第316話 第十二章「帰還者名簿」後編
六月十七日 午後一時四十三分。
災害報告の公開会が、旧食堂で開かれた。
壇上はない。
十二の受付板を、床へ円形に置く。
中央板は、円の外。
「なぜ中央が外なの」
住民が訊いた。
野々村が答える。
「今回は、中央が答えを集めた場所で、答えを作った場所ではないからです」
「責任逃れ?」
「そう見える部分があります」
「認めるの」
「指揮所が全体命令を出さなかったことで、現場の判断負担が増えました。その負担を記録しています」
「じゃあ命令を出せばよかった」
「十二口が同じ鍵で止まった後、同じ形の命令を出す危険がありました」
「結果論だ」
凱が口を開きかける。
七瀬が横を見る。
凱は言葉を止めた。
今日は、彼が答える会ではない。
第一口の住民が立つ。
「中央が止めなかったから、宮浦さんと越智さんが死んだんじゃないのか」
静かになる。
真琴が答える。
「二人の死亡について、中央命令の遅延、排水保守、逆流表示、現場判断の各要因を分けて検証します。現時点で一つへ確定しません」
「また分ける」
「一つにすると、他の原因が消えます」
「誰を怒ればいい」
迅が後ろにいる。
前へ出ない。
質問した人は、迅を見る。
「おまえなら殴るだろ」
「殴る相手が決まれば」
「決まってない?」
「一人にしたら楽になる。楽になるために間違える」
「じゃあ怒るなって?」
「怒っていい」
「誰へ」
「まだ決めるな」
「難しいな」
「俺も」
質問者は座った。
納得していない。
公開会は、納得を作る場所ではない。
反対が、次に質問できる形で残る場所だった。
環水塔の住民が、橋爪莉央の崩落映像について問う。
「公開しないのは隠蔽じゃない?」
七瀬が答える。
「家族が公開範囲を決めていません。構造原因の映像は、身体が映らない範囲で公開します」
「全部見ないと判断できない」
「全部を見る権利は、判断したい人へ自動で生まれません」
「記録者が決めるの?」
「家族と、本人が生前に残した範囲と、調査上の必要を分けます。私一人では決めません」
「遅い」
「遅いです」
「それでまた事故が起きたら」
「構造映像は先に出す。個人映像は待つ。分けます」
また、分ける。
この街は、一つにまとめることを疑い始めている。
疑うこと自体を、新しい正義にしないよう、真琴が反対欄を置く。
《分けすぎて全体像が見えない》
そこへ最初の署名が入る。
次に、中央職員。
七瀬も署名した。
「あなたも?」
「分ける側だから、欠点を知ってる」
「どう直す」
「分けた記録を、同じ時刻軸で読めるようにする」
「結局まとめる?」
「並べる。溶かさない」
公開会は三時間続いた。
拍手で終わらない。
質問が四つ、未回答で残る。
次の回答期限だけを決めた。
新しい事件の予告ではない。
いま起きたことを、終わったことにしすぎないための期限だった。
公開会の翌日、六人の所持品返却が始まった。
返却は、箱を渡して署名をもらうだけでは終わらない。
宮浦節子の錫の指貫を受け取った姪は、蓋を開けなかった。
「本物ですか」
「第一口で回収。洗浄前後の記録があります」
七瀬。
「見せて」
映像を見せる。
泥の中から拾う手。
番号を付ける手。
洗う前に傷の位置を描く手。
姪は指貫を見た。
「傷が増えてる」
「回収時からありました」
「叔母は、こんな所に傷を付けない」
「では、本人の物ではない可能性を残します」
「名前が入ってる」
内側に、小さく《節》と刻まれている。
「同じ物を誰かが使ったかもしれない」
「返さないの?」
「あなたが受け取れます。ただし、確定品ではなく候補品として」
「遺品なのに候補?」
「間違った物を、悲しみで本物にしないためです」
姪は長く黙った。
「持って帰る。叔母の裁縫箱と比べる」
「結果を知らせる義務はありません」
「知らせたい時は」
「記録番号へ」
姪は候補品受領へ署名した。
真鍮の点検鍵は、もっと複雑だった。
越智誠の同僚は、鍵を作業班へ返してほしいと言う。
遺族は、最後に持っていた物なら手元へ置きたいと言う。
「写しを渡す予定です」
真琴。
「写しは鍵じゃない」
遺族。
「鍵がなければ排水設備を点検できない」
同僚。
「同じ鍵を作れないの」
「古い規格で、溝が手作業」
「じゃあ、仕事が兄の遺品を持っていくの」
誰もすぐ答えない。
鍵の機能と、最後の所持品である意味は分けられない。
轟が鍵穴を調べた。
「複製できる。三日」
「さっき作れないって」
同僚。
「同じ規格品はない。一本ずつ削る」
「先にどっちが持つ」
「点検設備は、仮固定で三日持つ。鍵は遺族へ。複製ができたら、作業班へ」
「複製が失敗したら」
「また相談」
「兄の鍵を借りる?」
遺族が同僚を見る。
「お願いする」
「三日」
「三日」
鍵は遺族へ渡った。
作業班は、鍵を借りる側になった。
死者の仕事を理由に、遺品を当然のように所有しない。
東雲美佐の番号札は病院へ戻った。
ただし、札の束の一番上に、美佐の名を書かなかった。
「功労者として残さない?」
病院職員。
カナメの娘が答えた。
「患者の服へ、知らない人の名前を毎回付けるの?」
「忘れないため」
「忘れない仕事と、道具の使い方は分けて」
美佐の作業手順は、洗濯室の壁へ残す。
番号札は、無名の道具へ戻す。
英雄の名を付ければ、物は大切にされる。
同時に、その人のやり方を変えにくくなる。
美佐を忘れないことと、番号札を美佐の物にし続けることは違った。
六人の返却は、六月二十一日までに四件が完了した。
二件は未了。
門脇の青い鉛筆は、息子が受取日を決めていない。
末永の二本目の鍵は、空室確認が終わっていない。
未了欄を、遅れとして赤く塗らない。
死者の家族へ、災害側の締切を押しつけないためだ。
期限のない責任は消えやすい。
だから、返却を急かす期限ではなく、担当者が再確認する日だけを書く。
《六月二十八日 担当者側から一度だけ連絡。返答義務なし》
返事がないことも、選択として扱う。
六月十八日 午前十時二十分
由良は、右膝装具を付けて剛嶺へ帰った。
滑空しない。
荷車へ乗る。
地図の写しは、六人の住民へ残した。
「原本は」
七瀬が訊く。
「持って帰る」
「独占?」
「違う。私の書き込みは私の仕事。写しは、ここで使う人の仕事」
「戻る?」
「必要なら」
「いつ」
「知らない」
「次の予定は」
「聞かないで」
「記録」
「予定なし。剛嶺へ帰る。膝の診察。受入れ所の浸水確認。以上」
「受けた」
迅も凱も見送りに来なかった。
由良が望まなかったからだ。
代わりに、由良からの到着報告を受け取る役を一人決めた。
報告は夕方に届いた。
《到着。道は遅い。膝は痛い。食料は余った》
小麦は返信した。
《余りは現地の判断で使って。返却不要。袋だけ次に回して》
由良は、許可を求めず帰った。
帰った後も、その人の仕事と暮らしは続く。
そのことを、七瀬は映像にできなかった。
映っていない先を、勝手に終わらせないことだけができた。
六月十九日。
ミソラは外環共同病院へ戻った。
澪は帰路班の救難所へ戻った。
二人は同じ車へ乗らなかった。
搬送と治療の共同手順だけを、一枚ずつ持っている。
《水位》
《患者体温》
《搬送者休息》
《受入先人手》
四条件のうち二つが悪化したら、共同再判断。
最後に決める者は、一人ではない。
経路は澪。
医療はミソラ。
移動するかは患者。
「仲直りした?」
タマキが訊いた。
「してない」
澪。
「喧嘩してる?」
「仕事してる」
ミソラ。
「違いは」
「次も話す」
澪。
「喧嘩は終わらせるためにするものじゃない時がある」
ミソラ。
「面倒」
タマキ。
「患者も道も面倒」
二人は別々の方向へ歩いた。
六月二十四日 午後四時三分
小麦の二十四時間離脱は、とっくに終わっている。
それでも、十二厨房の交代表は残った。
小麦がいない時間が、毎日四時間ある。
その間、鍋は止まらない。
「味は落ちた?」
七瀬。
「日による」
「困る?」
「困る」
「戻したい?」
「戻さない」
「なぜ」
「私だけが美味しくする街は、私が風邪引いたらまずくなる」
「名言っぽい」
「書かないで」
「もう録った」
「消して」
「公開しない」
「それ、ずるい」
「褒め言葉?」
「違う」
小麦は鍋の蓋を開けた。
別の調理者が作った煮込み。
一口食べる。
「塩、少ない」
調理者が身構える。
「足す?」
「食べる人に聞く」
小麦は自分で塩を足さなかった。
同じ日の午後、住宅棟の入口へ金属板を持って来た者がいた。
《十三番目の避難口 六百十四人通過》
文字は既に彫られている。
「記念板です」
持って来た職員が言った。
「許可は」
住宅の女。
「災害対策部から」
「階段の持ち主へは」
「公的功績なので」
「公的功績が、私の窓の下へ勝手に穴を開ける?」
職員が板を抱え直す。
「歴史を残すためです」
七瀬が板を読む。
「六百十四人は、五百六十メートルの一時経路を一部または全区間で使った人数です。住宅階段を通っていない人もいる」
「細部は報告書へ」
「板の数字が先に読まれる」
「では説明を増やす」
「板が大きくなる」
タマキ。
「どこまで」
「七つの所有者。撤回条件。通行停止。戻った人。壊した物。返した物」
「壁が足りません」
「だから板にしない」
住宅の女は言った。
「ここは、また洗濯物を運ぶ階段です」
「功績を消すのですか」
「消さない。置く場所を変える」
記念板は、階段へ付けなかった。
彫られた文字を削るかどうかは、作った部署が決める。
ただし、保管記録には《所有者同意なく設置を試み、不採用》と追記する。
「失敗まで残すの」
職員。
「板を作ったことは消えない」
七瀬。
「恥ずかしい」
「次の人が先に聞ける」
職員は板を持って帰った。
歴史を残すことと、現場へ歴史を貼りつけることは違う。
避難路を記念するために、生活路をもう一度奪わない。
七瀬は最後に、仮札を撮った。
住宅棟裏階段の入口に置かれていた札。
《仮 十三番目の避難口》
黒鉛筆の文字は、雨で薄くなっている。
誰も保存用の板へ写さなかった。
道具台帳には、七つの生活路が書かれている。
避難記録には、五百六十メートルの時限接続が書かれている。
恒久施設の欄は空白。
「撮る?」
迅が訊いた。
「撮った」
「残す?」
「映像は」
「札は」
「持ち主へ返す」
「誰」
「最初に鉛筆を貸した住宅の子」
七瀬は札を外した。
裏に、子どもの字がある。
《洗濯物、ここ》
避難口になる前の使い方だった。
七瀬は札を返した。
子どもは表の薄い文字を見て、首を傾げる。
「これ、何て書いてた?」
「道の仮の名前」
「消していい?」
「持ち主が決めて」
子どもは濡れた布で表を拭いた。
十三という数字が消える。
裏返す。
《洗濯物、ここ》
札を階段へ戻す。
その上を、濡れていない服を持った人が通った。