第342話 第一章「母の映像」後編
「管理会だけ。一般公開はしない」
「なぜ」
「題名だけで、買いたい者が増える」
「王だった頃より慎重」
迅。
「王だった頃は、売られる側の気持ちを価格表で見なかった」
凱は言った。
それから訂正する。
「見なかったのではない。見ても、配給のためだと後回しにした」
七瀬は、その言い直しを撮らなかった。
今は、目録が先だ。
午前八時四十七分。
七瀬は見本映像の機材音だけを切り出した。
映像をもう一度見るためではない。
母が使っていた撮影機を確かめるためだ。
回転軸の低い唸り。
クランクを戻す半回転。
フィルム送り歯が一枚欠けた時だけ入る、四拍ごとの小さな空振り。
「母の機械です」
七瀬は言った。
「断定?」
迅。
「同型機では出ない欠けがあります。母の三号機は、洪水の前年から送り歯が一枚欠けていた」
「直さなかった?」
「修理部品を父が送った。母は《癖が分かるから》と使わなかった」
「機械にも癖?」
タマキ。
「人が直さない部分は、だいたい癖と呼ばれます」
「迅の靴底」
「減ってるだけだ」
「直さない」
「替える金がない」
「貧乏は癖?」
「喧嘩売ってる?」
「値段は聞いてない」
七瀬は音の四拍を紙へ書いた。
母の機材で撮られた。
それでも、映っている出来事が正しいとは限らない。
母が撮ったことと、母が正しかったことは別だ。
机の引き出しに、父から届いたまま開けていない部品包みがある。七瀬は一度、そちらを見た。
開けない。
父へ連絡すれば、三号機の音を確認できるかもしれない。
同時に、母の記録が競売へ出たことを知らせることになる。
「連絡しないの」
タマキが視線を追った。
「今は」
「父親?」
「質問の範囲を越えます」
「シキみたい」
「似せていません」
「連絡したくない?」
「したいかどうかも、今は決めません」
凱が目録の紙を折らず、透明袋へ入れた。
「連絡しない間、父親の判断を使わない。それでよい」
「勝手に許可しないでください」
「許可ではない。俺の申請に父親を共同申請者として書かないと確認した」
「そういうところだけ、上手くなりましたね」
「だけとは何だ」
「冗談理解はまだです」
迅が十二番の音声波形を覗く。
「兄貴の声、どこから切ったか分かる?」
「母の機材音と重なっていません。声は別の場所です」
「場所」
「反響が狭い。金属壁。水門制御室か、車両か、倉庫。候補は絞れない」
「声が本物なら、命令も本物かもしれない」
「本物の声は、偽物の文を言えます」
「本人が言ってないのに?」
「切れば」
七瀬は自分の声を録音した。
《迅は、今、容器を壊さない》
その音を三つへ切る。
《迅は》
《容器を》
《壊す》
間を詰めて再生する。
《迅は容器を壊す》
タマキが迅を見る。
「言われた」
「壊さない」
「記録は壊すって」
「今作っただろ」
「本物の七瀬の声」
「だから偽物です」
七瀬は編集前後の音を両方保存した。
「声が本物か、文が本物か、命令が本物か。三つを一つにしない」
迅は容器を見た。
「兄貴の声を、嘘に使った奴がいる」
「はい」
「腹が立つ」
「記録しますか」
「要る?」
「あなたが壊す理由と、壊さない理由を後で混同しないため」
迅は少し考えた。
「書け。腹が立つ。でも壊さない」
七瀬はそのまま書いた。
感情を削ると、行動だけが正義に見える。
感情だけ残すと、行動が必然に見える。
二つを並べる。
午前八時五十九分。
六時間の保全表示は、まだ残っている。
二つの容器は、再生を止められたまま机に並んでいた。
十一番には、見ないでほしいという現在の意思。
十二番には、見たいという生者の痛み。
どちらも同じ灰色だった。