第348話 第四章「入札者」後編

「意見を頼まれた」

「聞き方の」

「範囲を決めてください」

 凱は白戸を見る。

 白戸は真顔だった。

「おまえ、性格が悪くなったな」

「委任されていない評価です」

 五人目は、連絡がつかなかった。

 六人目は、用途の説明を聞かず撤回した。

 七人目は、利子を要求した。

「一割」

「高い」

『元王の信用なら安い』

「元王だから不安定だ」

『じゃあ二割』

「撤回する」

『冗談だ』

「冗談理解の検査は終わっていない」

 白戸が紙へ、《利子なし。冗談の同意なし》と書いた。

 八人目から十二人目は共同回線だった。

 赤錆大工場の安全委員会。

『貸付じゃなく、監査費に変えたい』

「返金不要?」

『監査記録を工場へ戻す。記憶売却の契約書を、安全教育へ使いたい』

「当事者情報は消す」

『条文と費用だけ』

「それでも、当事者の許可が要る」

『じゃあ、許可が出なければ使わない。それでも監査費は出す』

「なぜ」

『止める作業には金が掛かるって、前に教えられた』

 鉞谷の声は回線にいなかった。

 別の工員が言った。

『止めた後の給料まで、誰も考えなかったからな』

 凱は五万環を、借金から監査委託費へ変更した。

 十三人目。

 共同浴場の帳場から、濡れた紙が届く。

《二万。拒否席一時間分。入札禁止。余ったら返す。湯代には使わない》

 凱は紙を乾かさず、濡れたまま保存袋へ入れた。

 乾かすと、インクが滲む。

 十四人目から二十人目。

 継続、半額、撤回、用途変更。

 二十一人目は迅だった。

「一万。何に使う」

「おまえが貸した時に説明した」

「もう一回」

「競売参加資格。落札しない。拒否席と保全時間の確保」

「俺の兄貴の声が偽物だったら」

「落札しない」

「本物なら」

「落札しない」

「七瀬の母さんが悪い映像なら」

「落札しない」

「良い映像なら」

「落札しない」

「何なら買う」

「買わない」

「じゃあ何で保証金」

「買える人間だけが中へ入れる制度を、中から止める」

 迅は一万環を凱へ押し戻した。

「利子、一環」

「借りる側が払う」

「今は俺が貸す」

「返済時に払う」

「忘れるぞ」

「七瀬が記録する」

「それが一番怖い」

 再確認を終えた時、保証金は三万二千環不足していた。

 足りない数字は、三人の撤回と、一人の半額と、五人の条件追加でできていた。

 金が減ったのではない。

 勝手に使える範囲が減った。

 凱は不足を見て、初めて少し安心した。

 保証金が不足したままでも、凱は資格審査窓口を離れなかった。

「三万二千を追加すれば通します」

 係員が言う。

「誰から借りるかは問わない?」

「資金証明があれば」

「用途制限は」

「当事者間の問題です」

「つまり、落札禁止と書かれた金も、機械は保証金として数える」

「機械は証書の金額を読みます」

 白戸が言った。

「なら、機械へ用途を読ませる」

「改修費が」

「今日には間に合わない」

「では従来運用で」

「今日、間に合わないことを理由に、今日の人へ従来の間違いを使う?」

 係員は困った顔で、凱を見る。

 元王なら、決めてくれると思った顔だった。

 凱は決めなかった。

「窓口責任者を呼べ」

「命令ですか」

 白戸。

「依頼だ」

「断られたら」

「待つ」

「競売開始は」

「遅延理由を記録する」

 窓口責任者は、十二分後に来た。

 六十代の男で、片方の袖口に糊が付いている。書類を自分で補修する人の手だった。

「落札禁止の証書を保証金へ入れたい?」

「違う」

 凱は五枚を分ける。

「入場と拒否席の費用としてだけ使う。入札端末の金額上限を、用途制限のない三万二千環へする」

「それでは何も買えません」

「買わない」

「入札者資格なのに」

「入札できない参加者を、制度に書く」

「前例がない」

「白い席を作る」

「誰でも座れる?」

「本人、関係者、入札を拒否する者。席に座ることを同意や代理へ使わない」

「会場が混乱する」

「今も、買える者しか反対を言えない方が混乱している」

 責任者は、凱の証書ではなく白戸の空欄を見た。

「空欄を認めると、手続きが止まります」

「止めるための空欄もある」

 白戸。

「誰も決めないまま、患者の支払いが止まる」

「患者の支払いと記憶売却を、同じ鍵へしたのは競売所です」

「外せば費用が」

「その費用を、本人の記憶へ払わせない方法を審理してください」

「今日中に?」

「今日、売るなら」

 責任者は糊の付いた袖口を親指で擦った。

「白い席、一席。試験運用。入札端末なし。発言は一人三分。代理権なし。着席者の身元は、本人希望に応じ非公開」

「一席では足りない」

 凱。

「最初から増やせない」

「増やす条件を」

「席を必要とした人が、次回までに申請」

「次回がある前提?」

「市場ですから」

「止まる可能性も書け」

 責任者は書いた。

《次回開催を保証しない》

 白い席は、凱の勝利ではなかった。

 一席しかない。

 三分しか話せない。

 買う人間は七十三人いる。

 それでも、買わない人が会場へ入るために、誰かの財布を借りなくていい場所が一つできた。

 凱は不足した保証金を埋めなかった。

 資格票には、《入札上限三万二千環/落札目的なし/拒否席保全費のみ》と印刷された。

 王だった頃なら、足りない数字を恥じただろう。

 今は、使ってはいけない金が使えない形になったことを、ようやく成果と呼べた。

 白い席の試験運用が決まると、海老名サチが息子を連れて窓口へ来た。

 息子は十四歳。

 父親の声を聞いた記憶がほとんどない。

「僕が入札するには」

「未成年単独の保証金は受けられません」

 係員。

「母さんと一緒なら」

「共同入札」

「私は売りたいの」

 サチ。

「息子は聞きたい。二人で入札すると、どっちの意味になる?」

「落札後に共同で決めていただきます」

「落札するまで、違う意味を同じ金へするのね」

 凱が聞く。

「息子は、何を聞きたい」

「父さんが最後に何を言ったか」

「記録に入っている保証は」

「ない」

「入っていなかったら」

「買ったことを後悔する」

「入っていたら」

「聞いたことを後悔するかもしれない」

「それでも聞く?」

「今は」

 息子は母を見る。

「母さんが売った後だと、聞けなくなるから」

 サチは唇を噛んだ。

「私が売りたいのは、父さんの声が要らないからじゃない。聞くたび、あの水門へ戻るから」

「なら、売らずに見ない」

「保管費がいる」

「拒否席の費用から出せるか確認する」

 凱。

「あなたが払う?」

「俺が決めない。用途を貸した人へ戻す」

「王様なのに、何も決めないのね」

「元だ」

「元なら、少し決めて」

 凱は息子を見る。

「今日、売却も閲覧も決めないための席を一時間確保する。それなら、今いる担当者の範囲で提案できる」

「一時間で決めろってこと?」

「違う。一時間、急かされずに言うため。決めないなら、その後の保管費を別に話す」

 サチは白い席の札へ触れた。

「座るのは一人?」

「椅子は一つ」

「息子と交代する」

「一緒に立ってもいい」

「一緒だと、また同じ意見に見える」

 息子が言った。

「僕は立つ。母さんが座る」

「私が代表みたいになる」

「じゃあ椅子を空ける」

 二人は、誰も座らない席を予約した。

 凱は用途欄へ書く。

《海老名サチと息子。異なる希望を同一委任と扱わないため、空席として使用》

 白い席は、誰かが話す場所だけではない。

 隣にいる二人を、一つの家族意見へまとめない空間にもなった。

 午後一時。

 競売開始の鐘が一度鳴った。

 円形会場の最前列、中央から最も遠い一席へ、白い札が置かれた。

《入札不可》

 最初に座ったのは海老名サチだった。

 息子は隣に立った。

 彼女は八番を見上げ、マイクへ言った。

「売りたい。聞かせたくない。でも息子は聞きたい。今は、どれか一つに決めない」

 会場がざわつく。

 価は鐘を鳴らさなかった。

 凱の手元には、再確認を終えた二十一枚の証書があった。

 三枚は撤回。

 一枚は半額。

 五枚には落札禁止。

 白戸の代理署名欄は空白のままだった。

 空白は、誰かが忘れた穴ではない。

 そこへ勝手に名前を書かなかった人間の、仕事の跡だった。