第362話 第十一章「所有者を分ける」後編
「俺は怪我してない」
「右肋」
「打撲」
「診察は」
「した」
「費用は」
「払った」
「領収書」
「捨てた」
会場の全員が、迅を見た。
「何だ」
七瀬が手を差し出す。
「次から私へ渡してください」
「なぜ」
「あなたは金銭記録を失くす」
「自分で持つ」
「今、捨てたと言った」
「今回だけ」
「前回も」
「覚えてない」
「だからです」
記憶を売る競売所で、迅は領収書の記憶を失っていた。
価が笑い、また三秒で止められた。
価は画面越しに、三時間かけて帳簿を直した。
「赤字」
彼女が言う。
「いくら」
イオ。
「百八十七万四千」
「腰より痛い?」
「腰」
「なら治療優先」
「帳簿も治療」
「人じゃない」
「人が食べる」
価は帳簿の最下段へ、新しい欄を作った。
《値を付けない》
金額欄はない。
代わりに、理由、期限、費用負担者、再確認日。
「空欄はゼロになります」
イオが言う。
「だから空欄にしない」
価。
「値を付けない、と書く」
「市場をやめる?」
「やめない」
「また売る?」
「売っていい人が、売っていい範囲を、売るかもしれない」
「面倒」
「商売だから」
「関係ある?」
「今度はある」
午後四時。
七瀬へ、一つの鍵が渡された。
九番《編集卓十五分》の共同鍵。
一人では開かない。
別に、十一番の破棄証明。
十二番の偽物認定書。
母の全記録はない。
七瀬は鍵を握らなかった。
机へ置き、カメラで一枚だけ撮る。
「これは私の所有物ではありません」
記録へ言う。
「私が共同管理へ参加する鍵です。閲覧は、他の当事者の条件が揃った範囲だけ。破棄された部分は戻りません。偽物は母と兄の真実を証明しません」
迅が横から聞く。
「何で自分に説明してる」
「後で都合よく忘れないため」
「忘れたら、俺が言う」
「あなたは都合よく短くする」
「長いと殴れない」
「殴る話ではありません」
「だから、短くしない」
七瀬は迅を見た。
礼は言わない。
「借りた一万、一環利子で返します」
「今?」
「今」
「雰囲気があるだろ」
「金銭で雰囲気を作らないでください」
「九千九百九十九でいい」
「なぜ減る」
「俺の台詞が長かった」
「一環多く返します」
「意地か」
「会計です」
七瀬は一万一環を渡した。
迅は一環だけ返した。
「何です」
「最初の利子は冗談」
「今さら?」
「借りる時に冗談がないと、重い」
「重くしたくないなら、貸さないで」
「それは嫌だ」
七瀬は一環を受け取った。
共同鍵の横へ置く。
鍵よりずっと軽い。
誰のものかは、はっきりしていた。