第360話 第十章「百の複製」後編

 西の点検路は、幅七十センチ。

 大人二人がすれ違えない。

 天井には古い郵便管。床には拒否受領の革紐と、不達用の金属鎖が交差している。

 タマキは両腕を広げた。

「通れない」

「君より細い」

 薄墨。

「荷物がある」

「透明片一枚」

「盗んだ荷物」

「重さは変わらない」

「重さで運ぶ物を決めない」

 薄墨は右足を半歩引く。

 タマキは鏡片を床へ置いた。

 直接顔を見ず、足の角度を見る。

「右へ行く」

「なぜ」

「左足が先」

「逆かも」

「じゃあ左」

「質問で道を塞ぐ?」

「答えると遅くなる」

「答えなければ」

「もっと遅くなる」

 薄墨は笑った。

 上体だけを左へ振り、右の郵便管へ指を掛ける。身体を半回転させ、タマキの肩の上を越えようとする。

 タマキはしゃがむ。

 薄墨の足が空を切る。

「子ども相手に跳ぶな!」

「十四歳は、通路では大きい」

「人を幅で数えるな!」

 タマキは薄墨の長衣の裾を掴まない。

 掴めば破れる。

 破れた布へ技術片が入っているか確認するため、身体検査が必要になる。

 代わりに、床の保留紐を足で持ち上げる。

 薄墨の爪先へ掛かる。

 倒れない。

 壁へ手をつき、体勢を戻す。

「配達向き」

「褒めると料金」

「いくら」

「返す」

「高い」

「盗んだから」

 薄墨は点検扉へ手を伸ばす。

 タマキは先に鍵穴へ空の切符を差した。

「それ、鍵じゃない」

「抜くのに一秒」

「一秒で足りる?」

「質問一つ」

「何」

「技術鍵を持ち出したら、誰が最初に困る」

 薄墨の手が止まった。

「端末を使っている人」

「名前」

「知らない」

「じゃあ、困る人を知らずに持ってく?」

「知るために持っていく」

「順番、逆」

「知る前に返したら、永遠に知らない」

「戻って調べる」

「ここでは、経路を消される」

「写しをもう一枚作る」

「増やしたくない」

「盗むのは増やさない?」

「一枚だけ」

「一枚って、たくさんの最初」

 薄墨は目を細めた。

「君は、届ける物を全部正しいと思ってない」

「思ってない」

「それでも運ぶ」

「受取人が決めるため」

「俺も、受取人へ持っていく」

「誰」

「まだ言えない」

「じゃあ宛先なし」

「そう」

「宛先なしは、捨てない」

「通してくれる?」

「保留」

「何時間」

「返すまで」

「それは保留じゃない」

「知ってる」

 点検路の奥で、不達箱が一度鳴った。

 タマキの目が動く。

 薄墨はその動きを見た。

「不達は、待たせると?」

「戻ってきた人が、また届かない」

「俺を止めると?」

「盗みが止まる」

「どっち」

「選ばせるな」

「選ばない時間はない」

 不達箱が二度目に鳴る。

 タマキは薄墨から目を離さないまま、右足を一センチ引いた。

 通路が開く。

「許可じゃない」

「知ってる」

「逃げたと書く」

「書いて」

「返せと書く」

「読めたら」

「読まなくても返せ」

 薄墨は点検扉へ手を掛けた。

 タマキは最後まで、盗みを正当化しなかった。

 同時に、不達を捨てなかった。

 一つを選んだことが、もう一つを許したことにはならない。

 薄墨は右へ。

 タマキも右。

 左。

 左。

 薄墨は速くない。

 タマキは狭い道に強い。

 だが背後で、不達箱が鳴った。

 三度。

 新しい不達。

 タマキは振り返った。

 薄墨が通り過ぎる。

「ずるい!」

「どっちを運ぶか選んだ」

「選ばせた!」

「そう」

 薄墨は西の点検路へ消えた。

 能力を使った気配はない。

 古い保守鍵を使い、普通の扉から出た。

 タマキは追わなかった。

 不達箱を開ける。

 中には、宛先不明の二通と、受取人死亡確認の一通。

 先に扱う。

 逃げた人を追うより、戻ってきた荷物の方が、今は自分の仕事だった。

 午後三時。

 百の受信口の結果が壁へ並んだ。

 到着したものだけを数えない。

 拒否も、返送も、不達も、保留も、同じ大きさの文字だった。

 タマキは百番目の欄へ最後の時刻を書く。

 大人が《たくさん》と呼ぶ数に、最後まで番号が戻った。