第372話 第四章「薄墨の画角外」後編

 見学廊下の先で、警報が鳴った。

《不審侵入》

《見学者四名》

《危険人物照合・一名》

 透明板の上へ、迅の顔が出る。

 女が身を固くする。

「あなた?」

「俺」

「何をした」

「今、歩いた」

 灰色の警備服が階段の上下から来た。

 先ほどの二人とは別。

 上から三人。

 下から二人。

 監視画面の案内で、迷わず挟む。

「床へ伏せてください」

「誰が」

 迅。

「竜胆迅」

「他は」

「壁際へ」

「女の人、巻き込むな」

「離れてください」

 女は透明板の内側へ戻ろうとした。

 扉が自動で閉じる。

 認証外。

 挟まれた。

 上の警備員が警棒を抜く。

 迅は一歩退く。

 赤い紐の一つが熱を持つ。

 すぐ止めた。

 暴力の源は、警棒だけではない。

 誤った照合。

 閉じた扉。

 監視画面の案内。

 薄墨の順位。

 どれを殴っても、女は扉の前に残る。

「タマキ、扉」

「認証、ない」

「紙」

 タマキは配達票を折り、扉下の光受けへ差し込んだ。

 反射が乱れる。

 自動錠が一度、再確認へ入る。

 三秒。

 凱が女の前へ立つ。

「私を見てください」

「誰」

「獅堂凱」

「王様」

「元です」

「今、訂正する?」

「今でなければ、画面が訂正しません」

 警棒が凱の肩へ迫る。

 凱は左膝を曲げず、右足を軸に身体を回した。

 棒の根元へ前腕を当てる。

 力を止めず、透明板へ沿わせる。

 硬い先端が板を滑り、火花の代わりに白い擦過線を残す。

「攻撃ではなく、保護対象がいる」

「退いてください」

「退く先が閉じています」

 警備員が一瞬だけ扉を見る。

 その一瞬を、監視画面は《注意逸脱》と判定した。

 上階の指示が飛ぶ。

《拘束を継続》

「誰の指示だ」

 凱。

「中央運用」

「名は」

「分かりません」

「分からない相手の命令で、目の前の人を挟むのか」

「規程です」

「規程は、扉が閉じる前に彼女がいたことを見たか」

 警備員は答えられない。

 監視装置は、見ていた。

 人間は、表示された危険枠を見ていた。

 迅は鏡へ手を付いた。

 鏡の中で、警備員が十人に増える。

 だが、手すりの振動は五人分だけ。

 上から三。

 下から二。

「凱、右」

「何歩」

「一人」

「歩数で言うな」

「人数」

 迅は右から来た警棒を、鏡ではなく手すりの震えで読む。

 左掌で根元を受け、右肘を相手の胸へ置く。

 打たない。

 相手の足が透明板へ向かないよう、通路中央へ回す。

 下からの二人は、タマキが床へ投げた鉄箱を避ける。

 箱は人へ当てない。

 通路の幅を一人分減らす。

「荷物で戦うな」

「荷物を守るために戦ってる」

「何が入ってる」

「紙」

「軽い」

「責任、重い」

「誰の台詞」

「今、私」

 自動錠の再確認が終わる。

 扉が二センチ開いた。

 女が指を差し込もうとする。

「手、入れない」

 タマキが鉄箱の角を差し込む。

 扉が止まる。

 女は透明板の内側へ抜けた。

 凱が警棒から手を離す。

「保護対象、退避」

 警備員は攻撃を止めた。

 画面の赤枠は残る。

「まだ危険人物」

 女が内側から言う。

「画面では」

 迅。

「私は助かった」

「それ、記録していい?」

 タマキ。

「顔なし。名前なし。扉の時刻だけ」

「受領」

 監視室へ送る。

 赤枠は変わらない。

 しかし、警備員の一人が自分の端末へ入力した。

《拘束中断》

《理由:第三者退避》

《判断者:現場警備》

「名前」

 凱。

「勤務番号で」

「受領した」

 彼らは敵から味方へ変わらない。

 迅たちも、許可を得たことにはならない。

 ただ、中央運用の赤枠より先に、目の前の女を見た判断が一つ残った。

 塔内の放送が鳴る。

『閲覧順位は、犯罪件数を三十七%低下させた』

 薄墨。

「数字、出た」

 迅。

『反論できる?』

 七瀬が返す。

「できません。母数と分類を確認するまでは」

『正直だ』

「褒めないでください」

『落書きは翌日の器物損壊を防いだ。監視員の休止超過を止めたことで、転倒者を一名発見した。付きまとい申告は、後に接触なく終了』

「結果が無事なら、順番は正しい?」

 迅。

『少なくとも、死者は出なかった』

「四十八番にされた人が、次も申告する?」

『推測だ』

「落書きが次の損壊になるのも推測」

『統計だ』

「誰が選んだ統計」

 薄墨は答えない。

 七瀬が言う。

「薄墨。本当の死角は、あなたの居場所ではありません」

『何だと思う』

「閲覧順です」

 光板の列。

「映像は残る。通報も残る。誰も改竄していない。それでも、最初に何を見るかで、見なかったことを作れる」

『選ばなければ、何も見られない』

「選んだ人の名を残してください」

『制度が選んだ』

「主語を戻してください」

 真琴。

 長い沈黙。

 薄墨は笑わない。

『俺が、順番を作った』

「変更した時刻と理由」

『共同運用へ登録すれば』

「また二択」

 七瀬。

『会話は編集だ』

「では、切られた方を探します」

 迅は光板を一枚抜いた。

 下から、同じ時刻の票が出る。

《閲覧順位変更申請》

《監視員三十八番席》

《申請理由:本人の恐怖申告を先に確認したい》

《却下》

「ユウ」

 イオの声が通信へ入る。

『三日前。本人に確認する』

 却下者欄。

《中央運用》

 迅は光板を元へ戻した。

「薄墨」

『何だ』

「おまえ、見てる側を信用してない」

『人は疲れる』

「だから、順番を取った」

『被害を減らすためだ』

「監視員は、目?」

『仕事だ』

「目なら、閉じる。仕事なら、断る」

『断った間に誰かが死ぬ』

「見た間にも死ぬ」

 薄墨の声が低くなる。

『だから、数を減らした』

「数えた奴が、名前を隠してる」

 迅は画面を殴らない。

 光板も割らない。

 床の足跡へ赤鉛筆で線を引く。

 薄墨が通った方向。

 痕跡は、塔の上ではなく下へ向かっている。

「追う?」

 タマキ。

「今日は、追わない」

「珍しい」

「追うと、あいつの話になる」

「今も薄墨の話」

「違う」

 迅は四十八番の票を見る。

「後ろへ送られた人の話」

 旧広告塔の鏡には、四人の姿が何十人にも増えている。

 しかし、光板の閲覧順位は一つしかない。

 増えているのは顔だった。

 減っているのは、誰が選んだかだった。