第318話 第一章「七月一日」後編

 七瀬は、軒下へ三種類の札を置いた。

《撮影可》

《声のみ可》

《撮影不可》

 住民十三人へ、一枚ずつ選ばせる。

「俺の判定の話だ」

 凱が言う。

「今の映像には、あなたの後ろで転びかけた人が映っています」

「事故記録だ」

「事故記録として保全します。公開映像に顔を出すかは別です」

 桶を落とした女は、《撮影不可》を取った。

 凱が見る。

「俺の失敗を隠す必要はない」

「あなたの失敗を公開するために、私の顔を使わないで」

 女は言った。

 凱は口を閉じる。

 自分が弱さを隠さないことと、他人に弱さの証人役をさせることは違う。

「足元だけなら」

 七瀬が訊く。

「長靴で分からないように」

「声は」

「変えて」

「事故時刻と動作」

「出していい」

 七瀬は札の裏へ条件を書く。

 撮影不可は、記録不存在ではない。

 何を残し、誰へ見せ、どこを隠すかを分ける。

 十三人の選択は、五人が撮影可、三人が声のみ、四人が不可、一人が保留だった。

「保留は、いつまで」

 真琴。

「今日の十八時」

 保留を選んだ男。

「それまでは」

「公開しない」

「保全は」

「していい。十八時に決められなければ、非公開のまま」

「理由は」

「言わない」

「承知しました」

 真琴は理由欄へ、理由不要と書く。

 凱はその作業を見た。

「全員の許可を待てば、公開判定の告知が遅れる」

「あなたの顔と声だけで告知できます」

 七瀬。

「群衆がいた事実は」

「人数と足元。公開を選んだ人の範囲」

「熱が伝わらない」

「熱を伝えるために、人の顔を燃料へしません」

 凱は言い返そうとして、蝋燭を見る。

 炎は、人の許可を待たず短くなる。

 映像は違う。

 待つことができる。

「公開判定の告知は、俺一人を撮れ」

「背景は」

「洗濯場。人は入れない」

「復旧現場を政治的な背景に使うことになります」

「ここで起きた」

「なら、排水格子と濁った水だけ。洗濯物の名前札は伏せる」

「任せる」

「全面委任ですか」

「範囲を相談した後の撮影判断」

「言い直せましたね」

 七瀬は撮影台を移す。

 左肩を使わないため、轟が三脚の脚を一本持つ。

 凱は排水格子の前へ立つ。

「何を言う」

 七瀬。

「判定を公開で受ける」

「理由」

「隠さないため」

「それだけだと、全面公開と誤解されます」

 凱は考える。

「能力所見、停止、反証、資格審査を公開する。診療と家族と観客の顔は、別同意」

「一度で言えますか」

「言える」

「失敗したら」

「言い直す」

 撮影を始める。

 凱は一度目で、《観客の顔》を言い忘れた。

 七瀬は止めない。

 凱が自分で気づき、最初から言い直す。

 二度目は、《家族》の前で一拍詰まった。

 それでも、最後まで言う。

 撮影が終わる。

「二回目を使います」

「一回目は」

「保全。公開しません」

「失敗を隠すのか」

「訂正前の言葉を、本人の完成した意思より先に流さない」

「記録は残る」

「残ります」

 凱は頷いた。

 言い直しは、最初の失敗を消すことではない。

 どちらを現在の意思として使うかを選ぶことだった。

 能力の衰えは、塔が崩れるようには来ない。

 昨日までできたことが、今日もできる。

 ただし、少し遅く、少し痛く、誰かが聞き返す。

 その少しを、本人だけが事故と呼ばない。

 凱は蒸しパンを十三等分するよう小麦へ言った。

「十四」

 小麦が答える。

「イオもいる」

「私は客じゃない」

「食べる人」

「料金は」

「今日は勤務食。相談員は一食分を後で払う」

「明細を」

「好き」

「何が」

「払う人」

 イオは初めて笑った。

 息だけが先に漏れた。

 凱は自分の一切れを受け取った。

 黒豆は一粒だった。

 二十歳のうち、十九粒は他人の皿にある。

 祝いとは、歳を全部自分で食べないことかもしれない。

 そんな考えを口にすれば、迅に笑われる。

 凱は黙って食べた。

 蝋燭の火は、まだ消えていない。

 凱は吹かなかった。

 短くなった火が、朝の風で自分から消えた。