第236話 第八章「食料の所有者」後編
《待機 一車一時間一五》
《襲撃に伴う損傷 別途》
「最後」
小麦。
『消さない』
塩戸。
「自分で襲って壊した分を請求?」
『全部とは言ってない。第九号車との接触、牽引板、側面修理』
「粉の原因は、鳥飼が急ブレーキ」
『粉の原因は、おまえらが袋を切った』
「切らなければ援助車が落ちた」
『急ブレーキしなければ、うちの車は滑らなかった』
「じゃあ、鳥飼の分はあなたたち」
『橋上へ粉を撒いた危険はそっち』
「捨てるって放送した」
『聞こえた時には入ってた』
「速度を落とすなとも言った」
『至が踏んだ』
「責任は」
『うち』
「なら、何を請求するの」
『援助側第九号車が、後続を避けるために側面接触した分。そちらの車も凹んだ』
「相殺?」
『相殺すると、両方の損傷が消える。別々に書いて、同額なら金だけ動かさない』
小麦は、思わず黙った。
「それ、私の鍋帳みたい」
『嫌か』
「かなり」
『便利だから使う』
「使用料」
『もう聞いた』
「払ってない」
『料金所で飯を買う』
「無料じゃないよ」
『だから買う』
「敵に料理を売るの、被害側が嫌がる」
『なら、別の店で買う』
「逃げないで」
『食事を交渉の試験にするな』
小麦の手が止まった。
正しい。
食べるかどうかで、相手の誠実さを量ろうとした。
自分が一番嫌う使い方だった。
「訂正。食べたいなら売る。食べたくないなら買わなくていい。交渉とは別」
『豆なし』
「嫌い?」
『運転中に腹が張る』
「個人情報」
『聞いたのはおまえだ』
鳥飼の笑い声が、別の車から入った。
『景、豆嫌いなの、みんな知ってる!』
『足首を固定された奴は黙れ』
『座ってるから暇!』
『荷札を写せ』
『字が揺れる!』
『車を止めるか』
『それは嫌!』
小麦は鍋帳へ書いた。
《塩戸景 夕食希望、豆なし。代金支払い。交渉条件と分離》
七瀬が横から覗く。
「そこまで残す?」
「食数」
「名前は公開?」
「本人に聞く」
小麦は無線へ。
「塩戸。豆なしを公開していい?」
『何のため』
「厨房の個別対応記録。敵にも同じ食事を出した美談にしない」
『敵という語は残せ』
「襲撃当事者」
『それでいい。豆なしも出せ』
「恥ずかしくない?」
『腹が張る方が困る』
午後三時十六分。
由良は路橋製粉の倉庫から戻った。
小型撮影機と、白い粉を指へ付けている。
「屋根、二か所穴。床、乾燥。鼠跡あり。現状で一・八トンの長期保管は不可。三日以内なら、床上棚を追加して〇・六まで」
「店主は」
「怒った」
「何て」
「援助が来る前は誰も穴を見なかったって」
「それも記録」
「撮ってない。声の公開を拒否」
「なら、由良の報告だけ」
「私が見た穴と鼠跡。本人の怒りは書かない」
「〇・六買う?」
「私に聞かないで」
由良は言ってから、眉を寄せた。
「違う。買う条件は説明できる。店の在庫を全部無価値にしない。今日明日で使える。倉庫の修理費も別に払うなら、〇・六は妥当だと思う」
「決める?」
「三人署名へ出す」
「逃げなかった」
「走ってきた」
「そういう意味じゃない」
「分かってる」
午後三時四十八分。
廃料金所まで、あと三キロ。
小麦は交渉卓の欄を作った。
一、現物数量。
二、二重計上。
三、橋上損失。
四、地元在庫買い取り。
五、運送料。
六、襲撃責任。
七、配布先三名署名。
八、保留と拒否。
九、調理者賃金。
十、公開範囲。
「十もある」
タマキ。
「一つにすると、強い人が全部持つ」
「誰から、誰へ、何のためは?」
「各欄に書く」
「三十個」
「書く」
「小麦、寝る?」
「あとで」
「何時」
「交渉が終わったら」
「終わらなかったら」
「終わらせる」
「それ、由良が代表を断ったのと反対の同じ」
小麦の手が止まる。
「どういう意味」
「自分一人が終わらせる人になってる」
「私は厨房」
「今、卓も作ってる」
「誰かやる?」
「私が欄を写す。七瀬が公開範囲。蓑原が寄贈側。由良が地区署名。轟が車と損傷。迅が襲撃。凱が運転手」
「塩戸は」
「塩轍と地元運送。商店は本人」
「小麦は」
「食料と厨房」
「寝る欄」
「いらない」
「鍋帳にある」
タマキは、十一番目の欄を勝手に書いた。
《十一、記録する人の休憩》
「消して」
「本人の同意がない」
「私が本人」
「ほかの記録者もいる」
七瀬が覗く。
「採用」
「裏切り」
「記録は、本人が嫌な時ほど役に立つことがある」
「その言い方、危ない」
「だから、休憩時間だけ。寝顔は撮らない」
「絶対」
「約束」
午後四時十二分。
廃料金所が見えた。
八つの通行口。
屋根の半分が落ち、料金表示は黒い。
中央事務室の窓は割れている。
広い舗装面。
車を量る古い台。
壁。
机。
塩戸の言った通りだった。
塩轍の車が先に入り、援助車列と反対側へ停まる。
双方の間に、四十メートル。
塩戸景が運転席から降りた。
短い黒髪の白い毛先。
平たい帽子。
左肩へ斜めに掛けた荷締め帯。
右耳側から呼ばれると、一拍遅れて振り向く。
エンジン音で痛めた耳だと、小麦は気づいた。
塩戸は金属箱を両手で持たない。
左鎖骨に古い歪みがあり、重さを右腰へ逃がしている。
鳥飼と遠野が左右を持つ。
三人で、中央の料金台へ置いた。
箱の横へ、塩戸は小さな赤い発炎筒を一本置く。
「脅しの小道具?」
小麦。
「夜間停止用」
「火をつける?」
「組合を卓へ入れないなら」
「紙を燃やすために作った道具じゃない」
「包丁も、袋を切るためだけじゃない」
小麦は黙った。
塩戸は発炎筒へ手を置いた。
「卓の欄を読め」
小麦が十一項目を読む。
塩戸は、襲撃責任の欄で一度だけ頷いた。
「組合の席は」
「地元運送と襲撃責任。二つ。片方の発言を、もう片方の免罪に使わない」
「商店の在庫は」
「店主本人。あなたは運送記録だけ」
「運送料」
「公開」
「目録箱」
「卓の中央。鍵は誰も単独で持たない」
「蓑原が鍵を持ってる」
「あなたが箱を持ってる。二人で開ける」
「俺を信用する?」
「しない」
「蓑原は」
「しない」
「なら、ちょうどいい」
塩戸は発炎筒から手を離した。
箱はまだ閉じている。
四十メートルの両側から、人と紙と食料の名前を持つ者たちが、同じ料金台へ歩き始めた。