第238話 第九章「砂塵の横転」後編
十二年前の紙へ、十四歳の字が加わる。
古い記録を尊重することは、触らず祀ることではない。
どこまでが昔で、どこからが今日かを、消さずに書き足すことだった。
塩戸が板の傷を確認する。
「一本、角が欠けた」
「材料代」
タマキ。
「欠けは前から」
「証明」
「扉に書いてある」
塩戸車の側面を見る。
《輪止め板四/一番角欠け》
本当にあった。
「よく書くね」
「忘れたら、他人のせいにするから」
「同じ」
「何が」
「私の箱」
「一緒にするな。おまえはゴミも持つ」
「返す物」
「捨てろ」
「持ち主に聞いてから」
塩戸は呆れた顔をし、板を戻した。
敵の道具と、古い券と、壊れた計量台。
三つの不完全な物で、申告より正確な重さへ近づいていく。
轟が補正曲線を紙へ描く。
七瀬が手元だけを撮る。
線はきれいではない。
砂塵で紙が揺れる。
鉛筆の先が二度折れる。
それでも、車両ごとの実荷重を、およそ百キロ単位で比較できるようになった。
午後五時二十六分。
第一号車、三・七トン。
第二号車、七・二。
第三、六・一。
第四、五・九。
第五、側板破損のため荷下ろし後に再計。
第六、六・四。
第七、六・八。
第八、七・〇。
第九、五・二。
第十、六・五。
第十一、六・三。
第十二、四・一。
「車体重量を引くと」
蓑原が計算する。
「食料と資材の総積載、三十六・〇から三十六・四」
「申告四十二・六」
七瀬。
「差、六・二から六・六」
「中央、六・四」
タマキ。
「最終値は、袋と箱を数えて出す」
小麦。
「今は推定三十六・二」
七瀬が紙へ書く。
《車両重量からの推定実積載 三十六・二トン 誤差±〇・二》
タマキは、その数字を見た。
切符を集めていたため、分かった。
能力はない。
誓痕の光も出ない。
車を止める拳も、道を見つける索もない。
古い紙の穴と、数字の癖を覚えていただけだ。
「タマキ」
迅。
「何」
「見つけた」
「何を」
「重さ」
「轟が計算した」
「券はタマキ」
「昔の人が書いた」
「拾ったのは」
「私」
「なら、タマキ」
「簡単にしすぎ」
「全員書く?」
「書く」
「面倒」
「今日、迅が言うの初めて?」
「二回目」
「数えてる」
「タマキの真似」
タマキは、少しだけ笑った。
その時、第五号車から声が上がった。
「燃料箱の一つ、空です!」
全員が振り向く。
タマキの表へは、箱一つ二十六キロで計算している。
空箱なら、四キロ。
差、二十二。
大きくはない。
だが、積み替え順を重さで決めるなら、違う。
「表示は満載」
タマキ。
「使いかけ」
柿沼リサ。
「いつ」
「昨日の夜、暖を取るのに使った。残量を書き忘れた」
「誰が」
「私」
「空箱を重い順へ入れた」
「ごめん」
「謝る前に、ほかは」
「二箱が半分。残りは満タン」
タマキは表を書き換えた。
自分の指示が間違っていた。
表示を読めても、中身を聞かなかった。
「私も」
タマキが言う。
「何が」
柿沼。
「重さだけで順番を決めた。誰から、誰へ、何のためは聞いた。でも、今どれだけ残ってるかを聞かなかった」
「配達の質問に四つ目?」
「増やさない」
「どうして」
「毎回、必要な質問は違う」
タマキは、空箱へ新しい札を付けた。
《表示二十六/現物四/使用者・柿沼/用途・夜間暖房/残量更新漏れ》
失敗を、誰か一人へ渡さない。
柿沼の更新漏れ。
タマキの確認不足。
両方を書く。
午後五時四十七分。
車両を動かす順が決まった。
一、第一号車。空荷で道路上の障害を拾う。
二、砂塵で側板を失った第五号車。荷を低く組み替え、九号車と対にする。
三、負傷者を載せる塩轍二番車。
四、油缶を積み直した塩轍三番。
以下、重心の低い順。
「援助車が先じゃない」
蓑原。
「負傷者が先」
タマキ。
「次に、壊れた車。道路を塞がないため」
「塩轍車を援助車列へ混ぜるのですか」
「混ぜない。出る順が同じだけ」
塩戸が言う。
「うちの負傷者は、うちで運ぶ」
「誰が運転」
タマキ。
「遠野」
「さっき箱を優先した」
「だから運転から外す?」
「本人へ聞く」
遠野は少し離れた所にいた。
「負傷者車を運転する?」
タマキ。
「する」
「何のため」
「久慈原を横にしないで救護所へ」
「箱は」
「置く」
「誰が持つ」
「今は誰も」
「途中で戻りたくなったら」
「戻らない」
「約束?」
「自分へ」
「記録していい?」
「それは嫌」
「じゃあ、今のは残さない。運転役だけ書く」
遠野は眉をひそめた。
「残さないのか」
「嫌って言った」
「さっき、箱へ行ったのは残ってる」
「行動は、見た人がいる。今の自分への約束は、本人が公開しないって選べる」
「都合がいい」
「都合を選ぶ人の名前は残る」
遠野は考えた。
「約束も書け。逃げなかった時だけ公開」
「未来の条件?」
「救護所へ着いた時、本人にもう一度聞け」
「分かった」
タマキは封筒へ書き、遠野の前で閉じた。
《救護所到着後、公開可否を再確認》
記録は、今の人間を将来へ縛る鎖ではない。
後で選び直すための荷札にもなる。
午後六時十二分。
久慈原を載せた塩轍車が最初に料金所を出た。
援助車列の峰岸が、障害物確認のため前を走る。
二台の間、百メートル。
同じ隊ではない。
同じ救護場所へ行く間だけ、前後になった。
塩戸は見送った後、目録箱の点検穴へ戻る。
タマキも行く。
「箱を出す?」
「出す」
「誰が持つ」
「六人」
「今度は多いって言わない?」
「横転よりまし」
由良、小麦、轟、飯尾夏、蓑原、塩戸。
六人が防水布の端を持つ。
目録箱を計量台の上へ戻す。
砂塵で白くなった蓋へ、タマキが札を付けた。
《現物一/申告内容未確認/保持者なし/開封者六》
「箱にも荷札」
塩戸。
「箱が一番、行先を迷ってる」
「おまえなら、どこへ届ける」
「卓」
「その後」
「中の紙ごとに違う」
「面倒だな」
「全員言う」
箱の横では、久慈原が横になっていた跡だけが残っている。
目録は同じ場所に戻った。
人は先に運ばれた。
タマキは、二つの移動を同じ欄へ書かなかった。