拒否した団体名と量を出す。ほかの荷で組み替える」

「味が変わる」

「献立を変える」

「水と火が変わる」

「各厨房へ聞く」

「今から?」

「今から」

 二人は、また正しさを好きにならないまま、同じ卓へ座った。

 次は、東高架下。

 署名できる紙がない。

 雨漏りで、共同帳面は濡れていた。

 代わりに、三つの方法を選ぶ。

 一人目は、閉じた店の鍵を白板へ置いた。

《保管場所を知る者》

 二人目は、配布予定の献立を声で読み、最後に言った。

『油は受け取る。粉乳代替は、成分表が届くまで保留』

 三人目は、何も言わない。

 ただ、赤い札を一度上げた。

 由良が訊く。

「赤は拒否?」

『違う。今は答えない』

「保留」

『保留とも違う。質問を作ってる』

「いつまで」

『正午』

「正午まで、あなたの分は動かさない」

『私の分じゃない。私が止められる範囲』

「何食」

『二十四』

「了解」

 受取書には、署名が二つしか入らない。

 三人目の欄へ、赤札を上げた時刻と《質問作成中》と書く。

 不成立。

 失敗ではない。

 期限を持つ未決定。

 白沼沿道は、逆だった。

 三人はすぐ揃った。

 だが、一人が自分の名を出したくない。

 もう一人は、地区名まで隠したい。

 最後の一人は、全員の名前を公開しなければ不正が起きると言う。

『名前がない印は、後で誰でも作れる』

『名前を出したら、奪いに来る人も作れる』

『じゃあ、どう証明する』

 由良は答えを出さない。

 七瀬が言う。

『原本は非公開。三人が別々に、外部監査へ照合用の合図を預ける。公開側には、三人確認済みとだけ出す』

『合図は何』

『本人が決める』

 一人は、歌の最初の三音。

 一人は、貝殻の割れ目。

 一人は、左手で結ぶ二重結び。

 公開文には、どれも書かない。

 飯尾夏が、三つを別々に確認する。

「私が全部知ることになる」

 飯尾。

「一人で持たない」

 七瀬。

「貝殻は私。歌は録音せず、別の確認者。結び目は現物を封じる」

「面倒だね」

 由良。

「一人の秘密を守るのに、一人へ全部預けない」

「それで、間に合う?」

「間に合わないかもしれない」

「食料は傷む」

「だから状態も同じ紙へ書く」

 決定を急がないことは、代償を消さない。

 傷んだ時に、秘密を守ったから仕方ない、とも書かない。

 誰が何を守り、何が失われたかを、別々に残す。

 午前十時十九分。

 白沼沿道の三人確認が成立。

 東高架下は、まだ二人と一枚の赤札。

 同じ書式は、同じ速さを作らなかった。

 由良は、それを欠陥とは呼ばなかった。

 午前十時二十三分。

 環水三号塔の受取書へ、最初の三つの証が入った。

 沼代ケンの右手署名。

 梅野の指印。

 チカの声と、鍵を二度回す音。

 三つは同じ形ではない。

 同じ時刻でもない。

 由良は、その下へ自分の名を書かなかった。

 経路確認者の欄へ、小さく座標と風向だけを記した。

 代表ではない。

 無関係でもない。

 紙の上に、不揃いな三つの印と、一人分の細い赤線が残った。