第270話 第一章「勝てない地図」後編
「敵車を止める」
迅。
「それは戦闘条件」
「三本を通す」
轟。
「途中で人が消えても?」
七瀬。
「消さん」
「確認方法」
「名簿」
真琴。
「名簿だけ戻って、人が戻らなかったら」
南野はまだいない。だが先月、灯りを消した外環共同病院で起きたことを、全員が思い出した。
「受入側の復唱と、本人確認」
ミソラ。
「話せない人は」
「医療反応、事前意思、生活を知る人。二者以上」
「敵に追われて、受入札が戻らない時」
由良。
「完了と言わない」
凱。
「土地を取られたら」
「完了と別」
「負け?」
迅。
凱は答える前に、一度息を置いた。
「拠点保持には負ける。撤退は、人を帰す仕事として評価する」
「評価するのは誰」
「名簿へ載る人と、迎えた人」
「敵は」
「土地を得る」
「じゃあ両方勝つ?」
「同じものを争っていないなら、あり得る」
年長指揮官が首を振った。
「戦場に、そんな曖昧な勝敗はない」
「戦場の外へ人を出す話だ」
由良は言った。
「だから、勝敗を一つにしない」
真壁が時刻盤の鍵を手に取る。
「計画開始まで、七時間五十二分ではありません。敵の先遣予測を含め、最短七時間ありません」
「何時間」
「現時点で、七時間五十六分後が十四時十四分。ただし先遣は早まる可能性。安全側に、五時間を計画限度とします」
「五時間で、署名、経路確認、食事、医療、橋」
真琴。
「不可能です」
「不可能を理由に、どれを消す」
由良。
「消しません。並行します」
「責任者が足りない」
「増やします」
「名前のある人を?」
「名前を書く人を」
年長指揮官が、裏返した名札へ触れた。
表には返さなかった。
由良は責めない。
名前を出させることと、出せない恐怖を笑うことは違う。
ただ、空白のままでは動かせない。
「五時間を何に使うか、これで決めた」
迅。
「何」
「名前を増やす」
「人を増やすんじゃない?」
「同じ人でも、仕事の名前を分ける」
「珍しく書類みたいなこと言う」
「真琴のせい」
「責任を転嫁しないでください」
真琴が空の紙ばさみを取り上げる。
「今の発言者、竜胆迅」
「消せる?」
「記録前なら」
「じゃあ撤回」
「理由」
「真琴のせいじゃない。少しは自分で考えた」
「不本意ですが、訂正します」
地図の青石台へ付けた小さな×は、消えない。
その周りへ、持ち帰る物と、残す物と、名前を書く人の線が増えた。
作戦室の隅で、雨漏りが始まった。
一滴目が、撤退命令案の端へ落ちる。
誰かが紙を避けた。
署名欄だけが、まだ白かった。