第371話 第四章「薄墨の画角外」前編

九月十七日 午後六時二十分

 薄墨影治は、隠れていなかった。

 天環東部の九十六画面すべてへ、同時に映っていた。

 旧広告塔の足元。

 監視室の正面。

 薬局の角。

 学校裏の歩道橋。

 南の共同水場。

 煤色の長い上着。

 片側だけ濃い遮光眼鏡。

 青みの黒髪が右目へ落ちる。

 同じ顔。

 違う時刻。

 現在映像の横へ、過去映像が並べられている。

 薄墨は歩き、振り返り、画面の外へ出る。その十二秒後、別の節点で同じ動作をする。

「本体、どれ」

 タマキが訊いた。

「全部、過去」

 七瀬。

「今は?」

「旧広告塔からの生音声だけ」

「声だけ本物?」

「本物という語を急がないで」

「本人の声?」

「可能性が高い」

「長い」

「正確です」

 迅は九十六画面を見ず、床へ敷かれた送信線を見た。

 旧広告塔は、東部監視区の中心にある。

 かつて巨大な商業映像を回していた円筒塔。今は監視節点の時刻合わせと広告配信を担う。

 薄墨の声が、画面から流れる。

『探している顔は、全画面に出した。これで安心した?』

「居場所」

 迅。

『塔だ。隠していない』

「上?」

『来れば分かる』

「また二択」

 七瀬が言う。

『来ない選択もある』

「来なければ、閲覧ログは」

『共同運用へ登録すれば渡す』

「登録しません」

『なら、来るしかない』

「三択を二択に戻しましたね」

『会話は編集だ。不要な枝を切る』

 迅は立ち上がった。

「行く」

「目的」

 タマキ。

「薄墨と話す」

「殴る?」

「話が短ければ」

「順番、逆」

「拳が先とは言ってない」

「顔」

「今日、顔が人気だな」

 凱が左膝の装具を締め直した。

「俺も行く」

「見られると固くなる」

 迅が言う。

 凱の眉が動く。

「誰が」

「おまえ」

「根拠」

「歩幅。監視区へ入ってから、右が一・二センチ長い」

「計ったのか」

「見れば分かる」

 七瀬が二人を見た。

「第十七回」

「まだ数えてる?」

「同じ言葉が規則になるので」

 凱は立つ。

 王位を終えて二か月。

 白い長外套は着ていない。灰色の作業上着。左膝の黒い装具。胸の割れた鐘もない。

 それでも、廊下の人間は道を空けた。

 凱は立ち止まる。

「通る。避けなくていい」

 人々は、さらに端へ寄った。

「逆効果」

 迅。

「説明が足りない」

「顔」

「黙れ」

 凱は深く息を吐いた。

 九十六の画面に、自分の姿が映る。

 元王。

 能力減衰。

 公開試合停止。

 画面の下へ、勝手な字幕が付く。

《獅堂凱、旧広告塔へ移動》

《目的不明》

「目的、言う?」

 タマキ。

「閲覧ログの確認と、運用責任者との面談」

「誰へ」

「見ている全員へ」

「全員って誰」

「分からない」

「じゃあ、言わない方がいい」

 凱は画面を見た。

「そうだな」

 迅が先に歩く。

 凱は半歩遅れてついていく。

 見られているからではない。

 左膝のためだ。

 そう言い切るには、歩幅がまだ少し固かった。

 旧広告塔の入口は、鏡だった。

 高さ四メートル。

 幅三メートル。

 取っ手がない。

 迅と凱とタマキが並ぶと、三人が六人に見える。

「入口、一つ」

 迅が言う。

「鏡が扉」

 タマキ。

「蝶番、右」

 凱。

「鍵穴なし」

「上」

 迅が鏡の上端を見る。

 小さな黒い半球。

《来訪目的を述べてください》

「薄墨影治との面談。閲覧ログの確認」

 凱が言う。

《登録された面談予定はありません》

「呼ばれた」

 迅。

《証拠を提示してください》

 タマキが鉄箱から音声筒を出す。

 薄墨の声。

『来れば分かる』

《来訪を許可する文言ではありません》

「真琴みたい」

 迅。

「真琴なら、もっと腹が立つ」

 タマキ。

 凱は鏡の前へ立つ。

「管理者へ接続しろ」

《命令権限を確認できません》

「命令ではない。要求だ」

《要求理由》

「内部運用の監査」

《監査権限を確認できません》

「権限がなければ、違法運用を確認できない構造か」

《質問を認識できません》

「便利だな」

 迅が鏡へ額を寄せる。

「壊す?」

「壊さない」

 凱。

「聞いてない」

「答えた」

「開け方」

 タマキは鏡の下へしゃがんだ。

 床と扉の隙間へ、配達票を差し込む。

 紙は二センチ入って止まる。

「中、空気動いてる」

「どうして分かる」

「紙が揺れる」

 迅もしゃがむ。

 右手の小指でなく、左手で床を触る。

「人、来る」

 鏡の向こうから、足音。

 一人。

 二人。

 扉が内側へ開いた。

 灰色の警備服が二人。

 どちらも警棒。

「退去してください」

「呼んだ奴に言え」

 迅。

「面談予定はありません」

「今、作る」

 警棒が迅の胸へ向く。

 迅は一歩退いた。

 一つ目。

 赤い七結びの下で、誓痕が淡く熱を持つ。

 警備員は知らず、二歩踏み込む。

 凱が間へ入った。

「警告は受領した。こちらは暴力を開始していない」

「退去を」

「薄墨本人から招請を受けた」

「記録にありません」

「なら、記録の不備だ」

 もう一人の警棒が凱の左肩へ向く。

 凱は受けない。

 半身になり、手首を外へ流す。

 能力は使わない。

 膝を深く曲げず、相手の肘を自分の胸へ寄せる。警棒の先が鏡へ当たり、硬い音を立てた。

 その音で、塔内の照明が一斉に点いた。

 鏡が入口ではなくなる。

 壁も床も天井も鏡だった。

 同じ警備員が、十人ずつ現れる。

 迅が二歩目を退く。

 右斜め後ろ。

 鏡の中にも、二十人の迅が同じ動きをする。

「数えるな」

 凱が言った。

「数えてない」

「二つだ」

「おまえが数えてる」

 警棒が三方向から来る。

 本物は一つ。

 迅は床の影を見る。

 照明が多すぎて、影も複数ある。

 肩を見る。

 鏡の肩も動く。

 足音。

 壁からも返る。

 警棒が右頬を掠めた。

 迅は三歩目を退く。

 赤い結び目が三つ、皮膚へ沈む。

 鏡の中で、六十の結び目が同時に光った。

「迅、源は」

 凱。

「警棒」

「持っている人間は二人」

「鏡が多い」

「源は鏡か」

「作った奴」

「ここにいない」

「だから面倒」

 迅は四歩目を取らない。

 警備員の一人が、鏡の反射を使って横へ回る。

 タマキが鉄箱を床へ滑らせた。

 鏡の下端へぶつかり、鈍い音。

「本物、音が一回」

 反射音は遅れて重なる。

 迅は最初の音へ身体を向ける。

 警棒を左前腕で受け、手首へ掌を当てる。殴らず、相手の進行方向へ押す。

 警備員は鏡へぶつかる直前で足を止めた。

「壊すなよ」

 迅。

「おまえが押した!」

「止まった。偉い」

「褒めるな!」

 もう一人が背後から来る。

 凱が警棒の根元をつかみ、引かずに下へ押す。

 左膝へ荷重を掛けない。右足を一歩前へ出し、相手の肩を壁へ向ける。

 鏡の中の凱は、どれも退かない。

 本人だけが、半歩横へ退いた。

 警備員の勢いを逃がすため。

 画面のどこかで、白王が退いたと通報されるかもしれない。

 凱は気にした。

 気にした自分を、さらに気にした。

「足、止まった」

 迅が言う。

「分かっている」

「見られてる?」

「黙れ」

 凱は警棒を床へ置く。

 警備員へ返さない。

 蹴り飛ばしもしない。

「面談が終わるまで預かる」

「権限が」

「ない。だから、返却条件を今決める。攻撃しないと約束すれば返す」

「脅迫だ」

「武器を持っている側が言うと、説得力が増すな」

 迅。

「減ります」

 タマキ。

 警備員二人の耳元で、同時に小さな音が鳴った。

『来訪者を前進させろ。抵抗行動を記録する』

 塔内放送ではない。右耳の小型受信具。

 迅にも、近い方の声だけ聞こえた。

「誰」

 警備員は答えない。

『警棒を回収し、接触を再開』

 凱が床の警棒を見た。

「命令者名を確認しろ」

「部外者へ回答する義務はありません」

「君には確認する権利がある」

「勤務中です」

「勤務だからだ」

 片方の警備員が、受信具へ指を当てた。

「発令者番号」

『中央運用』

「個人番号」

『不要』

「接触で負傷した場合の責任者」

『現場判断』

 警備員の指が止まった。

「命令は上。責任は下」

 迅が言う。

「黙れ」

「そっちの声と同じこと言ってる」

 もう一人の警備員が、凱へ手を出した。

「警棒を返せ」

「攻撃しないと約束するなら」

「命令が来たら」

「その命令を、今のように確認する」

「確認してる間に侵入される」

「既に扉を開けたのは君たちだ」

「規程だ」

「規程へ従った責任を消すな。規程だけの責任にもするな」

 警備員は、受信具を外した。

 耳の後ろに、長時間の圧迫で赤い跡が付いている。

「名は、原田」

 勤務札を裏返す。表には番号しかなかった。裏に手書きの姓。

「扉防衛はする。接触を作るための前進はしない」

 もう一人が彼を見る。

「処分されるぞ」

「おまえは」

「家賃がある」

「俺もある」

「じゃあ、戻せ」

「戻したら命令を受ける」

 二人は同じ制服のまま、違う位置へ立った。

 原田は扉の脇。もう一人は通路中央。

 凱は警棒を床へ置き、靴で原田の側へ滑らせる。

「返却先を選んだ」

「俺が安全だと?」

「攻撃しないと、自分の名で言った」

 原田は警棒を拾わず、足で壁際へ寄せた。

 もう一人の警備員は、受信具を付けたまま動かなかった。

 命令に従うことも、拒むことも、まだ選べていない。

 鏡張りの通路の奥で、拍手が一度鳴った。

 音源は見えない。

『格闘を映像で見ると、全員が正しい位置へいるように見える』

 薄墨の声。

『編集しなくても、鏡が勝手に増やす』

「出てこい」

 迅。

『出ている』

 正面の鏡に、薄墨の姿が映った。

 迅の背後。

 迅が振り返る。

 誰もいない。

 鏡へ戻る。

 薄墨はまだいる。

「別室」

 七瀬の声が、タマキの通信筒から入る。

『映像投影です。薄墨本人ではない』

『本人探しを主謎にするな、と言っただろう』

 薄墨の映像が笑う。

 笑いは録音より早い。

「居場所は謎じゃない」

 七瀬。

『そう。運用者は、どこにいても運用者だ』

「では、ログを」

『共同登録』

「しません」

『平行線だ』

「線を引いた人の名を出してください」

『俺だ』

「全部?」

 薄墨の映像が、わずかに止まる。

『設計は』

「運用変更は」

『自動だ』

「主語が逃げました」

 迅は鏡へ歩く。

 一歩。

 今度は退かない。

 鏡の薄墨へ拳を向ける。

『割れば、監視支持者が二百人増える』

「二百?」

『昨日、端末へ触れただけで十七人。今日は映像がある』

「触るだけ」

『拳の形が悪い』

「顔の次は拳」

『記録は形を見る』

「人は?」

『形に意味を付ける』

 薄墨の映像が横へ歩く。

 鏡の端へ消える。

 同時に、通路の照明が一列消えた。

 一瞬の暗闇。

 左で布が擦れる。

 迅は音へ向く。

 誰もいない。

 次の照明が点く。

 警備員の一人が、迅のすぐ横を見ていた。

「今、誰か」

「何が」

 警備員は首を振る。

「いた?」

「分からない」

 タマキが床へ落ちたものを拾った。

 銀粉の付いた細い布。

「薄墨」

 迅。

 通路の先で、扉が閉まる音。

 見えなかった。

 足音を聞いたはずだった。

 しかし、どちらから来たか思い出せない。

「誓痕」

 凱が言う。

 七瀬の通信が入る。

『画角外〈オフ・フレーム〉。灯里の古い記録に、条件の一部がありました』

「見えてない時、消える?」

 タマキ。

『消えません。レンズにも直視にも入っていない間、足音と直前の目撃が薄くなる。痕跡は残る』

 迅は銀粉布を受け取る。

 指へ黒い薬品が付く。

「今、一回」

 七瀬。

『発動を確認。午後六時三十七分十二秒から、十六秒』

「どこへ」

『追わないで。目撃が曖昧なまま走れば、七歩の源を誤る』

「分かってる」

『分かっている声ではありません』

「顔?」

『呼吸です』

 迅は赤い紐を親指で押さえた。

 三つの結び目だけが熱い。

「三歩、残ってる」

『残っていると考えないで。源が定まっていません』

「分かってる」

『二度目です』

 迅は息を吐く。

 三つの熱が消えるまで待つ。

 警備員二人が、鏡の壁際で互いを見る。

「今の男、どこから」

「見た?」

「見た気がする」

「俺は」

「おまえの後ろ」

「いつ」

「分からない」

 薄墨の能力は、人を消さない。

 人の自信を薄くする。

 見たはずの者が、自分の目を証者にできなくなる。

 迅は床へしゃがんだ。

 銀粉。

 靴底の吸音布の繊維。

 扉の下へ挟まった煤。

「痕はある」

 タマキ。

「足音は薄い。床は忘れない」

 迅は言う。

 凱が通路奥の扉を指した。

「開ける」

「薄墨を追う?」

「ログを確認する」

「同じ方向」

「目的は違う」

 凱は警備員へ向き直る。

「攻撃を止めるなら、警棒を返す」

「通行は許可できない」

「通行を止めるなら、身体で止めろ。武器は返さない」

「それは脅迫だ」

「そう受け取ったと記録しろ」

 警備員は迷う。

 一人が手を出す。

「攻撃しない。警棒を返せ」

「名を」

「必要か」

「返却記録へ」

 警備員は自分の名を言った。

 凱は復唱し、警棒を返す。

 もう一人も名を言う。

 迅が眉を上げた。

「王より面倒」

「元から、これが必要だった」

 凱は答えた。

 銀粉の筋は、二階への扉へは続いていなかった。

 壁際で一度折れ、幅木の下へ潜っている。

 迅が指を伸ばす。

「触るな」

 原田が言った。

「証拠封印の内側だ」

「自分たちで閉じた?」

「保守班が。俺は鍵を持っていない」

「誰が持ってる」

「中央運用」

「また名前がない」

 タマキがしゃがみ、幅木と床の隙間へ薄い紙片を近づけた。

 紙片の端が、ゆっくり内側へ吸われる。

「風」

「換気か」

 凱。

「違う」

 タマキは紙を少しずらす。右では吸い、左では動かない。

「箱」

「何の」

「小さい機械。熱、出てる」

 迅は床へ頬を近づけた。

 銀粉の中に、もう一つの跡がある。

 薄墨の吸音布とは違う。平たい保守靴。踵だけが油で濃い。

「二人」

「薄墨と保守員?」

 原田。

「同じ時刻とは限らない」

 迅は答えた。

「いい顔をするようになったな」

 凱。

「顔へ」

「責任は負わせない」

 二人の声が重なった。

 タマキが鼻を鳴らす。

「流行ってる」

 幅木の上には、六ミリほどの点検窓があった。

 透明板の裏へ、二行だけ表示が見える。

《公序維持申告 優先》

《個人危険申告 通常》

 その下へ、変更時刻。

《十八時三十一分》

 変更者欄は空白。

 迅が窓を覗く位置を変える。

「薄墨が変えた?」

「決めつけるな」

 原田が先に言った。

 迅は彼を見る。

「今、俺が言おうとした」

「遅い」

「勤務中に成長するな」

「処分通知が来る前に使っておく」

 原田は受信具のない耳を一度掻いた。

 タマキは点検窓へ、自分の小さな鏡を斜めに当てる。

 直接は読めなかった下段が、反射の中で現れた。

《自動変更ではありません》

「機械、言い訳しない」

 タマキ。

「人が、機械を言い訳にした」

 凱。

「開ければ、誰が操作したか分かるか」

「履歴が残っていれば」

 原田。

「開けないのか」

 迅。

「俺の鍵ではない。おまえの拳でもない」

 原田は封印帯の番号を、自分の勤務票の裏へ書いた。

「二階で閲覧権限を確認する。戻って、保守立会いで開ける」

「その間に消されたら」

「消した時刻と、消せた人間が残る」

「残らなかったら」

「俺の名前で、残らなかったと書く」

 迅は点検窓から顔を離した。

 拳なら、一秒で開く。

 だが、一秒で開けた穴には、誰が優先順位を変えたかという主語が落ちる。

「二階」

 迅は立った。

「戻る理由が増えた」

「逃げ道じゃない?」

 タマキ。

「戻る道」

 塔の二階には、監視映像がなかった。

 代わりに、通報票が積まれている。

 紙ではない。

 薄い光板。

 時刻。

 節点番号。

 危険分類。

 閲覧順。

 対応結果。

 七瀬が遠隔で一枚ずつ複写する。

「三日前、午後九時」

 迅が読む。

《十二街路・落書き》

《優先度二》

《閲覧順位 二》

 隣。

《十二街路・付きまとい申告》

《優先度二》

《閲覧順位 四十八》

「同じ優先度」

 タマキ。

「順番が違う」

 凱。

「落書き、先」

「公共設備への損傷だから」

 七瀬の声。

『付きまといは、本人が危険を明言していないとして後回し』

「本人、申告してる」

 迅。

『申告文は《後ろを歩かれて怖い》。分類辞書では、接触・追跡確認なし』

「怖いって書いてる」

『感情は危険度へ入らない』

 真琴の声も通信へ入る。

『規則上、主観だけで第三者を検索しないための制限です。悪意だけで作られた条項ではありません』

「結果、四十八」

 迅。

『はい』

「落書き、誰が困る」

『公共管理者』

「名前」

『管理者番号』

「付きまとい、誰が困る」

『申告者。氏名非公開』

「名前がない方が、後ろ」

 七瀬は答えない。

 光板の端へ、変更履歴がある。

《優先順位補正》

《理由:公共秩序への波及》

《実行者:中央運用》

「中央運用」

 凱が読む。

「薄墨の名はない」

 迅。

「自動って言った」

 タマキ。

「自動が、理由を書いた?」

 七瀬。

『書きません』

「じゃあ、人」

 迅は次の票を見る。

《未成年の深夜外出》

《優先順位 三》

 その次。

《監視員の休止超過》

《優先順位 一》

「見る人まで見てる」

 タマキ。

「見る側が席を離れる方が、付きまといより先」

 迅。

 塔の一階半には、見学廊下があった。

 階と階の間へ、あとから足された細い通路。

 壁の片側は鏡、反対側は透明板。その向こうに、監視制度の成果物が並んでいる。

《未成年者発見・二十七件》

《火災初期通報・十九件》

《盗難物返還・四十四件》

《暴力行為抑止・百十八件》

 数字の下へ、感謝状。

 顔を出した家族。

 顔を隠した被害者。

 制服姿の警備員。

 商店主。

 迅は歩く速度を落とした。

「作り物?」

 タマキ。

「出来事は、たぶん本物です」

 七瀬の声。

「感謝も?」

「本人へ確認しなければ分かりません」

「何でも分からない」

「分かったふりより安全です」

 透明板の向こうで、女が一人待っていた。

 見学者ではない。

 感謝状の写真にいる女だった。

 写真では笑っている。

 今は、両手で鞄を抱えている。

「あなたが竜胆迅?」

「そう」

「壊しに来たの」

「まだ一枚も」

「まだ?」

「言い方が悪い」

「顔も」

「今日は多い」

 女は透明板の扉を開けた。

「去年、息子が消えた。家出だと思われた。監視員が映像をつないで、古い工場で見つけた。低体温だった。あと二時間遅ければ死んでいたって言われた」

「見つかった後、映像はどうなりましたか」

 凱が訊く。

「知らない」

「誰が見ましたか」

「知らない」

「保存期限は」

「知らない」

「それでも、残したい?」

「残したい。次の子が見つかるなら」

 凱は一度、口を閉じた。

 王だった頃なら、《残す》を全体の答えにしたかもしれない。

 今は、女の答えを女の範囲へ置く。

「あなたの息子さんは」

「監視が嫌いになった。家出の理由まで、学校に知られたから」

「理由は」

「言わない」

「受領した」

「でも、息子も生きてるから嫌える。死んでたら、嫌いにもなれない」

 女は迅を見た。

「カメラを壊すなら、代わりを置いて」

「呼出?」

「呼出だけじゃ、倒れてる子は押せない」

「人」

「夜の案内員は足りない」

「金」

「足りない」

「全部、足りない」

「だから目を増やした」

 女の答えは、薄墨の宣伝と同じ言葉だった。

 違うのは、主語があったことだ。

 私は、息子を生かすために増やした。

 迅は拳を下ろしていた。

「壊さない」

「約束?」

「今日は」

「短い」

「長い約束、苦手」

「知ってる。画面で見た」

「どの画面」

「多すぎて忘れた」

 迅の眉が少し下がる。

 女は初めて笑った。