第242話 第十一章「車列を分ける」後編
どちらも、凱の側の感情だった。
午前九時五十九分。
第十二号車は、旧軌道へ入る前に止まった。
道が二つに分かれている。
左は、由良の経路図にある旧保線道。
右は、雪解け水でできた新しい轍。
保線道には、赤い木札が立っていた。
《本日、通行保留》
「地図と違う」
三枝。
「札が新しい」
凱。
「誰が出したか書いてない」
「進む?」
「運転手は」
「左は橋の状態が不明。右は車幅が足りるか分からない。どっちも嫌」
「では、止める」
「荷が遅れる」
「遅れを伝える」
三枝はエンジンを切った。
凱が無線を取る。
「旧軌道宿舎。第十二号車。旧保線道入口に通行保留札。掲示者と迂回路を確認したい」
『札はうち』
先ほどの男。
『昨夜、橋の下で水の音が変わった。まだ見ていない』
「右の轍は」
『猟師の小型車。援助車には狭い』
「確認へ行く人は」
『今、二人出す』
「こちらからも、車を置いて一人」
三枝が首を振る。
「私は車から離れない」
「俺が行く」
「膝」
「歩ける」
『来なくていい』
無線の男。
『白王だった人に、橋の安全を証明させたくない。こっちで見る』
凱は返事を急がない。
「了解。ここで待つ」
『何分』
「そちらが戻るまで」
『一時間かかるかも』
「出発時刻を変更する」
『腹を空かせる人がいる』
「先に食べられる在庫は」
『二十七食分』
「配る判断はそちら。援助車を待つ条件にしない」
無線が切れた。
三枝が荷台を叩く。
「一時間。油が冷える」
「油は固まらない」
「エンジン」
「そっちか」
「元王様は車を知らない」
「馬なら」
「馬を動かせる?」
「名前は呼べる」
「それは、だいたい全員できる」
凱は毛布へ座った。
左膝を伸ばす。
待つ時間を、誰かの遅れとして扱わない。
それでも、空腹は時間で増える。
「三枝」
「何」
「旧軌道宿舎の二十七食分は、今から配るかもしれない。到着後、予定量を減らす可能性がある」
「空荷が増える」
「戻す」
「せっかく運んだのに」
「運ぶことが、食べる理由ではない」
「運転手にはきつい言葉」
「言い直す。運んだ仕事は残る。食べるかは別」
「少しは車を覚えた」
凱は胸の割れた鐘へ触れた。
「少し」
午前十時二十八分。
ほかの隊から、短い報告が入る。
白沼沿道。
『魚箱一つ、受取量を減らす可能性。現地判断待ち。葛西車は百五十メートル前。共通指示なし』
東高架下。
『第五号車の側板を風除けへ使う提案。現地確認前。設置しない』
環水三号塔。
『二号車到着。正面扉前、秤準備。鍵の管理者三名、うち一名遅延』
北塩七区。
『調理者発熱。百十食分へ減量済み。残りを動かさない』
どの報告にも、凱への指示要求はない。
凱は返事をする。
「受信」
それだけ。
三枝が横目で見る。
「命令したくならない?」
「なる」
「正直」
「速くする方法が見える」
「なら言えば」
「速くする責任を、現地から奪う」
「事故が出たら」
「黙った責任は残る」
「難しい」
「だから、黙るだけにしない。危険を見たら言う。選択は戻す」
「今、何か危険は」
「俺の膝が冷えている」
「それは自分で決めて」
「毛布を追加する」
「了解」
午前十時四十二分。
旧軌道宿舎から、橋の確認が戻る。
『左橋、中央板二枚が浮いてる。車は通せない。右の猟師道を、入口から三百メートルだけ拡幅する。宿舎から十人出る。車の工具を借りたい』
三枝が工具箱を開ける。
「貸す。車は入れない」
『工具だけ持ってきて』
「誰が」
『こっちが取りに行く』
「一覧を作る」
『面倒』
「返らない時に揉める」
『十一本。借りる人の名も言う』
三枝は紙へ工具の名を書く。
凱は読まない。
運転手と借りる人の契約だからだ。
十分後、三人が来る。
誰も凱へ敬礼しない。
一人は、凱の顔を見てから、工具だけを見る。
「王の車じゃないんだな」
「三枝の車」
「荷は」
「五団体と、受取を選んだ宿舎の間。俺の物ではない」
「守る?」
「必要なら。ただし、俺がいるから受け取る必要はない」
「前は、王が来たら受け取った」
「前の責任は残っている」
「謝る?」
「今、謝罪を受け取る時間か」
「違う」
「なら、橋を先にする」
男は工具箱を持った。
「逃げた」
「後で戻る」
「約束?」
「記録する」
「約束より面倒」
「知っている」
工具が運ばれる。
凱は、手を出さない。
手伝える力がある時に手を出さないのは、弱い者へ仕事を押しつけることにもなる。
だから聞く。
「運搬を手伝う人は要るか」
「要らない」
「了解」
断られたら、止まる。
それも仕事だった。
午前十一時十九分。
猟師道の入口だけが広げられる。
全部を道路にしない。
宿舎側が、今後も大型車を通したくないと決めたからだ。
土を削る幅は、左右十五センチ。
石を三つ移す。
低木は切らず、枝を上へ縛る。
三枝が自分で歩いて車幅を測る。
凱は、後ろから距離を読む。
「右、あと六」
「命令?」
「車体と石の距離」
「聞いたら答えて」
「了解」
三枝が窓から顔を出す。
「右、何センチ」
「六」
「左」
「十一」
「進む」
第十二号車が、時速二キロで入る。
凱は荷台から降りない。
重心が変わるためだ。
枝が幌を擦る。
石へ右後輪が触れそうになる。
三枝は止める。
現地の男が石を動かそうとする。
「待って」
三枝。
「車を二センチ左へ。石は残す。次の車が来ない印になる」
「次は通さない?」
「今日は一台。明日は、また聞く」
男は石を戻す。
車が抜ける。
猟師道は、大型車が自由に通れる道にはならなかった。
一回の援助が、永久の通行権へ変わらない。
午前十一時四十六分。
宿舎の屋根が見える。
無線から、ほかの隊の声が重なる。
『環水、受取開始。鍵管理者三名確認』
『東高架、側板使用拒否。布だけ荷下ろし』
『白沼、魚箱一つ保留。返路へ積む可能性』
『剛嶺南端、案内人交代。旧地図を使用停止』
『北塩七区、十食分を保留倉庫へ戻す』
どこも、同じ結果ではない。
同じ時刻でもない。
凱は胸の鐘を鳴らさない。
鳴らせば、一つの到着に聞こえる。
七つの車列は、七つの理由で止まり、進み、減らし、戻していた。
宿舎の入口で、三枝が車を止める。
「着いた」
「名前を読む」
「一度だけ」
「了解」
凱は荷台の扉を開けた。
中央へ立たない。
最初に、運転手の名を読んだ。
「三枝遥」
次に、経路を確認した人。
工具を貸し、道を広げ、橋を止めた人。
寄贈した団体。
荷札を書いたタマキ。
調理する人。
最後に、自分の名。
「獅堂凱。同行。指揮権なし。左膝のため荷下ろし制限」
宿舎の誰かが笑った。
「そこまで読む?」
「荷より先に倒れた時、理由が要る」
「王も荷札になるんだな」
「人間から始め直している」
「長いな」
「知っている」
荷下ろしが始まる。
凱は小箱だけを持つ。
大袋へ手を出さない。
できないことを隠して、役に立つふりをしない。
一列を作らず、受取場所ごとに人が動く。
車列は、到着した後にも分かれていった。
車列は七つに分かれた。
一つの先頭はない。
白い塩路へ、七組の黒い轍が、違う方角へ伸びていった。