第314話 第十一章「災害のあとを救う」後編

 十二厨房の交代表が作られた。

 各厨房に、四つの役を置く。

 火口。

 配膳。

 水と衛生。

 休憩確認。

 一人が二役を持たない。

 交代は四時間。

 夜間は三時間。

 低血糖既往者は二時間ごとに摂食確認。

 足を痛めている者は立ち作業を連続四十分まで。

「細かすぎる」

 由良が装具を付けた右脚を伸ばして言った。

「地図よりまし」

「地図は食べない」

「人も地図を食べない」

「追い詰められると紙を噛む人いるよ」

「誰」

「私」

「やめて」

「味しない」

「そういう問題じゃない」

 由良は松葉杖で交代表の端を指した。

「十二番厨房、休憩確認が空欄」

「中央指揮所。担当が決まってない」

「南野は」

「車両表」

「野々村」

「通信」

「迅」

「料理を任せたくない」

「同意」

「本人に聞いた?」

「聞いてない」

「じゃあ勝手に失格にしない」

 迅が入口から言った。

「料理できる?」

 小麦。

「湯を沸かす」

「それだけ?」

「焦がさない」

「湯を?」

「鍋を」

「休憩確認はできる?」

「座らない奴を座らせる」

「どうやって」

「椅子を置く」

「言葉は」

「座れ」

「命令だ」

「お願いが似合わない」

「自覚あるんだ」

 小麦は十二番の休憩確認へ、迅の名を書かなかった。

「当番は、一時間だけ」

「四時間じゃない」

「料理経験が湯だけだから」

「差別」

「技能評価」

「真琴みたいに言うな」

「みんな似てきた」

 小麦は少し笑った。

 笑うと、糖が戻ってきた感じがした。

 交代表の次に作られたのは、賃金表だった。

 救助後の仕事は、善意へ溶けやすい。

 椅子を運んだ。

 鍋を洗った。

 名前を聞いた。

 濡れた床を拭いた。

 泣いている子の隣へ座った。

 どれも短い。

 短い仕事ほど、「ついで」で消える。

 真琴が机へ札を並べた。

「作業時間だけでは足りません」

「何を足す」

 小麦。

「危険。技能。夜間。本人が断りにくかった度合い」

「最後、測れる?」

「測れません。だから申告欄にします」

「『断りにくかった』って書ける人、少ないよ」

 由良。

「では質問を変えます。誰に頼まれたか。食事や寝床と引き換えだと言われたか。断った時に不利益を示されたか」

「それなら書ける」

 受付係の一人が手を上げる。

「私、休んでからって言われたけど、十五分で呼ばれた」

「誰に」

「名前、分からない。黄色い腕章」

 小麦が自分の黄色い前掛けを見る。

「厨房関係」

「小麦じゃない」

「私じゃなくても、色を決めたのは私」

「責任を全部取るの?」

「取らない。調べる」

 黄色い腕章は、食事担当を示すために急造された。

 同じ色の人間が、避難者十二人へ片付けを頼んでいた。

 十二人のうち四人は、自分から手伝うと言った。

 三人は、食事を早く受け取れると思った。

 二人は、断れば寝床が後になると誤解した。

 三人は、何も考えず従った。

「同じ作業なのに、違う?」

 担当者。

「違う」

 真琴。

「賃金額も?」

「作業の賃金は同じ。説明不足による補償は別」

「罰金?」

「誰へ課すかを先に決めない。黄色い腕章の運用責任を調べます」

「私も」

 小麦が言う。

「あなたは離脱中です」

「署名はできる」

「治療中の責任者へ、さらに責任処理を任せません」

「逃げるみたい」

「休むことを逃亡と呼ぶ仕組みが、今回の原因の一つです」

 小麦は黙った。

 真琴の言葉は正しい。

 正しい言葉は、痛い時にだけ刃物の顔をする。

「じゃあ、黄色い腕章を次から変える」

「次からだけでは足りません」

「今回の十二人へ、作業札と説明不足札」

「はい」

「色だけで頼めると思った人へ、名前を書かせる」

「はい」

「私の名前も、運用設計」

「それなら」

 小麦は左足を上げたまま署名した。

 責任を取ることは、全部を背負うことではない。

 自分が決めた部分を、他人の失敗の陰へ隠さないことだった。

 賃金表の最初の支払いは、銅貨ではなかった。

 地域ごとの財布が揃うまで、支払期日と不足額を記した受領札を渡す。

「紙で腹は膨れない」

 作業した男が言う。

「そうです」

 真琴。

「じゃあ意味ない」

「食事は無条件で受け取れます。札は、働いた分が消えていない証拠です」

「後で紙切れになる」

「その時は、払わなかった組織名も残ります」

「脅しだな」

「請求です」

 七瀬が遠くで笑った。

「その言葉、流行ってる」

「流行らせたのはあなたでは」

「請求書は、人類が昔から嫌い」

「嫌われる仕事ですね」

「必要な仕事は大体、拍手が遅い」

 男は受領札を受け取った。

「拍手はいらん。払え」

「最も正確です」

 午後八時四十分。

 主要避難の最終列が、一時経路を抜けた。

 五百六十メートルの一時経路を一部または全区間で使用した者、六百十四人。

 復旧した局地口と別経路を使った者、五百二十二人。

 移動者、合計一千百三十六人。

 高所施設へ残る選択をした者、四十二人。

 まだ、行方確認欄に六つの名があった。

 死亡確認された六人だった。

 所在不明ではない。

 死亡欄と家族連絡欄が、まだ別々に空いている。

 新規入院は十三人。

 内訳は、一時経路の終了時点で確定した。

 下肢挟圧一。

 低体温二。

 前腕裂創一。

 誤嚥性肺炎疑い一。

 足関節骨折一。

 溺水後呼吸障害一。

 右膝靱帯損傷一。

 喘息増悪一。

 肋骨骨折一。

 創部感染疑い一。

 脱水一。

 頭部打撲経過観察一。

 深水の右肩脱臼は整復後、通院観察。

 小麦の低血糖と足底腱膜炎は、厨房離脱と休息。

 数字へ入る者と、入らない者がいる。

 入らないから軽いわけではない。

「十三人、病院へ」

 澪が搬送表を持って来る。

「一度に運ばない」

 ミソラ。

「分かってる。緊急三、準緊急四、安定六」

「受入れ先」

「屋上二、四階五、東門診療二、給水塔一、外環共同病院三」

「病院が分かれている」

「一つへ集める方が危ない」

「学んだ?」

「前から知ってた」

「昨日は全員屋上と言った」

「昨日の話を今日の勤務表で殴らないで」

「確認」

「みんなその言葉、便利に使いすぎ」

 二人は搬送主導と医療主導を、患者ごとに切り替えた。

 水位が悪化した区間では澪。

 体温と呼吸が悪化した患者ではミソラ。

 受入先の人手が足りない時は共同停止。

 意見は一致しない。

 手順は一致した。

 それで運べた。

 午後十一時五十九分。

 小麦は厨房から二十四時間離れる札へ、自分で署名した。

「日付、変わる直前だね」

 由良。

「一分得した」

「二十四時間は二十四時間」

「気分」

「計算は冷たい方がいいんじゃなかった?」

「気分は温かくていい」

 小麦は左足を高くして、旧食堂の隅へ横になった。

 十二厨房から、順に報告が来る。

《一番、粥百二十、残三》

《二番、温水六十、乾物四十二》

《三番、配膳終了。皿返却待ち》

《四番、高所十四へ到着》

 小麦は返事をしない。

 休憩確認の担当が、無線を切った。

「聞かせないの?」

 タマキ。

「聞くと起きる」

「怒ります」

「起きてから」

 六月十五日 午前二時十二分。

 小麦が眠っている間に、十二厨房は初めて一斉に変更を受けた。

 病院から、塩分制限食が八食増える。

 給水塔から、水使用量を一割減らす連絡。

 東門から、夜間到着三十二人。

 中央指揮所から、通信職員五人の食事時間をずらす依頼。

 以前なら、全部が小麦へ来た。

 今夜は来ない。

 一番厨房は、塩分制限食を担当する代わりに通常粥二十を二番へ渡す。

 四番厨房は、煮る料理を減らし、蒸し器を使う。

 三番厨房は、到着三十二人へ温かい汁だけ先に出し、固形食は本人の状態確認後。

 十二番厨房は、通信交代表へ合わせて五人分を二時間遅らせる。

 変更者の名前と時刻が、鍋帳へ書かれる。

 小麦の名はない。

「起こす?」

 十二番の調理者が訊く。

 迅が休憩確認の椅子に座っている。

「起こさない」

「失敗したら怒る」

「起きても怒る」

「どっちがまし」

「寝て怒る方」

「寝ながら怒る?」

「できそう」

 調理者が笑う。

「味見、して」

「俺が?」

「湯しか沸かせないんでしょ」

「味は分かる」

「薄い?」

 迅は汁を飲む。

「熱い」

「味」

「塩が少ない」

「病院用」

「ならいい」

「食べる人へ聞く」

「俺は違う?」

「違う」

「じゃあ聞くな」

「味見役がいなかった」

「作った奴が」

「自分の味に慣れる」

「面倒だな」

「食事は面倒」

「小麦みたいに言うな」

「皆、似てきた」

 調理者は病院へ一椀持っていく。

 患者が一口飲む。

「薄い」

「足す?」

「梅干し、半分」

 塩を一括で足さず、本人の椀だけへ梅干しを入れる。

 厨房は、小麦のいない夜に、小麦より細かく動いた。

 午前四時五十六分。

 澪とミソラの最後の交代が行われた。

 新規入院十三人のうち、緊急三人はすでに処置中。

 準緊急四人は搬送済み。

 安定六人のうち、二人は移動先を変更した。

 一人は給水塔診療室を選び、一人は東門へ戻ることを選んだ。

「病院へ集めた方が診やすい」

 ミソラ。

「本人は家族の近くがいい」

 澪。

「医療機器が少ない」

「必要になったら運ぶ」

「その時、道が閉じていたら」

「今、閉じてない道へ行く」

「将来の危険を低く見てる」

「今の希望を低く見てる」

 患者が二人を見る。

「私が決めていい?」

「はい」

 二人が同時に答える。

「給水塔。悪くなったら病院へ」

「受けた」

 澪。

「必要機器を先に確認します」

 ミソラ。

「二人、喧嘩してる?」

「仕事です」

「仲が悪い?」

「それもあります」

 ミソラが正直に言った。

 澪が少し笑う。

「でも、運ぶ」

「診る」

 患者は給水塔へ向かった。

 手順は、人間関係が美しくなくても働いた。

 美しさを条件にしない方が、長く使える。

 旧食堂の厨房では、別の人が鍋を混ぜている。

 味が少し薄い。

 塩を足す者がいる。

 小麦は眠っていた。

 誰も倒れなかった。

 食事は止まらなかった。

 英雄がいない夜は、よく回った。